零落行き




 寒さで目が覚めた。いや、ぶつかった衝撃かもしれない。
 あたりは真っ暗で何も見えなかった。地面が揺れていてその振動が全身に伝わってくる。どうやら床で寝ていたようだ。意識が朦朧として、どうしてこんなところで眠っていたのかよく思い出せない。
 とりあえず起き上がろうと身をよじってみるが体が動かなかった。何かで両手と両足を縛られている。

「――え?」

 拘束されていることに気づいて、急速に意識が覚醒した。同時に恐怖心も湧き上がってくる。慌てて拘束を解こうと力を込めるがうまくいかない。そうして必死にもがいていると、こめかみに激痛が走った。その痛みで、記憶の断片が蘇る。

(そうだ……私、あの時キキョウさんに……)

 飛行場に到着した直後、突然現れたキキョウさんに頭を撃たれて気を失ったのだ。そして今の状況を鑑みれば、自分が拉致されたことは容易に想像がついた。

(でも、なんでキキョウさんが?)

 彼女もミルキ同様私の存在を疎ましく思い、あの家から出ていくことを望んでいたはずだ。それなのにどうしてこんな真似をするのだろう。一体何が目的だ?
 そこでふと、かつてキキョウさんから言われた言葉を思い出した。
 彼女は言っていた。気に入らないものは排除する、と――。

(このままじゃ殺される)

 背筋に悪寒が走る。不安から呼吸が荒くなり心臓が激しく鼓動した。

(いや、落ち着け。それならわざわざ連れ去ったりなんかしない。目的は分からないけど、少なくとも今すぐ殺されることはないはず……)

 そう自分に言い聞かせながら、気持ちを落ち着かせるために深呼吸する。どんなに絶望的な状況でもパニックになったら負けだ。冷静なら助かるというものでもないけど、冷静さを欠いたら待っているのは破滅だけ。私は懸命に呼吸を繰り返し、なんとか平静を取り戻そうとした。

(とにかく、今は状況を把握しよう)

 暗闇に少し目が慣れてきたけど、地面に横になっているせいでほとんど見えない。私は横向きに転がったまま、慎重に周囲の気配を探った。近くに人の気配はない。足音や話し声なども聞こえない。ただエンジンの駆動音が響くだけ。
 一瞬、車に乗せられているのかと思った。だけどすぐに違うと思い直す。車の中だとしたら広すぎる。暗闇で何も見えないけど、それなりに広い空間にいるような気がした。
 ではここはどこなのだろうか。そう疑問を抱いた瞬間、床がわずかに傾いた。内臓の浮くような浮遊感と共に、耳に違和感を覚える。その感覚で確信した。

(――飛行船だ)

 この密閉された空気の流れ方にも覚えがある。おそらく飛行船内で間違いないだろう。
 明かりがないということは、貨物室あたりに閉じ込められているのだろうか。

(どこに向かってるんだろう)

 当初の目的地であるアイジエン大陸に向かっているとは考えにくい。キキョウさんは私をどこへやろうとしているのか。必死に考えを巡らせるけど、いくら考えても答えは出なかった。情報が少なすぎて判断がつかない。
 キキョウさんの思惑は分からないけど、このまま寝転がっているわけにはいかない。とにかくまずは手足の自由を取り戻すことが先決だ。いざという時にすぐ逃げ出せるように。
 それからしばらく、私はひたすら拘束を解くことに集中した。しかしどんなに力を込めても手足を縛るロープはビクともしない。おそらく念によって強度を上げられているのだろう。

「くっそ!」

 思わず悪態をつく。こうなったら一か八かで関節を外して縄抜けを試みるか。そんなことを考え始めた矢先だった。

「う、わっ!」

 突如、船体が大きく揺れた。その衝撃で体が浮き上がりそうになる。

(なんだ今の!?)

 何が起こったのか分からず混乱していると、また大きな振動が襲ってきた。手足を縛られているので揺れると体が転がり、あちこちにぶつかる。私は身を縮こませて衝撃に耐えた。

(乱気流に入った? いや、それにしても大きすぎる)

 飛行船は高度が高い分、気流の影響も受けやすい。だから大きく上下に揺れることはあるけれど、こんなに激しく揺れるのはおかしい。

(まさか、墜落しようとしてるんじゃ……)

 この激しい縦揺れと不規則に繰り返される横揺れは、飛行のバランスが崩れていることを表しているように思えた。

(まずい! 早く脱出しないと!)

