息をしてもいいのですか





「それで、キルを外に連れ出そうって気か」
「はい?」

 言われたことが上手く飲み込めずきょとんとしていると、より一層険しい剣幕で捲し立てられた。

「お前が手に持ってるそれだよ! そこにキルを連れ出して機嫌取ろうって魂胆だろ」
「――あ」

 それ、と指差されたものに視線をおとして思わず声がもれた。
 ミルキが差し示す先――私が手に持つそれは、先ほど本棚から持ち出してきたハンドブックだった。表紙には『ヨルビアン大陸を巡る7泊8日の旅』とでかでかと書かれている。

「あれだけイル兄に絞られておきながら挙げ句の果てに旅行かよ。本当に懲りないやつだな」
「や、これは」
「言っとくけど、イル兄にバレたら今度こそ殺されるからな。キルの機嫌を直したいならもっと別の方法にしろよ」
「ちがうって! そんな命知らずな計画企ててないから! これは自分用に持ってきただけで……」
「はあ?」

 あ、まずい。
 口を抑えるがもう遅い。滑り落ちた言葉はしっかりとミルキに届いてしまった。

「どういうことだよ。ナマエの分際で一人旅でもしようって?」
「あー、うん。そんな感じかな」
「……お前、なにか隠してるだろ」

 ミルキから射抜くような視線を向けられて、自分の失態を悟った。
 やってしまった。どうしていつも上手く誤魔化せないんだろう。自分の間抜けさにはほとほと嫌気がさす。

(こういう時のミルキって厄介なんだよなぁ)

 ミルキは、一旦気になった物には信じられない程しつこくなるきらいがある。納得いく答えが得られるまでとことん追い詰めてくるだろう。
 下手に誤魔化すのは逆効果だと判断し、渋々ながら口を開いた。

「こんなところに住めたら良いなって思って持ち出しただけだよ。眺めて楽しむだけ。キルアを連れ出そうなんて考えてないから」

 言った後、なんだか無性に気恥ずかしくなった。まさかこんなささやかな趣味を曝け出す羽目になるとは。出来れば知られたくなかった。馬鹿にされるのが目に見えてるから。

 ミルキは眉を顰めたまま黙り込んでいた。何も言わないけど完全に「こいつ何言ってんだ?」って顔してる。きっとこの後は分不相応だの立場を弁えろだの罵詈雑言が飛んでくるんだろう。居た堪れなくて、自ら沈黙を破った。

「私の分際で家を出たいだなんておこがましいって言いたいんでしょ? 分かってるよ。別に本気で出ようなんて思ってないし。でも想像して楽しむくらい良くない? 誰にも迷惑かけてないし」
「は? なにごちゃごちゃ言ってんだよ。勝手にすればいいだろ」
「へ」
「そこに住みたいならそうしろよ」

 まさかの返答すぎて一瞬フリーズした。

「いや、あっさり言ってくれてるけどそんな簡単にこの家を出て行けないよ」
「はあ? 簡単な話だろ? 出て行きたいなら出て行けばいい。躊躇う意味が分からないね」
「でも私はシルバさんに拾われた身だし、そんな身勝手なこと許されるわけ……」
「お前なぁ」

 これみよがしの溜息を吐かれる。

「何か勘違いしてないか? ナマエがこの家から出ていこうが誰も気にしない。そんなの気にしてる事の方が数段おこがましいんだよ」
「なっ!」

 刺々しい言葉の羅列に一瞬反論したくなる。けど、返す言葉が見つからなかった。
 確かに、ミルキの言う通りかもしれない。私が出て行ったところで、この家の人間は歯牙にもかけなさそうだ。イルミに至っては大喜びする姿が容易に目に浮かぶ。あ、でもキルアは悲しんでくれる……はず。そう信じたい。

「そもそも家族でもないお前がこの家に住んでる事がおかしいんだよ。それとも何か? パパにこの家を出て行くなとでも言われてるのか?」
「や、そんなことはないけど……でも、シルバさんに拾われたときにイルミとミルキの相手をするようにとは言われてる」
「それって訓練に付き合えってことだよな? ナマエはもう参加してないだろ」
「まあ、そうだけど……でも、キルアのこともあるし……」
「あーーもう! グダグダうるさいな! もうお前の役目は終わったんだからさっさと出て行けってば!」

『役目は終わった』
 その言葉が、スコンと腹の底に落ちていった。
 酷い事を言われている筈なのに、なんだか体が軽くなったような気がした。

「ほんとに、出て行ってもいいのかな」
「しつこいな! そんなに疑うなら確かめてこいよ!」

 カッと歯をむき出しにして怒鳴られ、思わず怯んだ。

「確かめるって……」
「今からパパのところに行って聞いてこい」
「はい!? いや、無理! いきなりシルバさんの所になんて行けないよ!」
「パパに聞くのが手っ取り早いだろ。僕が言った事が間違いじゃないってわかるさ」
「えええー……」
「いいから早く行け。そして一刻も早くこの家から出て行け」

 ひどい言われようだ。十年という長い年月を共に過ごしてきたのに、思い入れなんて欠片も持たれていないのがよくわかる。

「……分かったよ。シルバさんに聞いてみる」

 返事はなく、しっしっと手のひらで払われた。野良犬か私は。

 ミルキに追い立てられるまま、私はすごすごと書庫を後にした。


prev top next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -