駆け引きを続けて




 屋敷の外に出ると、正面玄関にゾルディック家所有の車が停まっていた。是非を問わないイルミに肩を押され、後部座席に押し込まれる。反対側からイルミが乗り込み座席のシートに背を預けると、予め運転席にいた執事が車を発進させた。
 行き先を告げられないまま車のスピードはぐんぐん上がっていく。私はたまりかねてイルミに訊ねた。

「どこに行くの?」
「ミンボ共和国」
「えっ、そんなところまで?」
 
 てっきり近場で済む仕事だと思っていた。外に出してあげると言ったイルミの口振りがあまりにも気軽だったから。
 ミンボとパドキアは陸続きで隣り合う国ではあるけれど、ゾルディック家の邸宅があるデントラ地区はパドキアの北側に位置するため、ここから国境を超えるのは数時間はゆうにかかると想像がついた。
 予想よりも遠出になることを知って驚くが、驚くべきはそれだけじゃなかった。

「仕事は夜からだから今日はミンボの首都にあるホテルに泊まるよ」
「はぁっ!?」 

 サラッととんでもないことを言われて、たまらず声を張り上げた。

「なにそれ聞いてない!」
「うん。今言ったからね」
「……」

 少しも悪びれないイルミの態度に、怒りよりも先に呆気にとられる。

(ほんっとこいつは……いつもいつも唐突すぎる。そして圧倒的に言葉が足りてない!)

 今までどれだけイルミの気まぐれな言動に振り回されてきたことか。それなのにこの男は、まるで私が振り回しているかのように言い募る。理不尽だと思う。文句のひとつでも言ってやりたくなる。

「そんなに遠くまで行くなら出発する前に教えてよ」
「なんで?」

 イルミが首を傾げる。

「ナマエに言ったところで行き先は変わらないんだから必要ないだろ。お前に拒否権なんて無いんだし」

 と、淡々と続けた。心底理解できないと言いたげな顔で。
 だめだ。話にならない。そもそもイルミ相手に常識や気遣いを求めた私が馬鹿だった。そう自分に言い聞かせて、喉元までせり上がってきた文句を溜息で打ち消した。

「……もういいよ。」

 ふて腐れた顔になっている自覚はある。窓に頬杖をついて景色を眺めるふりをして顔を背けた。それで会話を終わらせたつもりだったが、隣からふんと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。

「キルと外出するときはいつも楽しそうにしてたくせに、オレだと不満なんだ」
「はい?」

 反射的にイルミの方を振り向いた。険しい目を向けてくるイルミをまじまじと見返す。何を言ってるんだこいつは。

「そりゃ、キルアの時とは違うもの」
「何が? 外に出られるんだから一緒だろ。もっとキルの時みたいに楽しそうにしたらどう?」
「えーと……」

 頭が痛くなってきた。何なんだこの会話は。まったく意味がわからない。

「よく分からないよねナマエって」

 イルミにだけは言われたくない。そう言いかけて、口を噤んだ。口に出したらまた機嫌を損ねるのが予想できた。
 これ以上話が妙な方向に進まないよう慎重に言葉を選んだ。

「キルアの時は仕事に同行するためっていう理由があったでしょ。でも今は、外に連れ出される目的が分からない。そんな状態で楽しめって言われても……」
「お前まだそんなこと言ってるんだ。言ったよね? ナマエの気分転換のためだって。それ以外に目的なんて無い」

 断言するイルミに、つい疑わしげな目を向けてしまう。素直に信じろという方が無理な話だ。何か魂胆があるとしか思えない。
 私の胡乱な視線を受けて、イルミは冷笑をひらめかせた。

「まぁ、せいぜい疑えばいいよ。そうやってずっとオレのことを考えていればいい」

 意味深な言葉とともに重い視線が突き刺さって、胸が騒めいた。
 イルミが何かの拍子にこういった含みのある言い回しをする度に、心臓がむやみに騒いで落ち着かなくなる。
 どうしてこんなに揺さぶられるんだろう。以前とは明らかに違う自分の心の動きに戸惑い、視線を逸らした。とめどなく流れる車窓からの景色を見て、逃げ場がないことに軽く絶望する。

(あぁ、気が重い。今日はこの後もずっとイルミと一緒だなんて――)

 そこまで考えて、ふと疑問が湧き上がった。

(……あれ? 泊まりになるってことは、部屋はどうなるんだ?)

 急に不安になってきた。一度気になると確かめずにはいられなくて、イルミの方へと向き直る。

「あの、ちなみに今日泊まるホテルって私の分の部屋もとってある?」
「ないよ」
「なっ……」

 即答され、愕然とする。私は動揺しつつもなんとか言葉を絞り出した。

「えっと……それは、つまり私は野宿ということ……?」
「オレと一緒の部屋に泊まるんだよ」

 いよいよ言葉を失った。
 途端に、先日イルミの部屋で起きた出来事が脳裏に蘇る。既成事実だのなんだのと言われて押し倒された苦い記憶。できるだけあの日のことは考えないようにしていたのに、同じ部屋で泊まるなんて言われたら嫌でも思い出してしまう。
 心臓が急激に脈打ちはじめる。喉にぶわりと熱がこみ上げて、息苦しくなった。
 こちらの動揺を目敏く察したイルミが、わずかに目を細めて観察するような顔をした。そして、暗く澱んだ眼差しに一匙分の甘さが混ざる。

「ふぅん。少しは意識するようになったみたいだね」

 愉しげな声が耳に滑り込んで、余計に心拍数が上がる。私はうつむいて否定の言葉を探した。だけど結局何も言い返せなかった。

「心配しなくても前みたいなことはしないよ」

 それだけ言うと、イルミは前方に視線を戻した。その横顔からは何の感情も読み取れない。まるで何事もなかったかのように。
 イルミの視線が外れて、私はようやくまともに呼吸ができるようになったけど、一向に動揺はおさまらなかった。心をもみくちゃにされた気分だ。
 
(騙されるな、惑わされるな……)

 そう頭の中で繰り返して、必死に自分の心を守ろうとする。しかし一方で、あとどれだけ自分を律することになるのだろうと途方に暮れる気分にもなった。
 それは、私の心に生じる確かな変化の兆しだった。


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