境界線を引いたのは




「イルミと話がしたいんだよ」

 重く、不快なものを孕んだ空気が肌に突き刺さる。それでもなお食い下がると、出入り口の近くで待機している執事がまたお前かとばかりに睨みつけてくるのが視界に入った。今回は啖呵を切るつもりはないんですと心の中で弁解しておく。

「イルミと落ち着いて話したことなんてほとんどなかったでしょ。いい機会だし、私の考えをイルミに知ってもらいたい」
「ふぅん」

 聞く耳持ちませんって顔してる。一見無表情だけど、十年も同じ家で過ごしてるんだからそれくらいのことは分かる。

「私は別にイルミのやり方を全否定してるわけじゃないよ」
「へー」
「昔は分からなかったけど、今はイルミの考えも少しは理解してるつもりだし」
「理解、ね」

 イルミのつぶやきは完全に嘲笑一色だった。どの口が言っているんだとばかりの態度。まるで私とイルミの間には、気持ちや言葉を歪ませるレンズがあるみたいだ。まっすぐに伝わらない。

「ナマエに理解されたいなんて思ってないけど。お前ごときに理解できるとも思えないし」

 完全なる拒絶。どんなに感情をのせた言葉をぶつけても、イルミの核心に当たるどころか、かすりさえしないような気がしてくる。心が折れそうになるが、最後になるかもしれないと思うと諦める気は起きなかった。
 ここは慎重に言葉を選ばなくてはならない。まずは結論から伝えよう。鉄壁の要塞に風穴を空けなくては。じゃなきゃ、いくら言葉を尽くしたところでイルミの元には届かない。

「イルミはさ、何よりもまずキルアの暗殺者としての人格を確立させたかったんでしょ? そうじゃないと、キルアの命に危険が及ぶから」

 イルミがピクリと反応を見せた。その隙を逃さず、言葉を募らせる。

「前にイルミ言ってたよね。仕事をするときの俺たちは道具と同じだって。最初にそれを聞いたときは、なんて酷いことを言うんだろうって思った。理解もできなかったし。でも、キルアの仕事に同行するようになってから、やっとその意味が分かった」

 イルミは何か言いたげだったけど、まずは聞いてくれる気になったのか先を促すようにじっとこちらを見た。その視線につられ、自分なりの解釈を探り探りで吐露していく。

「誰かの悪意の容れ物になる暗殺者は、殺しの道具に徹しなくちゃいけない。そこに余計な感情が混じったりしたら、暗殺者の身は危険に晒されることになるから。…それだけじゃない。自覚が曖昧なうちに人を殺すことに慣れてしまったら、ただの犯罪者にもなりかねない。そうならない為にも、まずはキルアの中に完璧な暗殺者としての人格を作り上げる必要があった」

 誰に教えられたわけでもない。私がこの家で過ごした十年の間で、少しずつ染みついていった考え方だ。ぼんやりと意識していたそれを、言葉にすることで明確化していく。正しいかどうかは分からない。途中で不安になって言葉を止めたけれど、イルミは何も言わなかったから「でも」と続けた。

「その為には、暗殺者として育てられなかった私の存在は邪魔だった。傍にいたらキルアが余計な思想を持ちかねないから。だから、私をキルアから遠ざけたかったんでしょう?」

 面と向かって話すのはまだ気後れがして、目を合わせないまま問いかける。イルミからの反応はないが、反論もないということは肯定と同義だろう。

 私とイルミ――ひいてはゾルディック一族の間には、目には見えないボーダーラインがある。決して越えることができないその垣根の外側から、ずっと彼らを眺めてきた。長年の歴史の中で形作られた一族の思想は、部外者が容易に受け容れられるものではない。でも、何もかも理解出来ないわけじゃない。
 だいぶ歪んだ形であるし、支配と紙一重ではあるけれど、それでもイルミなりにキルアを守りたいという思いがあってのことなのだと今なら分かる。(それでも針で矯正するのはどう考えてもやり過ぎだと思うけど)

「イルミにとって私は不穏分子でしかないかもしれないけど、この家の教えに逆らって何かしてやろうなんて思ってないよ。そもそも私が何を言おうとキルアはもう立派に暗殺者だしね」

 初めて明かす心情は、いわば降伏宣言に近い。逆らう気などないとちゃんと伝わっただろうか。俯いていた視線を上げると、イルミは珍しく感情を露わにしていた。

「……まさか、ナマエがそこまで理解してたなんてね」

 驚きだよ、と目をまるくしている。完全に意表を突かれたような反応だった。
 切々と尽くした言葉がイルミにもちゃんと届いたことに、喜びと安堵が押し寄せる。

(これはもしかしたら長年の因縁にケリつけられるんじゃないか?)

 そんな甘い考えが頭を過ぎるが、すぐにイルミはいつもの無表情に戻ってしまった。いや、いつもより目が座っている。

「そこまで分かっておきながら今でもキルを連れ回す神経が理解できないんだけど」
「そ、それは……」

 言葉に詰まる。
 仕事終わりの寄り道は、半ばキルアによって強引に付き合わされているのだけれど、発端は紛れもなく私なのだからなにも言えなかった。この流れはまずい。じとりとこちらを見据える目に焦りが募る。
 せっかくいい感じに話が進んでたのに。今ここでネチネチと詰められたら堪ったもんじゃない。

「ま、まぁ、今回の件が終わったらこの家を出て行くつもりだから安心してよ! そうしたら連れ出すなんて事もう出来なくなるし」

 話を逸らすため、咄嗟に口走った。イルミにとっては吉報であろう知らせで機嫌を直す作戦だ。おそらくシルバさんから話は聞いてるんだろうけど、一時でも話をすり替えられればそれでいい。

 けれど、イルミが次に見せた反応は、こちらの予想とは大いに異なるものだった。


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