 私は全身全霊の力を振り絞り、どうにか立ち上がろうともがいた。だが両手両足を拘束されていては上手くいかない。それでも諦めずに暴れていると、突如として周囲が明るくなり視界が開けた。どうやら照明がついたようだ。あまりの眩しさに目を細める。
 やがて光に慣れてくると、私は目の前に広がる光景を見て息を呑んだ。
 まず目に飛び込んできたのは巨大なミサイルのようなものだ。全長数十メートルはありそうなそれが飛行船内を圧迫するように鎮座している。次に目に映ったのは見たこともない鉄の塊だった。詳しい用途は分からないけど明らかに兵器と分かる形状をしている。他にも大小様々な機械やコンテナが所狭しと置かれていた。まるで武器庫のような印象を受ける。

(なんなんだ、これは……)

 異様な光景を目の当たりにして、恐怖心が湧き上がる。
 どうしてこんなものがここに? 一体何のために? 疑問が次々と浮かんでくるが、今は考えている余裕などない。
 不意に背後からプシューと蒸気の抜けるような音が聞こえてきた。次の瞬間、強い風が吹き込んでくる。慌てて振り返ると、ポッカリと開いた穴が見えた。その先には空が広がっている。どうやらハッチが開かれたらしい。

「嘘でしょ!?」

 ごおっと風が巻き上がる轟音と、地響きのようなエンジン音が耳を劈く。同時に肌を刺すほどの強烈な寒気を感じた。
 さらに追い討ちをかけるように船体が傾き出した。重力に従い、船内の荷物がどんどん外へと放り出されていく。このままでは私も地上に真っ逆さまだ。

(冗談じゃない!!)

 私は懸命に身を捩って、体を支えられる場所がないか探した。しかし拘束されているせいで思うように動けない。そうこうしているうちに船体は更に傾いていく。近くに積まれていたコンテナがこちらに向かって滑り落ちてきて――。

「うわああぁあ!!」

 情けない声を上げながら無我夢中で避ける。コンテナの下敷きになることはなかったけど、そのまま身体は勢いよく転がっていく。
 あっ、と思った時にはもう遅かった。私の体は宙に投げ出されていた。

(落ちる――ッ!!)

 一瞬、時間が止まったかのように感じた。空中に放り出された体は為す術なく落下していく。

(くそっ、くそっ! こんなところで死んでたまるか!)

 凄まじい風圧にさらされながら、私は死に物狂いで落ちていく方向を見た。思っていたよりも地面が近い。これならなんとか着地できるかもしれない。
 衝撃に備えるため、全身にありったけのオーラを込めた。
 ――数秒後、ズドンという鈍い音を響かせ、私の体は地面へと叩きつけられた。

「……ッ!!」

 凄まじい衝撃だった。肺の中の空気がすべて押し出され、呼吸が止まる。

「う……」

 息ができないほどの激痛が全身に走った。痛みのせいで意識を失いかけたけど、歯を食い縛り必死に堪える。やがて体が酸素を取り込み始めた。

(なんとか生きてる)

 全身痛いけど、取り返しのつかない怪我は負っていない。どうやらうまく地面に落ちたようだ。しかしダメージをゼロにできたわけではない。あばらは何本か折れてるだろうし、あちこち打撲してるはずだ。
 とはいえ、いつまでもこうして寝転がっているわけにはいかない。周囲の状況を確認する必要がある。危険な場所だったら身を隠さないと。

「うぐっ!」

 私は悲鳴を上げる体に鞭を打って、どうにか身を起こした。
 そしてあたりを見回し、言葉を失った。

(なに、ここ……)

 そこは辺り一面がゴミで埋め尽くされていた。いや、ゴミだけじゃない。得体の知れない機械や乗り物の残骸、何かの部品と思われる金属片などが堆く積み上げられている。
 一瞬、廃棄場なのかと思ったけど、それにしては様子がおかしい。遠くを見渡してもどこまでもゴミ山が続くだけで建物一つ見当たらない。この規模の廃棄場なんて聞いたことがない。

(ここは一体どこなんだ?)

 異様な光景を眺めながら、ひたすら思考を巡らせる。そして、一つの可能性に思い至った。
 その存在は、ゾルディック家の書物室である資料を読んでいる時に偶然知った。
 この世の何を捨てても許される場所。遥か昔から廃棄物の処分場となっている地域。

(――流星街) 

 命からがら辿り着いたその場所は、私の予想を遥かに凌駕するとんでもない場所だった。


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