正義のなきがらを抱いている
「それは出来んな」
何を言われたか理解するよりも早く、私は顔を上げた。人の悪い笑みを浮かべるシルバさんをぽかんと眺めたまま、ゆっくりと数度瞬きをする。その間にじわじわと理解が追いつき、驚きと焦りがいっぺんにやってきた。
「お前はイルミとの賭けに負けたんだろう。ならオレが介入することはできない」
「なっ……」
(断る理由それ!?)
予想外の方向から突き放され、混乱に打ちのめされる。
(まずい、この場合の切り返しは考えてなかった。どうしよう)
作戦を立て直すべく必死に頭を働かせる。しかしそんな私をあざ笑うかのように、さらなる爆弾が投下された。
「むしろオレはナマエに嫁いできてもらいたいと思っている」
「はぁ!?」
つい立場も忘れて大声をあげてしまう。信じられない気持ちでシルバさんを見ると、不敵な笑みを返された。途端に不安に襲われて、心臓が激しく鼓動を打ちはじめる。
「本気で言ってるんですか……?」
「もちろん」
「そんなのキキョウさんとミルキが認めるはずがありません。下手したら家族内で抗争が起きかねない」
「まぁ、そうだろうな」
あっさりと頷かれる。こちらの切実な訴えが謎めいた瞳の奥に届いた様子はなかった。彫りの深い端正な顔に浮かんだのは、なおも面白がるような笑みだけだ。
「それが分かっているのに、私をこの家に迎え入れようというんですか」
鬼畜か、という心の声を正確に読み取ったらしく、シルバさんは口の端を持ちあげた。
「お前の望むところじゃないことは分かっている。これはあくまでもオレの願望だ」
そう言いつつも向けられる視線は威圧的で、どうにも脅されているように感じてしまう。
(まさかシルバさんがこの結婚に乗り気だったなんて……)
お互いにメリットなんて一つも無いはずなのに。一体この人は何を考えているんだろう。
相手の意図が読めず、深い不安と恐怖を覚える。それはまるで深い穴ぐらへ落ちていくような感覚だった。もしかしたら、もう取り返しのつかない深みまで嵌まっているのだろうか。恐ろしい考えが頭をよぎるが、意識して振り払った。
「私はゾルディック家に相応しくありません」
「俺はそうは思わない」
否定してから、シルバさんはまた価値を測るような目を向けてきた。
「この家に染まっていないナマエだからいいんだ」
その言葉はいろんな含みを持っているように聞こえた。
雲行きの怪しさを感じ取って、一度唾液を飲み込み、硬い声で尋ねた。
「どういう意味ですか」
「ナマエがイルミの抑止力になるとオレは考えている」
「抑止力……」
口の中でその言葉を転がすと、胸が騒めいた。
「ナマエの言う通り、イルミは暴走する節があるだろう。キルに関することだと特にな。あいつは目的のためなら手段を選ばない。オレや親父と違って標的以外の人間も平気で利用する。それこそ家族を道具にすることも厭わないだろう」
シルバさんが語る内容はイルミという人間を正しく言い表していた。その正しさに戸惑いを覚える。実の息子に対してあまりにも冷静な見方ではないだろうか。
「オレはいずれイルミの存在が一族を脅かす可能性もあると思っている」
銀色の虹彩が鈍い光を放つ。重みを感じるその眼差しと、たった今吐き出された言葉に気圧される。
私の知らないイルミを、シルバさんはたくさん知っている。親として誰よりも近くで接してきたからこそイルミの異常性を危険視する気持ちも分かる。
しかし、理解はできても納得できるかどうかはまた別の話だ。
『イルミはいつだって私の教えを忠実に守ってくれたわ。あの子は家のために尽くす私の分身よ。』
キキョウさんに言われたことが頭によみがえる。その時に感じた、もやもやと燻る感情も。
母親であるキキョウさんはイルミをモノとして見なしている。家に尽くすための道具。そして、自身の支配欲を満たすための道具として。
父親であるシルバさんはイルミを疑っている。イルミの存在がゾルディック家に害を及ぼす可能性があると。
(どうしてこの人たちは……)
両者の言葉がぐるぐると頭の中で渦を巻いている。やがてそれは加速し、沸々と怒りをこみ上げさせた。
「……イルミは危険な存在だと思います。でもそれはあくまで私から見たイルミが、です」
シルバさんが面白がるように片方の眉を持ちあげる。
これ以上は言うべきじゃない。そう分かっているのに、どうしても止められなかった。腹の底からこみ上げる衝動をおさめる術を私はいつまでも知らないままでいる。
「少なくともこの十年で、イルミが家のルールに背くような行動をしているのを私は見たことありません。誰よりも忠実に訓練をこなして、ゾルディック家のために尽くす姿をずっと見てきました。その姿をシルバさんも見てきたはずです」
イルミは歪んでいる。でも、歪ませたのはあなたたちだ。
「なのに、どうして信じてやれないんですか。親ならもっと自分の子供を信じてあげるべきなんじゃないですか!」
振り絞るようにそう叫んだ時だった。
ぶわ、と肌が粟立つ。シルバさんが放つわずかな殺気に、全身が恐怖にのみこまれる。
(殺される)
一瞬本気でそう思った。
しかし、死を覚悟して硬直する私の耳に届いたのは、くっくっ、と喉の奥から押し出されるような笑い声だった。
「やっぱりいいな。お前が欲しい」
その言葉も、向けられる眼差しも、すべてが私を脅かそうとしている気がして、答えに窮してしまう。でもこのまま黙っていたらよくないことになる気がする。例えるなら、頭からガブリと食べられてしまいそうな……そんな恐ろしい予感がしてならない。
ごくりと唾を飲み込み、重い口を開こうとした時だった。
「あげないよ」
私が口を開くより早く、答えは後ろから飛んできた。反射的に振り返り、視線の先に立つ人物を見て目を見開いた。