融解温度




 原因不明の体調不調に苛まれながらもなんとかホテルに戻った私は、すぐさまゲストルームのベッドに倒れ込んだ。頭が重く、耳鳴りがひどい。耳の奥でわんわんとノイズが響いているせいで吐き気がおさまらない。私はぎゅっと目をつむって、ただひたすら苦痛が去るのを待った。
 しばらくそうしているうちに眠ってしまったらしい。ふと目を覚ましたとき、すぐそばに誰かがいる気配を感じた。

「やっと起きた?」

 重いまぶたを持ち上げると、ベッドの傍らに座って見下ろしてくるイルミと目が合った。いつの間に帰ってきてたんだろう。……というか、コレいつから見られてたんだ?
 薄気味悪く感じながら身を起こす。多少の倦怠感はあるが、さっきまでの不快感は綺麗さっぱりなくなっていた。そのことにほっとしつつも、疑問が残る。

(さっきのは一体……)

 先ほど襲われた感覚を思い出すと、寒くもないのに両腕に鳥肌がたつ。あれほどおぞましい感覚だったにも関わらずあっさりと症状が消えたのも不気味だ。言いようのない不安を宥めるように二の腕をさすったとき、こちらの様子を眺めていたイルミが口を開いた。

「外で体調を崩したって聞いたよ。大丈夫?」
「あ、あぁ、うん。それはもう平気」 

 イルミの声には身を案じるような響きがあって、思わず素直に返してしまう。しかしその返事では満足いかなかったのか、イルミはかすかに眉をひそめた。

「おいで」

 手首を掴まれ、そのままリビングルームのソファに導かれる。あっけにとられる私を座らせ、隣にイルミが当然のように腰をおろした。

「ちょっと、何する気?」
「本当に平気か確認する」

 ぬぅっと伸びてきた手が首筋に触れる。反射的に仰け反りかけたが、脈をはかられているだけだと分かってグッと堪えた。頸動脈に添えられていた指先が目元に及び、目の下の皮膚を軽く引っ張る。言葉通り、イルミは私の身体の状態を一つずつ確認していった。
 私はイルミのすることに逆らわなかった。というより、動揺を悟られないように唇の内側を噛んで無表情を保つのが精一杯だった。鼻先が触れるくらいの至近距離に鼓動が早まる。
 何だこの状況、勘弁してくれ! と心の中で喚いた。

(そういえば、あの執事も部屋にいるんじゃないの?)

 はたと気がついて、焦りがつのる。さすがに今の状況を見られるのは気まずい。
 執事の所在を確かめようと僅かに首をかしげる。すると、どこを見てるんだと咎めるように両手で顔を掴まれた。もう首を動かすことも体を引くことも出来ない。

「なに。何か気になるものでもあるの」
「いや、執事はどこにいるのかなと思って」
「此処にはいないよ。もう下がらせた」
「あ、ならよかった」
「よかったって何が?」
「こんなところ見られたら気まずいでしょ」
「気まずい? おかしなことを言うねお前。ただ異常がないか見てるだけだろ」

 いつもの淡々とした声音で返され閉口する。意識しているのが自分だけだと分かったとたんに羞恥がこみ上げた。

(何これ、すごく恥ずかしい!)
 
 恥ずかしさといたたまれなさで顔も赤くなってるに違いない。とっさに両手で頬を抑えたくなるが、イルミの手で顔を押さえられているせいでそれもかなわない。私は歯を食いしばってこの羞恥に耐えた。

「うん、特に問題なさそうだね」

 すっとイルミの手が離れる。私の動揺には気付いているだろうがどうやら見逃してもらえるらしい。助かった、と知らず詰めていた息を吐き出した。

「もしまた体調に異変が出たらすぐにオレを呼ぶように。わかった?」
「……」

 そんな風に言われたら、もう頷くことしかできなかった。

(あぁ、いやだ)

 私は心の中で嘆いた。
 どうしてこんな風になってしまったんだ。私たちの関係はずっと険悪な上に成り立っていたはずなのに。どこで掛け違えてしまったんだろう。
 殺意を向けられていたときは分かりやすくて良かった。力で制圧しようとするのならば、同じように抗えばいい。でも、こんな風に優しくされたらどうしたらいいか分からなくなってしまう。毒をぬった甘い刃でめった斬りにされている気分だ。
 残酷で無慈悲なイルミの、人間らしい部分をもう目にしたくない。情が深まって、色づく恐れがある。そうなってしまうのが怖くてたまらない。
 考えてはいけないと自戒し続けてきた本音が顔を覗かせて、唇を噛む。自分の心なのにどうしてこうもままならないのだろう。
 片手で顔を覆いため息をこらえたとき、イルミの声が耳に滑り込んだ。


prev top next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -