常夜灯ブルース 2
このいたたまれない空気をどうすればいいのだろう。解決策も思いつかないまま身を縮こませていると、左馬刻が思いがけない言葉を投げかけた。
「いくらだ」
「……へ?」
「借金はいくらあんのか聞いてんだ」
「えっと、元金が二百万くらい……」
金額を聞いてまた呆れられるかと思ったが、左馬刻は表情を変えずに続けた。
「店は辞めろ」
「えっ、ヤダ」
「あぁ!?」
歯を剥き出しにして怒りをあらわにする。さすが本職ヤクザ、とんでもない迫力だ。だがこちらもおいそれと頷くわけにはいかない。もっと怖い人が我が家に取り立てにくる羽目になってしまう!
「まだ半分も返済できてないし今辞めるわけにはいかないよ! 最近やっと指名取れるようになったんだから!」
「……オイ、体験入店じゃなかったのか」
「やべっ」
とっさに口をおさえるがもう遅い。左馬刻の機嫌がさらに降下していくのがわかって、じわりと背筋が汗ばんだ。
「要領悪い名前のことだ。どうせ昼の仕事にも支障出てんだろ」
「うっ……」
よくおわかりで。
金土日と出勤しているせいでろくに休む暇がなく、昼の仕事のミスが格段に増えた。加えて居眠りも。今日も課長に「次に業務中に居眠りしたら始末書だからな!」と注意されたばかりだった。
図星を突かれ口を噤む私に、左馬刻はさらなる追い打ちをかけてきた。
「向いてねーから辞めろ。お前みたいな単純バカに勤まるもんじゃねえ」
辛辣に切り捨てられ、悔しさに唇を噛み締めた。
向いていないことは自分でも重々分かっている。しかし人間は、やり込められるとわかっていても欠点を指摘されると反発したくなるものなのだ。
「じゃあどうやって返済していけばいいのよ! 私に臓器でも売れって言いたいわけ!?」
悲痛な叫びが狭いバックヤードに響き渡る。
少しの間、互いを牽制するように無言で睨み合う。先に口を開いたのは左馬刻だった。
「俺様が肩代わりしてやる」
え、と掠れた声が口から漏れる。言われたことをとっさに理解できなくて目を点にしていると、左馬刻は苛立たしげに繰り返した。
「肩代わりしてやってもいいっつったんだ」
そう言いながら、ふたたびタバコに火をつける。その姿をぽかんと眺めて、この男が懐に入れた人間にはとことん甘いことを思い出した。
「いや、いいよ」
とっさに口をついて出た言葉だった。
本音を言うなら、縋ってしまいたい気持ちもある。しかし友人に金を借りるのは私のポリシーに反する。左馬刻とお金のことで揉めるなんて嫌だし、そうなる要因を作りたくない。
「無関係の左馬刻にそこまでしてもらう義理ないし」
「テメェ……」
怒りを凝縮させた声にハッと息を呑む。やばい、もしかして地雷踏んだ?
「おい! 誰か来い!」
殴りつけるかのような激しい怒声に、奥から黒服が慌てて飛んできた。
「今日でこいつは辞めさせる。上にそう伝えとけ」
「待て待て待て!」
慌てて制止に入るが、怯えきった黒服は「わかりました!」と頭を下げて足早に去っていった。このままじゃ本当に辞めさせられる!
「ちょっと待って! 私は辞めるつもりは!」
「往生際悪りぃな」
ソファから腰を上げる。見下ろす左馬刻はいっそ清々しいほどに人の悪い笑みを浮かべていた。
「荷物まとめろ。仕事内容は後で説明する」
「し、仕事?」
「俺様がお前を雇ってやる」
左馬刻の声がまるで脅迫のように私の耳に届く。こちらを見下ろす威圧的な瞳に、抵抗は無駄だと悟った。
「マグロ漁船だけは勘弁してください!」
「バカかテメェは」
まごつく私を強引に立たせて、左馬刻が呆れた目線を寄越す。そして一瞬の不自然な沈黙ののち、彼は口をへの字にして言った。
「黙って見守ってやるつもりだったがもうやめだ。名前を放っておくと碌なことにならねぇ」
「えっと……?」
含みのある言い方に首を傾げるが、左馬刻はそれ以上何も言わなかった。
腕を掴まれたまま引きずられるようにしてバックヤードを出る。左馬刻の後頭部に向かって「死体洗いも無理だから!」と声を張り上げるが無視された。
どうかまともな仕事であってくれ! と神に祈りながら、店先に停められていた黒塗りの車に乗せられた。