透明になりたい 2
「ところで南野君……この状況、南野君の力でどうにかできないの」
なんとなくだけど――南野が力のある妖怪だってことは分かる。そこらへんにのさばってる連中とは明らかにオーラが違うもの。その力を奮って強行突破してくれないだろうか。
一縷の望みをかけて尋ねてみると、南野は困ったように笑った。
「残念ながら、オレの力じゃどうにも」
「じゃあ外に助けを呼ぶとか、何か向こう側に合図を送る方法とかない?」
「ないですね」
即答に違和感を抱く。本当だろうか。
どうにも疑わしくてじっと南野の顔を見つめてみるが、まっすぐ見つめ返されてこちらがたじろいでしまう。
「名字さんはこの状況をどう考えます?」
視線を合わせたまま問い返される。当たり障りのない世間話で暇をつぶすかのような気軽な口調だった。
「私に聞いても意味ないと思うよ」
「まあ参考程度に」
ふ、と南野が小さな笑いをこぼす。期待してないのが丸分かりの態度だ。
(何だろう。悪い奴じゃないのは分かるけど、どうにも鼻につくというか、いけ好かないというか……)
私は微妙な気持ちを抱きながら口を開いた。
「相手の目的は十中八九南野君でしょ。ただの人間の私を閉じ込める理由がないもの」
「そうかな。オレからするとあなたも十分狙われる理由があると思うけど。オレの正体にも気づいてましたし」
「ちょっとやめてくれる? 私は南野君と違ってか弱いただの人間だから! 少しだけ変なものが見えるってだけで……」
「へぇ。ちなみにオレのことはどう見えてます?」
南野が軽く身を乗り出して、興の乗った口調で問いを投げてきた。自らを指差し、こてんと首を傾げながら。
この男、あざとい。
「別に普通だよ。見た目は人間にしか見えない」
「ということは、他に人外めいた部分が?」
「それは……」
正直に言っていいものか迷う。なんだか妙な方向に話が進んでいないだろうか。ささやかな警戒心が胸を過ぎるが、親しげな笑顔を前にあっさりと霧散した。
「うーん、なんて言ったらいいんだろう……」
答えながら思案する。言葉にするのは難しかった。つまるところ『何となく』でしかないのだ。説明のしようがない。
それでも南野の視線は答えを求めていた。私は必死に頭を捻って、この不明瞭な感覚を言い表すための言葉を探った。
やがて、ぴたりと当てはまる言葉が見つかって、深く考えずに口に出した。
「南野君の場合は、人を真似て化けてるんだろうなって感じがする」
ふいに、周囲の空気がひんやりと冷たくなった。私の目を覗き込んだ南野の表情が、ひるみそうになるぐらい冷たいものに変わる。
「ふぅん。なるほど」
抑揚のない声に、うなじから背筋にかけてざわざわと鳥肌が立つ。
目が合うと笑みを向けられたが、それはどこか取り繕った表情のように見えた。笑顔の裏に隠しきれない何かを感じる。
(あぁしまった――怒らせてしまった)
失態を悟り、唇を噛み締める。ついさっき、思ったことをすぐ口に出してしまう自分を悔いたばかりだと言うのに。ちっとも学習していない。
「人を真似て、か。……まあ概ね合ってるかな」
南野はふっと目を伏せ、自嘲めいた笑いを唇の端に浮かべた。
(もしかしたら、傷つけた?)
とっさに謝ろうとしたが、それよりも早く南野が口を開いた。
「化けたくなるくらい人という生き物が好きなんですよ、オレは」
とても穏やかな声で言われて、私は目を瞬いた。同時に胸がつきんと痛む。
すべての妖怪が悪意を持って人間を脅かす存在だと思っていた。しかし実際は南野秀一のように人に寄り添える妖怪も存在する。その事実が胸に突き刺さった。
「――さて、と。」
軽く背伸びをすると、南野はそれまでの空気を吹き飛ばすみたいにことさら明るい口調で言った。
「もうそろそろいいかな」
「はい?」
「おかげで色々分かりました」
話が見えない。
「何が分かったの?」
「そうだな。名字さんは特に害がないってことと、あなたは少し……いや、かなりバカ正直な人だってことです」
「はぁ!?」
いきなりけなされて思わず大声をあげる。南野は頬にかかった髪を指で払い、不敵な笑みを浮かべた。
「ま、ぜんぶ夢だったということで」
「はぁ……?」
ガタン、と音を立てて南野が椅子から立ち上がった。近づいてくる気配を感じてとっさに身を引くが、そのぶん距離を詰められる。靴の先がぶつかる距離で見下ろされて、戸惑いが恐怖に塗り替えられた。
(――ん?)
その時ふと鼻腔をかすめる匂いに意識を奪われた。
(この甘い香りは――花?)
いつのまにかあたりに強い花の香りが充満していた。
さきほど遠のいた感覚が蘇る。私は、前にもこの匂いを嗅いだことがある。
「あ、れ」
急にめまいがして、机に突っ伏しそうになる。ぐるりと視界が回転するような不快な感覚。気を抜けばすぐにでも意識を手放してしまいそうだ。
明らかに様子がおかしくなった私を見ても、南野は涼しい顔のままだった。まるでこうなることが分かっていたかのように。猛烈に嫌な予感がする。
(いったいどういうことか説明しろ!)
そう心の中で叫んだ瞬間、視界が暗闇に包まれた。