透明になりたい


 昔からろくでもないものが見えていた。
 それはいわゆる幽霊や妖怪といった魑魅魍魎のたぐい――と私は解釈している。正直なところアレの正体はよく分からない。誰かが教えてくれるわけでもないし、自分から積極的に知ろうとしたこともない。私は、視界に入ってくるそいつらの存在をひたすらスルーしてきた。いつか見えなくなってくれと日々願いながら。しかし、悲しいかな高校生になった今もくっきりはっきりと見えてしまっている。
 どうしてみんなには見えないものが見えるんだろう。私はただ、平穏に生きたいだけなのに。特殊な能力で有名になるとかそんなのはいいから、家族や友達と一緒に楽しい時間を過ごしたい。そんな「ささやかな幸せ」がしっかり守られて、脅かされる不安なく過ごしてゆきたい。それが私の切なる願いだった。

 ――だから、クラスメイトの南野秀一は、そんな私にとって迷惑極まりない存在だった。



「困ったことになったな」

 教室の窓際に気障ったらしくもたれかかった南野がまったく困ってなさそうに呟く。余裕綽々の態度が今はただ憎たらしい。
 
 いま私は南野秀一と教室でふたりきりだ。決して自ら作り出した状況でないことは先に言っておく。
 さっきまで私は教室で数学の授業を受けていた。襲いくる眠気に耐えきれず机に突っ伏したところまでは覚えている。それが目を覚ましたらクラスメイトも先生も消えていて南野だけが目の前に立っていたのだ。
 関わらないよう細心の注意を払ってきた相手の思いがけない接近に目を白黒させていると、南野が涼しい顔で言い放った。「どうやら閉じ込められたみたいです」と。
 南野の言葉の通り、私たちは教室に閉じ込められていた。正確に言えば教室を模した亜空間に。出入り口の引き戸を開くとそこにある筈の廊下はなく、また教室が現れるのだ。何度試してみても教室の無限ループが続く。人ならざるものの異様な力が働いていることが分かって頭がクラクラした。

(ああ、もう! こうなるのが嫌だったから必死に避けてきたのに!)

 奇々怪々な状況に置かれている不安と、今までの努力が水の泡になった苛立ちで神経が過敏になっていくのを感じた。

「南野君のせいでしょ、これ」

 刺々しさを隠しもせずぶつければ、南野は目を丸くさせた。

「知ってたんですね、オレのこと。あぁ、だからそんなに落ち着いてるのか」
「早くここから出して」
「出せと言われても、オレにも何が起きてるか分かりません」
「うそだ」
「本当ですってば」

 両手を上げて首をふるふると横に振られる。そのわざとらしい仕草に苛立ちが増した。

「そっちはそっちの領分で活動してよ。私を巻き込まないで!」

 感情的に喚く私に対して、南野は至極冷静だった。

「名字さん」

 名前を呼ばれて大袈裟にびくついてしまった。私の名前、知ってたのか。いやクラスメイトなんだから知ってて当然だけど。あまりにためらいなく呼ぶものだからびっくりした。

「怖がらなくて大丈夫。名字さんはオレが守ります」

 語尾に滲むやさしさに毒気を抜かれる。

(そうか。私は怖かったのか)

 南野に言われてやっと自覚した。普段から色々と見えているせいで異様なものに慣れている気でいたけど、怖いものは怖いのだ。そんな当たり前のことを忘れていた。

(守ります……か)

 心を蝕む恐怖が取り払われていくのを感じる。状況は何も変わっていないけれど、南野が発した一言で自分でも驚くほどにホッとしていた。

「とりあえず座りません?」
「あ……うん」

 うながされるまま近くの席に座る。隣の席に南野も腰を下ろした。
 南野は顎に手をやり何かを考えている様子だった。ここから出るための手段を考えてくれているんだろうけど、どうにも深刻さに欠けているというか、恐れや焦りを一切感じさせない余裕がある。今の状況はそこまで危惧することじゃないということだろうか。
 そう考えると少しだけ冷静になってきて、罪悪感がむくむくと頭をもたげてきた。根拠もなく南野のせいだと決めつけて怒鳴った自分に苦い気持ちを抱く。

「南野君」
「はい」
「その……さっきは感情的になってごめん」

 おや、というように南野が目を見張る。

「気にしてないです」

 返事はあっさりとしたものだったが、そのそっけなさが今はありがたかった。

「うーん、それにしても奇妙な空間だな」

 教室もどきの天井を見上げながら南野が独り言のように呟く。空気を変えるために言ってくれたのだろう。そのさりげない気遣いがまた好ましく感じられた。
 こうして関わってみると、南野秀一はとても理性的だった。魑魅魍魎は本能のまま生きる化け物ばかりだと思っていたけど、彼に関しては認識を改めた方がいいだろう。
 彼を完全に信用したわけじゃない。でも、少なくとも今は私の味方のはずだ。

「幻覚を見せる妖怪か、異空間を作り出す能力者か……」

 ぶつぶつと呟き出した南野の言葉を拾って、ひそかにギクリとする。

(私が見えていたものは妖怪だったのか。幽霊にしては変な姿形のも混ざってるとは思ってた)

 そう納得した後で、いよいよ人ならざる存在を認めてしまったことにあらためて絶望する。ずっとあやふやなままでいたかった。正体を知ってしまったら、知らなかった頃にはもう戻れない。

(さて、どうなるか……)

 状況は依然として変わらない。差し迫った危険はなさそうだが、決して安全とは言い切れない状況だ。未知数な部分が多すぎる。南野は一体どうするつもりなんだろう。

 こっそりと隣の様子を窺う。思案するように目を伏せているせいか、髪と同色の睫毛が驚くほど長いのが分かった。
 こうして近くで見ると、南野がとても綺麗な顔をしていることに気がついた。女子が騒ぐ理由も分かる。匂い立つような色気というか、芳しい花のような美しさというか……。

(いやいやいや、同級生の男子に対して花って!)

 自分のおかしな思考回路に心の中で突っ込みを入れたところで、脳裏に何かが過ぎった。

(ん?)

 ほんの一瞬だけ思い出した何かに首を傾げる。
 はて、一体何を思い出したのか。その正体を探ろうと記憶を掘り返すが「名字さん?」と呼びかけられてそちらに意識を奪われた。

「どうしました?」

 南野が心配そうに覗き込んでくる。

「えっと……」

 一瞬だけ形になったものがあったのに、言葉にしようとした途端煙のように消えてしまった。

「いや、ごめん。何でもない」

 説明するにはあまりにも曖昧な感覚だったから言葉を濁す。南野は気になる様子を見せながらも、それ以上追求してくることはなかった。


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