常夜灯ブルース


 髪をセットして、綺麗なドレスに身を包んで、照明の落とされた店内でも目立つように派手な化粧をして「さあ今日も張り切って稼ぐぞ!」とフロアへ出ようとする私の背中を、聞き覚えのある低音が呼び止めた。

「お前、名前か?」

 ビクンと体が震える。つい動揺したのは、源氏名ではなく本名で呼ばれたせいだ。おそるおそる振り返り、こちらを見下ろす人物を見て「げっ」と声がもれた。

「さ、左馬刻……」

 背後に立っていたのはヨコハマでその名を知らぬ者はいないヤクザ、碧棺左馬刻だった。私にとってはただの腐れ縁の友人に過ぎないけれど。

(どうしてここに左馬刻が!?)

 驚きのあまり目眩すら覚えながらも、なんとか取り繕おうと引きつった笑みを浮かべた。

「ははは……左馬刻もキャバクラとかくるんだね……」
「バカかお前は。ここは俺様の管轄の店だ」

 なんてこった! と心の内で叫んだ。
 あまりの事態に呆然と固まる私の腕を、左馬刻が強めの力でつかんだ。

「来い」
「へ? いや、今から出勤……」
「あ゛?」

 眉間に皺を作り凄まれる。顔が整いすぎてるせいでその迫力はひとしおだ。基本的に左馬刻はしかめっ面だけど、今はかなり機嫌が悪いことがわかる。
 反射的に体が逃げを打つが、それよりも早く左馬刻が視線を走らせ「こいつ借りるぞ」と吐き捨てた。いつも「遅刻は罰金!」と口酸っぱく言ってくる店長がしずしずと頭を下げる姿を見て、逃げ場がないことを悟った。




 問答無用でバックヤードに連行され、ソファに座らされる。向かいでふんぞり返る左馬刻は苛立たしげに煙草をふかしはじめた。普段は出勤前のキャストで賑わう空間に今は私たちしかいない。左馬刻が入ってきた途端に蜘蛛の子を散らすように皆出て行ってしまったからだ。重苦しい沈黙が支配する空間で、こめかみに流れる汗をいつもよりはっきり感じた。

(気まずい……)

 夜の副業がバレたことだけじゃない。こうして顔を合わせること自体が死ぬほど気まずい。
 実を言うと、左馬刻とは先日飲み屋で盛大な言い合いをして以来会っていなかったのだ。酔っ払って口喧嘩なんて日常茶飯事だけど、喧嘩の理由が理由だけに気まずさに拍車をかけていた。

(どうしてこんなことに……)

 たまたまスカウトされて働き出した店がよりにもよって左馬刻の店だったなんて。運が悪いにもほどがある。ああ、やっぱり私は不運の星の下に生まれたんだ……。
 過去に起きた不運な出来事を思い出して絶望的な気持ちになり始めた私の耳に、ぶっきらぼうな声が届いた。

「なんでお前がここにいんだ」
「……えーと、ちょっと夜のお仕事に興味が湧いて体験入店してみたんだよね! 一種の社会勉強っていうか、」
「金に困ってんのか」

 こちらの言い分をまるっと無視して、左馬刻が単刀直入に問いかけてくる。ぐっと言葉に詰まるが、観念して頷いた。

「会ってない間にホストにでも狂ったか?」
「は!? 違うわ!」
「じゃあ何だ」

 じっと睨みつけてくる目は早く答えろと訴えている。誤魔化すのは無理だと悟り、深呼吸してから打ち明けた。

「元彼の借金を返済するために始めました……」
「あ゛?」

 地を這うような低音が降ってくる。左馬刻の表情がみるみるうちに険しくなっていくのが分かって、さっと顔を背けた。

(あああ! これだけは言いたくなかったのに!)

 くっと唇を噛み締めて苦悶する。お願いだからこれ以上聞いてくれるなと切に願ったが、左馬刻は「どういうことか説明しろ」と無慈悲に催促した。その口調から全部吐くまで許さないという気迫を感じて、さらに絶望的な気持ちになりながら白状した。

「付き合ってる時に泣きつかれて私名義で借りたんだけど、そのお金ごとトンズラされちゃって……会社の給料だけじゃ返済できないから副業で夜のバイトをしております……」
「お前……」

 左馬刻が顔をしかめる。怒りを通り越して呆れたと言わんばかりの表情だ。

「この俺様に啖呵切っておきながら結局このザマかよ」
「いやぁ! 言わないでぇ!」

 一番触れられたくなかった部分を容赦なく抉られ、思わず悲鳴がもれた。
 ――というのも、前回飲んだ時に左馬刻と口論になった要因がこの元彼なのである。その時は彼と付き合い始めたばかりの頃で、浮かれに浮かれた私は左馬刻相手に惚気まくっていた。左馬刻は「黙れ」「うるせぇ」とか言いながらも渋々聞いてくれてたんだけど、だんだん「その男クズだろ」「碌なもんじゃねぇ」とこき下ろし、しまいには「今すぐ別れろ」と言い放ったのだ。左馬刻が私の彼氏にケチつけてくるのはいつものことだけど、別れろとまで言ってくるのは初めてだった。さすがにムッとして反論したら、それ以上の罵声が返ってきた。しかし私も負けずに応酬して、いつのまにか周囲が騒つくほどの激しい言い合いに発展し、最終的には「俺様ヤクザより百倍マシだわ! 今の彼と幸せになってやるから指くわえて待っとけ!」と高らかに宣言して店を飛び出したのである。……そして結果は『このザマ』だ。穴があったら入りたい。

「だからやめとけって言っただろうが。救いようのねぇ馬鹿だな」
「ぐっ!」
「いい加減男を見る目を養え」
「ううぅ……」

 左馬刻の言葉がざくざくと胸に突き刺さる。
 自分でも馬鹿だと思う。男に騙され、裏切られ、捨てられたのは一度や二度じゃない。何度も痛い目を見てるのに、今度は大丈夫、今度こそまともな人だと根拠もなく信じ込んで、結果いつも同じパターンに陥ってしまう。借金まで背負わされたのは今回が初めてだけど、これはさすがに堪えた。

(お願いだからこれ以上傷口に塩を塗るのはやめてくれ!)

 半泣きの私を白けた目線で一瞥して、左馬刻は煙草を灰皿に押し付けた。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -