暗く、黒く




「同情?」

 言っている意味が分からない。ぽかんとして聞き返すと、イルミは眉を顰めて苛立ちを露わにした。

「親父に怒鳴ってただろ。どうして自分の子供を信じてやれないんだって」
「――あ」

 そこまで言われて、ようやく何を言われているのか理解した。というより思い出した。シルバさん相手に発した、無礼な言葉の数々を。

(何で……どうしてよりにもよってそこに触れてくるんだよ!)

 勘弁してくれ、と心の中で嘆いた。聞かれただろうとは思っていたけれど、まさかイルミからその話題を持ち出してくるとは思わなかった。
 身の置き所がないというか、居たたまれないというか、何とも言えない気まずさに襲われて身をよじる。そわそわと落ち着きのなくなった私の様子をイルミは威圧するようにじっと見つめていた。

「ナマエに哀れみをかけられるなんて、オレも落ちたものだね」

 苦々しげに吐き捨てられた言葉に、引っ掛かりを感じる。
 たしかにイルミを庇うような発言だったかもしれないけど、それを哀れんでいると言われるとどうにも釈然としなかった。これまで散々自分を虐げてきた相手に同情できるほど、私はお人好しじゃない。イルミに同情や哀れみなんて、違和感を通り越して不快感すら覚えた。

「違う」

 ぽろりと本音が漏れると、それは止めようもなく、明瞭な言葉となって溢れ出た。

「私はただ、シルバさんの無責任な言葉に腹が立っただけ。イルミに同情なんてこれっぽっちもしてない」

 イルミは目を見開き、一瞬言葉を失ってから、ひくっと頬を痙攣させた。
 そして、何かを諦めるような、あるいは何かを吹っ切るような雰囲気で、はあ、と大きなため息を吐いた。

「……ナマエからしたら、オレもキルと同じなんだね」
「はいっ?」

 突如出てきたキルアの名に面食らう。どうしてここでキルアが出てくるんだ。まったく意味が分からない。
 というか、キルアとイルミが同じなわけがない。大違いだ。
 否定しようと口を開きかけた時、ふと目の前に影が差した。いつのまにか至近距離にいたイルミがこちらに向かって手を伸ばしていた。

(まずい――!)

 とっさに避けようとしたが、距離が近すぎて間に合わなかった。
 頬に、するりとイルミの指が触れる。――恐ろしいことが起きたのは、そこからだった。

「――え」

 口から間の抜けた声がこぼれ落ちる。
 イルミの手が支えるように頬を包み、顎先を親指の腹が摩った。少し持ち上げらえた顔をイルミが覗き込んでくる。心底気に食わないとばかりに顔を顰めながらも、肌をなぞる手つきはひたすら優しい。

(何これ。何が起きてるの?)
 
 私はイルミに触れられて、馬鹿みたいに口を引き結んで硬直することしかできなかった。全身が緊張して、天敵がどこかへ行くのを待つ小動物の心地になる。
 イルミの顔は依然として不愉快そうに歪められていて、そんなに嫌ならさっさと離せばいいのに、一向にその手が離れる気配はない。意味不明なイルミの行為にただただ困惑した。

「ナマエは何も分かってない」

 イルミはますます眉間の皺を深くさせて、その目に批判の色を宿した。

「ナマエが発する言葉一つ一つがどれだけ影響を与えるのか。そうやってオレたちとは違う価値観を持ち込んでかき乱してきたくせに今さら家を出ようだなんて、お前こそ無責任なんじゃない?」

 冷えた声で咎められるが、どこか投げやりにも聞こえる言い方だった。

「ナマエがこの家を出て自由に生きていくのを想像すると、手足を切り落としてでも服従させたくなるよ」

 なんとも物騒なことを言われているのに、触れる手つきだけは繊細で、そのアンバランスさに目眩がした。
 イルミの手を跳ね除けたいのに、得体の知れない感覚に支配されて体が動かなかった。イルミが私に触れてくるのは、いつだって私を脅かそうとするときだった。こんな、まるで壊れ物を扱うような手つきで触られたことなんて一度もない。だから、どういう反応をしたらいいのかさっぱり分からない。自然と眉根がよって、苦虫を噛み潰したような顔になる。そういう顔でやり過ごすしかなかった。

「……でも、たとえ手足を奪われたとしてもお前はオレの手から逃れようとするだろうね」

 縋るような切なさを帯びたその声に、愕然とした。

(何それ……まるで、私に離れて欲しくない、みたいな……)

 聞いたことのない声色。見たことのない表情。突如もたらされたイルミの変化に私はうろたえた。相手はあのイルミなのに、どうしようもなく揺さぶられてしまう。

(――違う。そんな筈はない。イルミは私を苦しめたいだけだ。騙されるな!)
 
 自分の心を保つために、ぎゅっと下唇を噛む。途端にイルミの指が唇に触れ、緩めるように端までなぞった。
 ざわ、と全身が悪寒とも快感ともつかない震えに襲われる。

 ――このままでは、危険だ。すくんだ全身の筋肉を叱咤し、イルミの胸を弱々しく押し返す。
 意外なほどあっさりとイルミは私を解放した。しかし間髪入れずに横髪を耳にかけられ、露わになったそこに顔を寄せられる。ふっとかすかに笑う音が聞こえ、逃れようとした私の耳元で、イルミは低く囁いた。

「絶対に逃がしてなんかやらないけど」

 ずぷん、と。
 黒くて深い沼に足を突っ込むような、不吉な音が聞こえた気がした。


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