眠れる狂気が花開く




 おそるおそる扉を開けば、そこには無表情のイルミが立っていた。
 突然の襲来に困惑する私に構わず、ずいっと部屋に押し入られる。迷いのない足取りで備え付けのソファに腰を下ろす姿を見て、途端に緊張感が増した。長年の習性から、イルミを前にすると否応なしに警戒してしまう。

「キルに話したよ。お前が家を出るって」

 顔が強張るのが自分でわかった。
 やっぱり、キルアの殺気の原因は私か。大方予想はついていたけど、改めて突きつけられるといよいよ追い詰められた心地になる。

「驚いたよ。まさかまだキルに話してなかったなんてね。ナマエのことだからどうせズルズル言い出せないままでいたんだろうけど」
「ぐっ……」

 まったくもってその通りなので何も言い返せない。イルミのやつ、わざわざ嫌味を言いに来たのか。
 じっとこちらを見据える瞳に居心地の悪さを感じながら、恐る恐る口を開いた。

「キルア、なんて言ってた?」
「お前のこと絶対に許さないってさ」
「っ!」

 声にならない悲鳴がもれる。同時に、先ほど浴びた殺気を思い出して震え上がった。きっと、イルミの口から聞かされたのもキルアの怒りを増幅させた要因だろう。こんなことになるならさっさと伝えておけばよかった。どうして私はいつもこうなんだろう。
 半泣きの心境でいる私を横目に、イルミはわざとらしく溜息を吐いた。

「ナマエさ、本当にこのまま家を出るつもり?」
「そうだけど」
「ふぅん。あの状態のキルを放置して逃げるんだ」
「キルアのことはなんとか説得するよ」
「なんとかって? そう易々とキルが納得するとは思えないけど」

 言葉に詰まる。イルミの言う通り簡単じゃないだろう。

 それにしてもイルミのやつ、今日はやたらと突っかかってくるのは何故だろう。ここ数日は全く関わってこなかったくせに。
 もしかして、キルアに恐れをなして私が家を出るのをやめるんじゃないかって危惧してるんだろうか。

「完全に納得させるのは無理かもしれないけど、ちゃんと話してみるよ。キルアに何を言われても家を出る意志は変えないから安心して」

 あっそ、ならいいけど。くれぐれも面倒ごとは起こさないでくれよ、とか嫌味っぽい忠告の一つや二つが飛んでくるかと思いきや、予想に反してイルミは黙り込んでしまった。

 いきなり舞い降りた奇妙な沈黙に、ひどく落ち着かなくなる。イルミがじっと見つめてくるからだ。真っ暗な瞳を見ていられなくて思わず顔を背ける。それでも一向に視線が外れてくれなくて、無性に逃げ出したくなった。ああもう、何なんだ一体!

「ナマエってさ、無責任だよね」
「……はい?」

 耳を疑った。あまりにもイルミらしくない言葉が聞こえてきたから。
 ゆっくり顔を上げると、少しだけ眉を顰めたイルミがこちらを見ていた。ちょっと待て。どうしてそんな気に入らないみたいな顔してるんだ?

「今まで散々人の邪魔をしておきながら今さら出ていくなんて虫が良すぎると思わない?」
「な、なに言って」

 なんだか話が妙な方向に驀進してる気がしてならない。たまらず声を張り上げた。

「だから、そんな邪魔な存在なんてさっさと出て行った方が都合がいいでしょう!」
「そう言えばオレが納得するとでも? もうその手には乗らない」

 即座に返され、言葉を失う。
 瞬間、一週間前の飛行船でのやり取りが脳裡に蘇った。同じような問答に、イルミはらしくない反応を見せた。でも、今回はまったく違う。その瞳には、あの時見せた当惑は微塵もない。
 すうっと、神経が凝結したような気味悪さを感じた。たまらなく嫌な予感がする。

「で、ここに来てからずっと考えてたんだよね。ナマエの活用方法」

 イルミは腰掛けていたソファから立ち上がると、一歩ずつ距離をつめてきた。反射的に下がるが、すぐに背後の壁にぶつかってしまう。

「部外者が家に居座るのは気に食わないけど、ここまでオレ達一族と関わっておきながら野放しにするのもどうかと思ってね。ならゾルディック家に嫁いでくればいい話だ。そうすればお前を家の人間として教育できる。名案だろ?」
「はぁあ……?」

 もう意味を成さない言葉しか出てこなかった。
 何を言っているんだこの男は。本当に、一ミリも理解ができない。目の前にいる人間がイルミ本人なのかすら疑わしく思えてくる始末だった。

「イルミ、自分が何を言っているか分かってる? それ、私とイルミが結婚するってことだよ?」
「は? なんでオレが。おぞましいこと言わないでくれる?」
「なっ!」
「そうだなーミルキあたりが妥当かな。ナマエと年も近いしね。うん、それがいい」

 あまりの言い種にさすがにカッとなる。

「勝手に決めないでよ! ていうかミルキがそんなの認めるわけないでしょ! 私と結婚なんて死ぬほど嫌がるに決まってる!」
「それもそうか。仕方ない、オレが我慢するか」
「はあああ???」

 もはや、宇宙人と会話してる気になってきた。
 本気で意味が分からない。今まで散々理不尽な目に遭わされてきたけど、ここまで理解不能なことを言われたの初めてかもしれない。どうしてそんな奇想天外な発想に至ったんだろう。
 でも、とにかく今はイルミの馬鹿げた提案を否定するのが最優先だ。このまま丸め込まれてゾルディック家に嫁入りなんて、冗談じゃない!

「我慢なんてしてもらわなくて結構! とにかく私はあの家を出るから!」
「認めない」

 思いがけず冷ややかな声色で切り捨てられ、ぎょっと竦みあがった。

「家を出ていくなんて認めない。ナマエ、お前の好きにはさせないよ」
「な……」

 (何を今更。認めないなんてそんな、どうして……)

 血が上っていた頭が一気に冷えていくのを感じた。真っ向から見据える目に搦め捕られ、うまく息ができなくなる。
 信じられない。なぜイルミがそんなことを。やっと、やっとあの家から解放されると思ったのに、今さらどうして……。
 胸の底に潜んでいた漠然とした不安が深い絶望に変わる。ショックのあまり目の前がぐらりと歪んだ気がした。

「そんな、そんなの」

 ――狂ってる。
 そう口に出そうとして叶わなかった。

「あ、れ」

 立っていることが難しくて、その場に片膝をついた。ひどい船酔いにあってる気分だ。二重にも三重にも見える視界にイルミの足が映り込む。その時になってようやく、イルミの右手に針が握られていることに気が付いた。

 遠のく意識の中、耳元でイルミの声が響き渡った。

「ここまで俺を煽った罰だよ、ナマエ」


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