向き合う勇気




 こんな地獄のような状況に追い込まれるなんて、誰が予想できただろうか。


 今、私はゾルディック家専用の飛行船の中にいる。向かう先は天空闘技場。数日前にシルバさんから言い渡された任務を果たすため、キルアと数人の執事、そしてイルミと共に乗り込んでいた。
 さすがゾルディック家所有の飛行船。乗り心地は抜群で、船酔いなんてしようはずもない。……にも関わらず私の体調は絶賛下り坂だった。胃の中に大きな氷のかたまりがのっかってきたみたいに気持ち悪い。

 不調の原因は分かっている。目の前の不気味な圧力を放つ男のせいだ。

「……」
「……」

 何故だか今、船内の談話室のような場所でイルミと向かい合わせに座っていた。会話は一切ない。痛いほどの沈黙がかれこれ一時間ほど続いている。

(誰か助けて……)

 不幸なことに頼みの綱であるキルアは飛行船に乗り込んだ途端どこかへと消えてしまった。まだ腹の虫が収まっていないのか。いや、私とイルミのいざこざに巻き込まれたくなかったのかもしれない。
 お願いだから置いていかないで! とキルアの後を追おうと足を踏み出した瞬間、力強く肩を掴まれた。

「どこ行くつもり」

 そう凄まれて、全身の毛穴に針を刺しこまれたような気分になった。完全にタイミング間違えた。せめて時間を空けてからキルアを追いかけるべきだったと後悔するがもう遅い。逃げ場を失った私は、こうして恐怖の象徴と向き合う羽目になってしまった。

 目を合わせられず俯いたまま一時間。イルミが動き出す気配は一向にない。ただ威圧的に見下ろしてくるだけ。
 どういうつもりなんだろう。イルミも私の顔なんて見たくないだろうに。もしかしてこれも精神的な拷問のつもりなのだろうか。だとしたら効果は覿面だ。
 トイレに行くふりでもして逃げ出してしまおうかとも考えるが、下手に動き出す勇気もなく身を捩るだけで終わる。そんな事を延々と繰り返す中、最初にアクションを起こしたのはイルミだった。

「キルと喧嘩しているんだって?」

 頭上から降ってきた声に、反射的に顔を上げる。言われたことがうまくのみこめずにいると「親父から聞いた」と付け足された。

「う、うん」
「いつから?」
「えっと、もう一週間くらい前かな」
「へえ。あいつがそこまで怒るなんて珍しいね。で、何が原因なわけ?」

 感情の感じられない声でずばりとたずねられる。
 まずい。尋問がはじまってしまった。

「えーと」

 まさか『あなたのことを嫌いだと言って怒らせました』なんて。口が裂けても言えるはずがない。

「別にイルミが気にするようなことじゃ……」
「それを判断するのはオレであってナマエじゃない」
「ソウデスネ」

 誤魔化すことは許されないらしい。さて、どう言えば丸く収まるだろうか。脳をフル回転させたが、そんな都合の良い言い訳がすぐに思いつくはずもなく。あー、とかうーとか、意味を為さない呻きをこぼしているうちにイルミから「もういいよ」と切り捨てられた。

「どうせナマエが悪いんだろうし」
「……」

 そんなにはっきり決めつけられると些かの腹立たしさが募った。かと言って下手に反論すれば余計に詮索されるのが目に見えている。
 何も言えず押し黙っていると、熱のない視線に貫かれた。

「それに、このままキルアに嫌われてくれればオレにとっては好都合だしね」
「……っ」

 何気なく放たれた言葉の棘がやけに引っかかる。
 いつも通りのやりとりだ。これくらいのことは何万回と言われてきている。傷つくような時期はとっくに過ぎた筈だ。
 なのに、この言いようのない虚しさは何なんだろう。

(もしかしたら、こうしてイルミと話すのはこれが最後になるかもしれない)

 今回の件が終われば、 私はゾルディック家を出る。そうなればそうそうイルミと顔を合わせることも無くなるだろう。下手したら一生会わないかもしれない。
 ――私という存在は、イルミの中で『弟に悪影響な邪魔者』のまま終わるのだ。
 そう思うと、形容し難い衝動が駆け巡って、気づけば口を開いていた。

「あのさ、前から思ってたけど、私はイルミの邪魔がしたい訳じゃないよ」
「は?」

 イルミの細い眉が訝しげに顰められ、船内に不穏な空気が満ちた。

「急になに?」
「誤解を解いておこうと思って」
「お前、なにいってるの」
 
 イルミは苛立たしげに足を組み替えた。絡みついて仕方ないクモの巣を払いのけるみたいな、いまいましさ一杯の感じ。ああ、本当に私は毛嫌いされている。
 その反応に打ち負かされそうになるがぐっとこらえた。シルバさんの一件で、私は人と向き合う努力を怠ってきたのだと思い知らされた。そうやって逃げ続けてきた結果が目の前のイルミだ。
 今更すぎるかもしれない。だけど、このまま終わるのはどうしても嫌だった。


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