真も実もまだ箱の中




 ミンボを離れ、ゾルディックの屋敷に戻ってから一週間ほど。私は特に何をするでもなく、ただひたすらに無為な時間を過ごしていた。
 あてがわれた部屋の大きなベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見つめる。
 ここ数日は何をしていても落ち着かず、かと思えば時間を忘れてぼんやりと考え込んでしまったりと、まったく地に足がついていない状態だった。
 このままじゃいけない、心を立て直さなければという考えは頭に芽生えるけれど、どれもよく纏まらないまま霧散してしまう。
 ――ミンボで過ごしたあの夜から、私の中の何かが決定的に変わってしまった。

(くそっ、思い出したくないのに……!)

 気を抜くとすぐにあの夜の出来事がちらちらと頭をよぎって、忌々しい気持ちになる。思考を振り払おうと乱暴に寝返りを打つが、ちっとも頭から離れてくれない。
 あの日のイルミの言葉や表情を思い出すたび、胸の中が慣れない感じで甘く苦しい。同時に心臓がどっどっと音を立てて不自然なくらいに早く動き始める。まるで自分が自分じゃなくなったみたいだ。

(はぁ……最悪だ……)

 内心でため息をついたものの、もう自分の気持ちを誤魔化すことはしなかった。
 ――私はイルミのことが好きなんだ。
 こんな感情は異常だ。どうかしているとしか思えない。そう頭では分かっていても、不規則に動く心臓が恋なのだと知らしめた。

(ちょっと優しくされたくらいで好きになるとかチョロすぎる……)

 知りたくなかった己の一面に落胆する。同時に失望もした。この程度のことで揺らぐような決意しかできない人間だったのか、私は。
 ゾルディックの家を出るという決意が自分を支える唯一の柱だったのに。それを失った今、私は自分を見失いかけていた。

(私は、この先イルミとどうなりたいんだろう)
 
 私たちの関係は歪だ。同じ家で育ってきたけど家族じゃない。ギリギリのところで均衡が保たれている微妙な関係。少し前までは、この関係を進展させようだなんて微塵も思わなかった。むしろ断ち切りたいと思っていたくらいだ。それが今や、イルミとの将来を考え始めている。なんとも恐ろしい変化だった。
 私はまだイルミのことをよく知らない。知った気になっていただけで、本当は何も分かっていなかったことに気付かされた。時間をかけて探れば、もっと多くのことに触れられるかもしれない。ただ純粋に知りたいと思った。
 ――何処へもゆかない。この家に残って、イルミのそばにいる。
 ひとつの選択肢が頭を過ぎる。自分の気持ちに素直に従った末に出した答えだった。
 しかし一方で、心の仄暗い場所から湿度を伴った声が響いてくる。

(本当に、それで後悔しない?)

 一時の感情に流されて、間違った道を進もうとしているのではないだろうか。そんな不安が絶えず私の中にある。どうすればこの不安を振りきれるのか。それとも、諦めがつくのか――。
 私は滔々と流れ込んでいる自分の声に溺れたような気持ちになり、は、と浅く息を吐き出した。
 考えれば考えるほどわけが分からなくなる。思考の堂々巡りを止めようとぎゅっと目を瞑るが、到底眠れそうになかった。

「あー、もう!」

 何か別のもので気を紛らせたい。外の空気が吸いたい。そう思うといてもたっていられなくなって、部屋を抜け出した。

 廊下に人の気配はなかった。だが、邸の至るところに執事が控えていることは分かっている。おそらくこちらからは死角になる場所から監視されているんだろう。
 廊下の窓から漏れる月明かりを頼りに、薄暗い通路を進む。突き当たった先は回廊の中庭だった。
 中庭といっても広大で、噴水まで備え付けられている。庭の中央あたりに位置する噴水はぼんやりと光っていた。その光に引き寄せられるように、ゆっくりと芝生を踏み歩いた。
 噴水の縁に腰かけて、流れる水を手ですくった。冷たい水の感触に一息つく。

(どうせ眠れないし、誰かに咎められるまでここで時間を潰そう)

 噴水の流れる音だけが聞こえる静かな夜だった。風は少し冷たいけど、煮詰まった頭を冷やすにはちょうどいい。夜空を見上げながら、ぼんやりと思考を巡らせる。

 どれくらいそうしていただろうか。ふと芝生を踏む音が聞こえてきて、ハッとして後ろを振り返った。

「シルバさん……」

 シルバさんは無言で私を見つめ返してくる。
 一瞬、私たちの間に濃密な空気が溜まる。胸がざわめいて、ごくりとつばを飲み込んだ。
 ――何かが起こる。何かが変わってしまう。
 そんな漠然とした予感が、私の心の中を馳け廻った。


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