翼なき者の自由




 イルミとの対峙を終えて。ピリピリとした緊張感をまとったまま廊下を歩いていた。イルミとの試合は明日。明日の試合で、私の命運が決まる。そう思うと頭に血が上って全身に力がこもるのを感じた。
 しかし、逆上せた頭は自室に近づくにつれてどんどん冷えていった。イルミとはまた異なる、刺々しく鮮烈なオーラに気づいてしまったから。

『お前のこと絶対に許さないってさ』

 脳裏にイルミの声がよみがえって、ぎゅうっと胃が締めつけられる。いや、そんな生易しいもんじゃない。腸を雑巾のように絞られ、心臓に鋭利なナイフを当てられているような心象だ。もう逃げることはできない。断崖絶壁から飛び降りるくらいの覚悟を持って、ドアノブに手をかけた。
 扉を開いた先には、廊下までだだ漏れの殺気の持ち主がベッドの上で胡座をかいていた。

「キルア……」

 キルアはスプレーで固めたみたいな無表情だった。しかし瞳の奥には激しい憤りが見える。あまりの圧力に、こめかみにつつ、と汗が流れた。

「ナマエっていつもそうだよな」

 六歳の少年が発したとは思えない冷え切った声に萎縮する。向けられた鋭い視線にも同様に。

「結局、俺のことなんてどうだっていいんだろ」
「違う、そんなわけ」
「嘘だ。ナマエのウソつき」

 睨みすえる瞳がゆらゆらと揺れているのが見えて、罪悪感が胸に迫った。
 こんなつもりじゃなかった。もっと違う切り出し方をしようと考えていた。でも、そうやってもたもたしていたせいで結果的に最悪な形で伝わってしまった。

「キルア、ごめん」
「謝ったって出て行くんだろ」
「……ごめん」

 キルアの頬がカッと紅潮する。次の瞬間、枕を投げつけられた。放り投げられたそれが顔面に当たってなかなかの衝撃を受ける。
 キルアは感情を何一つ抑えられない様子で声を荒げて、叫ぶように言った。

「ふざけんな! 俺は絶対認めねーからな!」
「……」

 なんて言っていいか分からず口を噤めば、キルアの顔が悲しみに歪んだ。その顔を見ていられなくてうつむくが、すぐさま銀色の頭が視界に入り込んできた。

「嫌だ、行くな! そばにいろよっ!」
「キルア……」

 腰のあたりにしがみつかれる。弱ったところを見せたがらないキルアらしからぬ姿に、強固にかためたはずの決意がぐらりと揺らいだ。
 こんなにも私の存在を求めてくれる人がいる。その思いを振り切って家を出るなんて、間違ってるんじゃないか。このままキルアのそばにいた方が……。一瞬そんな思いが頭を過ぎるが、行き着く答えは変わらなかった。

「キルア、聞いて」

 傾きかけた気持ちをなんとか立て直して、銀色の旋毛を見つめる。

「キルアには私の気持ちを知ってもらいたい」

 意識して、はっきりと言い切る。しがみついたままキルアが首を横に振った。肩に手を置いて引き剥がそうと試みるがビクともしない。仕方なくそのまま話し始めた。

「私、嬉しかったんだ」

 切り出した言葉に、腰に巻きついた身体がぴくりと反応する。

「小さい時にシルバさんに拾われて、イルミたちと一緒に訓練を受けるようになって。ただの実験台に過ぎなかったけど、誰かに役目を与えてもらうなんて生まれて初めてだったから」

 シルバさんに家を出たいと打ち明けたあの日からずっと考えていたことを吐露していく。予め用意していた台詞は吹っ飛んでしまって、愚直に伝えることしかできない己の不器用さに自嘲の笑みが漏れた。

「こうしてキルアと一緒にいさせてもらえるようになって、この先もずっと何かしらの役目を与えられながら生きていくんだと思ってた。でも、このままじゃダメだって気づいたんだ」
「なんで」

 眼下からくぐもった声が聞こえてくる。声色は固く、責めるような響きを含んでいた。

「私はゾルディック家の思想に反する存在だから、いつか与えられた役目を果たせたくなる。それに……」

 言葉を切って、息を吸い込む。そしてゆっくり吐き出した。

「役目を与えられるのを待つだけの人形になりたくない」

 それは、嘘偽りない私の本心だった。

「ミルキにお前の役目は終わったって言われて、確かにそうだなって思ったんだよね。そうなると、私の存在って何だろうって」

 自分が空っぽなことに気付いて、勇気を出して一歩踏み出したらあっさりと扉が開いた。おかげで今まで心の奥底にしまい込んでいた欲求が顔を出してしまった。人形同然だった私が、外の世界では別の何かになれるかもしれない。一度持ってしまった希望は、もう無視できなかった。

「だから、その……」

 これまで淀みなく喋れていたのに、急に口ごもってしまう。外の世界で自由に生きてみたい、なんて。そんな残酷なことをキルアに告げるのが憚れたから。宙に浮いた言葉は迷った末に力ない謝罪に帰着した。

「ごめん」

 ただ本音を連ねただけの独り善がりな言い分をキルアはどう思っただろうか。おそるおそる肩に触れようとしたが、その手は弾かれた。

「ナマエの裏切り者」

 垣間見えたキルアの瞳に、どくり、と心臓が嫌な音を立てた。塗りつぶされたように真っ黒で、その目はまるで……。
 反応できないでいるうちに、キルアは部屋から出ていってしまった。私は何もできなかった。キルアを追いかけることも、何も。

 あの家で唯一心の拠り所だった少年を自ら手放した。傷つく権利などあるはずがないのに、湧き上がる強い喪失感をどうすることもできなかった。


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