青の屈折 光の最期
――ついに迎えたイルミとの対戦日。
選手に与えられた控え室で私はひとり項垂れていた。己の命運がかかった大事な試合だというのにまったく集中できていない。頭の中は、キルアのことでいっぱいだった。
簡単には許してもらえないと思っていたけど、まさかあそこまでとは。もしかしたら、一生許してもらえないかもしれない。想像したら、自然ときつく胸元を握りしめていた。胸のなかに広がったまま消えてくれない動揺が、焦燥感なんだとようやく気づいた。どうやら自分が思っていた以上にキルアの存在は大きなものだったらしい。そんなことに今さら気がついて、こうして嘆いてるんだから救いようがない。
(こんな状態でイルミと戦えるのかな)
控え室にいても試合場の熱気が伝わってくる。試合開始まであと少し。このままじゃダメだ。切り替えないと。そう思うのに、気持ちは萎んでいく一方だった。
長椅子に腰かけ陰鬱にうなだれていると、不意にゴッ!と棍棒でぶん殴られたような衝撃が後頭部を突き抜けた。
「いっ!?」
とっさに後頭をおさえる。落とした目線の先に、水が入ったボトルが転がってきた。これが当たったのか。痛みをこらえながら背後を振り返って、目を見開いた。
「キルア……」
控え室の入り口にキルアが立っていた。まさか昨日の今日で姿を現すと思わなかったから心底おどろいた。
キルアはまっすぐこちらを睨んでいた。蛍光灯に照らされた瞳が青く光っている。容易には話しかけられない雰囲気があって、おそるおそる声をかけた。
「来てくれたんだね」
「喜ばせるために来たわけじゃねーし」
投げやりな言葉がかえってくる。それでも、昨日よりはほんの少しだけ軟化した態度に内心で安堵する。
キルアはむっつり黙り込んでしまい、控え室に沈黙が落ちる。どうしていいか分からず視線をさまよわせていると、ふいにぎゅっと握り込まれたこぶしが目に入った。その手を見て、大きくなったな、なんて場違いなことを思ってしまう。揺り籠に寝かされた小さな小さな存在を思い出す。キルアはもう、誰かに守ってもらわないと生きられないような赤子じゃない。
「キルア、あのね」
キルアが頬を薄く痙攣させる。その表情にはふとした拍子に破裂してしまいそうな危うさがあって、慎重に言葉を選んだ。
「キルアのこと、どうでもいいなんて思ってない」
あからさまに顔をしかめられる。嘘つくなってことだろう。でも、これだけはちゃんと否定しておかないと。
ゾルディック家で過ごした十年間。イルミの存在に苛まれ、苦しいばかりの時間が積み重なった年月。その中で、キルアは唯一の光だった。私という異物を受け入れ必要としてくれたことに、どれだけ救われたことか。
「いちばん大切だから、言えなかった。ごめん……」
もっと言葉を尽くしたいのに、結局それしか言えなかった。ああ、心をそのまま明け渡すことが出来たらどんなに楽だろうか。
キルアは一瞬だけ泣きそうな顔を見せると、うつむいて、次に顔をあげたときには眦をつり上げていた。
「ゆるさねー! ナマエなんてイル兄に瞬殺されちまえ!」
「縁起でもないこと言わないでよ……」
「フン!」
ぷい、とそっぽを向かれる。でも、纏う空気が和らいだ気がする。
「……それ、やる」
キルアは顔をそむけたまま私の足元あたりを指差した。指の先を辿れば、さきほど投げつけられたボトルが転がっていた。攻撃するための武器として持ってきたのかと思ったけど、どうやら違うらしい。
「ありがとう」
床に落ちたそれを拾おうと手を伸ばしたところで、大声が響いた。
「瞬殺されたら大笑いしてやるからな!」
顔をあげたら、もうキルアの姿はなかった。
少し経って、それがキルアなりの許しなのだと気が付いた。
ボトルのキャップをひねり、口に含む。冷えた水が体に染み込んでいくようだった。