閉じた瞼をこじあける





「イルミ」

 目が合った途端、真正面から近づいてくる。反射的に後ずさるが、すぐうしろにカウンターがあるせいで距離を取ることは叶わなかった。開いた距離はすぐに詰められてしまう。
 間近で見下ろされる圧迫感に耐えながら、イルミを睨みあげた。

「こんなことして、どういうつもり?」
「ナマエにチャンスを与えてやろうと思ってさ」

 すいと顔を近づけられた。瞳の奥のどこまでも続く暗闇が動きを縛る。

「この試合に出るなら、家を出るチャンスを与えてやってもいい。ただし試合を放棄するなら強制的に家へ連れ戻す」
「なっ!」

 あまりの発言に言葉を失った。
 何を言ってるんだこいつは。まるで選択の余地なんてないじゃないか。こんな理不尽な話があってたまるか!
 しかし、拒否よりも先に退路が断たれてしまう。

「逃げてもいいよ? ただし、その時はオレも容赦しない。どこに隠れようが必ずお前を見つけ出す」

 噛んで含めるような物言いにふるえあがった。
 万が一、逃げ切れたところで長くは続かないだろう。常にイルミの気配に怯えながら、日陰に隠れて生きていく日々を想像してぞっとした。同時に、泣き出したい気持ちになった。

(やっと、やっと自由になれると思ったのに。どうして放っておいてくれないんだ。どこまで私を苦しめれば気が済むんだ!)

 失意はやがて憤りに変わる。もうイルミの存在に脅かされたくない。イルミの言いなりになんか、なりたくない。
 奥歯をぐっと噛み締めて、イルミに向き直った。

「その試合でイルミに勝ったら、家を出るのを許してくれるわけ?」
「勝つ? ナマエがオレに? はは、おもしろいこと言うね」

 一笑に付されたのち、嘲りの言葉が続いた。

「その条件だったら万に一つもお前に可能性はないね」
「じゃあどうすればいいの」
「うーん、そうだな」

 イルミが長い指を口元にあて、わざとらしく考えるそぶりを見せた。

「そうだ、試合中に一発でも俺に入れられたらナマエの勝ちってことにしよう」
「……へえ、ずいぶんと譲歩してくれるんだ」
「これくらいハンデをやらないと勝負にならないだろ? まあそれでもお前には無理だろうけど」

 小馬鹿にしたように跳ね上がる語尾に唇を噛む。
 イルミの常套手段だ。相手をくだらない、取るに足らない人間のように扱い、貶める。自尊心を打ち砕いて巧みに操り、なんでも自分の思う通りにするんだ。
 ついこの間までだったら、それでも尻尾を巻いて逃げていたかもしれない。でも、今は違う。闘技場の試合をこなして自らの力量を知れた。イルミには到底敵わないとしても、一発入れるくらいの実力は備わっているはず。決して勝ち目のない試合じゃない。

(でも、もし負けたら?)

 この先ずっとあの家に縛られ続けるのだろうか。もしかしたら、一生。
 でも、それは逃げたところで同じこと。だったら、少しでも自由になれる可能性がある方に賭けたい。
 葛藤を振り払い、じろりとイルミを睨み据えた。

「本当に一発だけでいいのね? 自分が言ったこと忘れないでよ。あとから撤回するとかナシだからね」
「ナマエじゃあるまいし、オレは自分の発言を忘れたりしない」

 なんとも嫌味ったらしい口調に鼻白む。イルミのやつまだ根に持ってるのか。

 不安と恐怖と、ほんの少しの希望。そのすべてが綯い交ぜになった溜息を吐きだす。
 イルミにとっては捕らえた獲物を戯れにいたぶるのと同じだろう。それでも今は、こいつの手の上で足掻くしかないんだ。
 勇気を奮い立たせて、口を開いた。

「わかった、試合を受ける」
「よし、決まりだね」

 口調だけは明るく、イルミはわざとらしく手を叩いた。

「じゃ、精々頑張って」

 そう言い捨て、悠然とした足取りで去っていった。

 その後ろ姿が見えなくなるまで見届けて、ああ、と心の中で落胆の呻きをもらした。
 もう無視できない。ここまで露骨に見せられてしまったらもう……。
 ――ずっと見ないふりしてきたもの正体。それは、イルミからの執着だ。
 考えないようにしていただけで、本当は心のどこかで気付いていのかもしれない。だから、家を出ると伝えたあとイルミから無関心な態度を取られてショックを受けたんだろう。でも今こうして過剰な執着を向けられて、無関心でいられた方がどれだけ良かったかを痛切に思い知った。イルミからの執着なんて、有害以外の何物でもない。

「絶対に負けられない」

 ここで勝たなければ、私は一生イルミに囚われたまま。そんなの絶対に嫌だ。刺し違えてでも、かならず自由を手に入れてみせる。
 強い決意を胸に、その場をあとにした。


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