ひとりぼっちで指切り
「それなら、出て行かなくてもいいだろう」
「え?」
「外に興味があるなら、暫く旅にでも出ればいいんじゃないか?」
至極あっさりと切り返され、面食らった。
思わず、目の前の精悍な顔をまじまじと見てしまう。不躾な視線を歯牙にもかけず、シルバさんは悠然と微笑んでいた。
(そういう選択肢もあるのか)
外の世界に興味があるという私の希望を叶えた上で、この家に残る方法。確かにわざわざ出ていかなくても、それで済む話なのかもしれない。
けどまさか、あのシルバさんがそんな折衷案を提示してくれるだなんて。呆れられるか、興味がないと切り捨てられるかのどちらかだと思っていたのに。
予想を覆す反応にただただ驚いた。私が思っていたよりもずっと、話が通じる人なのかもしれない。
けれど更に驚くべきことが、もうひとつある。
そんな有難い提案をされてもなお、ゾルディック家を出たいという気持ちは変わらなかったことだ。
「でも、私はいつまでもこの家にいちゃいけない気がするんです」
「何故そう思う」
銀色の眸がこちらを射抜く。咎めるような鋭さはない。ただ、こちらの真意を図ろうとする様子に、奥底に沈み込んでいた感情が一気に突き上げてくるのを感じた。
「――私は、この家の人間じゃないから」
不意討ちをくらったかのように、刹那、シルバさんから表情が消える。
「どんなに長くこの家に居たって、私はこの家の人間にはなれない。だから、外で生きていけるようになりたいんです」
自然と口を衝いて出た言葉に、何より自分が驚いた。
(これが、私の本心?)
ひどく戸惑いながらも確信せざるを得なかった。だってこんなにも腑に落ちている。体の奥底のあるべきところにぴったりと収まったような、そんな感覚。
シルバさんの鋭い目線に切り込みを入れられ、自分でも気づかなかった本音が溢れ出してしまった。一度決壊したものはもう、止められない。
「シルバさんの申し出はすごく有難いです。でも、やっぱり私はこの家を出たい。いつまでもここにいたら、自分じゃいられなくなる気がするんです」
その瞬間、シルバさんの瞳が見開いて、瞳孔がぐっと絞られた。まるで、眩しいものを見たときのように。
好き放題言ったところで、再び堪え難い沈黙が降りる。じっとこちらを見続ける猛禽類のような瞳に、またしても呼吸が奪われそうになった。
あんな生意気な発言して、命知らずもいいところだろう。怒らせてしまっただろうか。いや、もはや殺される?
まるで審判を下される罪人のような気持ちでいると、不意にシルバさんが喉を鳴らして笑い出した。
「そうか。そこまで言うならナマエの好きにするといい」
「あっ、ありがとうございます!」
思いがけず向けられたその笑みに、反射的に頭を下げた。
好きにするといい。そう言ったシルバさんの声が鼓膜を揺らし、背筋をビリビリと痺らせ、やがて全身に迸った。
許された。許されたんだ。
私はこの家を――ゾルディック家を、出て行ける。
お辞儀した状態のまま、腹の底からじわじわと高揚感が込み上げる。しかし同時に複雑な感情が頭を擡げていた。
ゾルディック家に連れてこられてから十年。この家から出て行くことは不可能なのだと、一度たりとも信じて疑わなかった。けれど実際はこんなにも簡単な話だったんだ。
(もっと早くこうしておけばよかった)
そうすれば、イルミと関わることはなかっただろう。数々の仕打ちを受けることも……。
激しい後悔が押し寄せかけたところで、ふと猫っ毛の銀髪が思考を覆った。
――もし、もっと前にこの家を出て行っていたら、キルアはどうなっていたんだろう?
赤ん坊だったキルアに容赦なく針を突き刺そうとしたイルミと、それを黙認する周囲。きっと今ごろは、意志の持たない操り人形になっていただろう。
それを防げただけでも、私がここにいた意味はあったのかもしれない。そう考えると少しだけ救われるような気がした。
(過ぎたことをくよくよ考えてても仕方ないよね)
今は喜ぼう。どうしようもないと思っていた状況から抜け出せることを。