ひたむきな略奪




「ちゃんと良い子にしてたみたいだね」
「は?」

 唐突な発言に顔を上げると、思いのほか真剣味を帯びた瞳とかち合った。とたんにイルミは嬉しそうに目元を綻ばせる。思いがけない表情の変化に、私は束の間言葉を失った。
 その一瞬の隙をつかれ、よしよしと頭を撫でられた。

「偉いね、ナマエ」
「……っ!」

 子供扱いするなと撥ね除けたくなるが、イルミの纏う甘やかな空気に毒気を抜かれて抵抗する気力を失う。
 いたたまれない思いでイルミの手を受け入れていたが、えらい、えらいと繰り返されるうちにだんだん腹が立ってきて、頭に乗せられた手を払いのけた。

「なんのつもり? あんたのペットになった覚えはないけど」
「オレもこんな手が焼けるペットを飼った覚えはないよ」
 
 口では皮肉を言いつつも、イルミは楽しげな雰囲気を変えない。やけに機嫌が良くて気味が悪いくらいだった。一体どういう風の吹き回しだろう。
 不審に思う気持ちが顔に出ていたのか、イルミは愉しげに目をすがめて続けた。

「ナマエはオレの言いつけを守って戻ってきただろ? だから褒めてあげてるんだよ」
「――!」

 その一言に胸を衝かれる。

(――もしかして、試された?)

 わざと逃げやすい状況を作って、私がどう行動するか試していたんだろうか。こいつならやりかねない。
 ふって湧いた疑問を胸に留めておけず、私は急いで問いかけた。

「私が逃げるかどうか試してたの?」
「はは、なにそれ。オレはそんなに暇じゃないよ」

 と、鼻で笑われ一蹴される。

「それに、今更そんなの試すまでもないだろ。ナマエが逃げたがってるなんて分かり切ったことだし」
「……」

 確かに、と納得してしまった。イルミの言う通り、私があの家から離れたいと思っていることは明白な事実だ。わざわざ時間と労力をかけて確かめるまでもない。少し考えれば分かることなのに軽率に口に出したことを後悔した。
 二の句がつけずにいる私に、イルミは危険な眼差しで畳みかけた。

「――でも、お前は逃げなかったね」

 不意を突かれてぎくりとする。それは、私がもっとも触れられたくなかった、自分でも持て余している矛盾だったから。
 暗い輝きが浮かぶ瞳に射抜かれ、たまらず視線を逸らしてしまう。心臓がどくどくと鼓動を大きくする。自分でも驚くほどに動揺していた。

「その気になればいくらでも逃げられたはずなのに、ナマエは俺の元に戻ってきた」
「……ちがう」
「何が違うの? 現にお前はここにいる」
「違うっ!」

 子供のように違うと繰り返すことしかできない私をみて、イルミは嬉しそうに笑みをこぼす。なんなんだこの男。本当に、嵐のように人の心をかき乱してくれる!
 
「私はただ、今日逃げるのは得策じゃないと思っただけで……」

 自分でも何を口走っているのかよく分からない。でも、このまま黙ってイルミの言葉を認めるわけにはいかなかった。

「あ、もしかしてお前を逃したら罰を与えるってあの執事に言ったから?」
「……」

 自然と顔が俯く。言い返すこともできずに言葉に詰まらせていると、イルミはさらに話を続けた。

「甘いよね、ナマエは。そんなんじゃ一生うちから出るなんて出来やしないよ」

 あざけるような物言いにもどこか甘さがあって、胸がざわめく。

「ま、理由はどうであれナマエはオレの元から逃げ出さなかった。それで十分だよ」

 髪を優しく梳かれたことで顔を上げる。イルミは満足そうに瞳を細めて笑っていた。とても自然な笑い方に私は本気で困惑した。
 徹底的に制圧することしか頭にない男だと思っていたのに、ここ最近のイルミはまるで愛おしいものに接するような切実さがある。愛情を向けられ、髪の毛一本すら渡さないという執着を見せられるたびに私の心は引き寄せられた。――もう、自分の心を誤魔化すのは限界だった。
 ふいに泣きたい衝動に駆られて、ぎゅっと眉間に力を込める。表情を変える私をイルミはやはり楽しそうに見つめていた。

(イルミは、私とどうなりたいんだろう)

 イルミの本心がどこにあるのか、どういったものなのか、正確には見通せない。知りたいと思った。たとえそれがパンドラの箱だとしても、私は知りたいと思う心を止められなかった。

「――どうして、私なの」


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