嵐の前の




 ミルキの協力を得ることに成功し、私はひとまず安心していた。しかしそれから数日経っても何の音沙汰もなく、日に日に焦りと不安が膨れ上がっていった。
 このままじゃイルミが帰ってきてしまう。その前には何としても逃げ出したい。そんな思いに駆られミルキの元へと押しかけたが「俺は忙しいんだよ。そんなすぐに準備できると思うな」とすげなく追い返されてしまった。

 とにかく早くしてくれと祈りながら待つことさらに数日。祈りも虚しく、とうとうイルミが帰ってきてしまった――らしい。というのも、執事から帰還を聞かされただけでまだイルミと顔を合わせていなかった。次に会ったら一体どんな目に遭うのだろうかとビクビクしながら過ごしていたが、いくら経ってもイルミは姿を現さなかった。

 与えられた部屋でメイドが運んでくる食事をとり、眠りにつく。それはひどく退屈で孤独な毎日だった。連れ戻された当初は体を癒す暇がないほど慌ただしかったのに、今は誰からも関与されることなく放置されている。しかし自由は全くと言っていいほど存在しない。常にそばに控えている執事が目を光らせているからだ。牢屋に監禁されるよりはマシだけど、不自由なことに変わりはない。

(こうやって一生飼い殺しにされるのかな)

 ゾルディック家の人間でも執事でもない中途半端な存在として死ぬまで監視されて、そうしていつか誰からも忘れられてしまうのだろうか。そんな恐ろしい想像をしてぶるっと身を震わせた。
 じわじわと脳内を侵食される感覚に耐えきれず、私は部屋を飛び出した。向かう場所は決まっている。

 ――しかし、そんな時に限ってイルミと鉢合わせてしまった。


 長い廊下の先にある曲がり角からイルミが現れ、バチッと目が合ってしまい喉の奥が凍りついた。

(まずい!)

 いけない、今すぐ逃げないと。そう焦りは募るのに足が動かない。イルミの存在に圧倒されて全身が硬直する。加えて、先日の押し倒されたトラウマが蘇って手足の先がスーッと冷えていった。
 瞬きもできずに、少し離れた場所に立つイルミを見る。てっきり接近してくるかと思いきや、イルミはその場から動かなかった。
 硬直する私を一瞥したイルミは、遠目でも分かるくらい顔をしかめた。そして不自然に目を泳がせた……ように見えた。
 え、と掠れた声が口から漏れる。あまりにもイルミらしくない挙動だったから。
 いったい何事かと凝視していると、イルミは顔を背けた。まるで視線から逃れるような強引な逸らし方だった。そうして、何も仕掛けてくることなく踵を返した。

「どういうこと……?」

 思わず口に出していた。イルミの立ち去る姿をたとえるなら「そそくさ」という表現が一番ピッタリくるような気がした。でもこれは逃げる相手に対して使う言葉だ。あのイルミが、逃げる?

 ふと、先ほどイルミが見せた表情を思い出す。それは泣き出す私に「萎えた」と言い放った時と同じく、負の感情が丸わかりな顔だった。

(もしかして、私と顔を合わせるのが気まずかった、とか?)

 そんな考えが頭を過ぎったが、すぐさま否定した。あのイルミがそんな人間らしい感性を持ち合わせているはずがない。絶対にありえない!

(じゃあ、あの反応は一体……)

 あれこれ考えては袋小路に入ってしまい、やがてはっと我に返った。何を考え込む必要があるんだ。何もされなかったんだからそれで良いじゃないか。

 頭を振って、気持ちを切り替える。はっきりしない不完全燃焼な思いも吹き飛ばすように。そうして意識的に思考を追いやって、目的の場所へと駆け出した。


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