悪たる所以
シルバさんが去った後、私は急いで部屋に戻った。自室に駆け入り、扉を閉めた直後、その場にくずれおちる。
部屋の中は怖いくらいに静かだった。心臓の音だけが耳に響いてくる。動悸はどんどん激しくなって、体の奥で痙攣が起きているかのような苦しさに襲われる。
握っていた拳を開くと、じっとりと汗をかいていた。額にも嫌な汗が滲んでいる。それを手で拭ってから一度大きく深呼吸をした。
『まだお前が知らない真実がある』
シルバさんの声が蘇って、息をのむ。その声は呪いのように頭にこびりついていた。
『探ってみろ。答えはそこにある』
脳裏によみがえるシルバさんの言葉に従って、恐る恐る額に手を伸ばす。途端に、ズキンッと鋭い痛みが頭の奥の方に走った。
「っ、ぐっ……」
おでこのあたりが急に重くなる。頭の骨に亀裂が入っているんじゃないかと思うくらい痛い。感じたことのない激しい痛みに音を上げてしまいそうだった。
(もうやめよう。真実を知ったところでなんになる。きっと、知らない方が幸せなことだって――)
ふと過ぎった諦念にぞっとして、手で口元を押さえた。こんなにあっさりと諦めようとするなんて、おかしい。こんなの私じゃない。何か別の力が働いて、正常な思考が捻じ曲げられている。そんな疑惑が確信に変わっていく。
酷い痛みに吐き気すら感じ始める中で、意識をきつく集中させながら全身にオーラを張り巡らせた。天空闘技場でイルミに気絶させられた後にした時と同じように。あの時と違うのは、強い拒否反応が如実に表れていることだ。
血管の一本一本を辿るように丁寧にオーラを巡らせる。
やがて、ほんの微かにオーラを発する異物の存在にたどり着いて、衝撃が私の心を襲った。
「――は、はは」
乾いた笑いがもれる。笑うしかなかった。
「やられた……」
――頭の中に、針が刺さっている。
ひゅっと息を呑んだ。急に呼吸の仕方を忘れて息継ぎがうまくできなくなる。目の前に突きつけられた残酷な真実に心が正常に保てない。目元が濡れて、喉が震えて、それでも必死に泣くのを堪えた。
すべて仕組まれたことだったんだ。イルミが私に甘く、それこそ腐った果実のように甘ったるい態度を見せたのは、私を騙すため。頭に刺した針で洗脳するためだ。
イルミは何も変わってなんかいなかった。変わってしまったのは――変えられてしまったのは、私だけだ。
「馬鹿みたいだ……」
イルミと歩み寄れるかもしれないなんて――イルミのことを、好きだなんて。そんなもの、針によって作られた感情にすぎないのに。なんて愚かなんだろう。
イルミもそう思っていたのだろうか。針で操られる哀れな人形だと嘲笑い、蔑まれていたのだろうか。
「……ッく……!」
こみ上げる怒りに任せて床を叩く。
どうして今まで気づかなかったんだ。何度も違和感を覚えていたはずなのに、なぜ今の今まで探ろうとしなかったのか。
他の誰でもない、自分を無理やり変えてしまったイルミにあらんかぎりの罵倒を浴びせてやりたくなる。それでも、心の大半を占めるのは深い悲しみだった。裏切られたと心が泣いている。そんな自分が許せないのに、どうすることもできない。
身の中の臓腑を全て吐き出したい気持ちになった。心臓も腸も肺も何もかも。それを必死にこらえていた。全身を支配する激情を抑え込み、視線を床に落とす。
今日限りで、イルミへの想いは捨てる。自分の感情すべてを疑いながら生きていくことはできない。心が狂ってしまう。
(――絶対に、ここを出てやる。絶対に、絶対に、どんな手を使ってでもイルミから逃げてやる)
がらんどうになった胸で今一度強く誓う。ぎりっと血がにじむほど唇を噛み締め、ようやく立ち上がった。
「思い通りになんて、なってたまるか」
諦めに冷えていた心に火が灯る。それは瞬く間に広がって、身体を奥底から燃やしていくのだった。