悪魔と銃弾


 放たれた銃弾は銀色の軌道線を描き、コンクリートの壁に跳ね返る。打ち捨てられた弾丸の行く末を見届けるよりも早く、次の弾が頬を掠めた。間隙を許さない銃弾の嵐。それを致命傷を受けないギリギリの一瞬で身を躱し、刀で薙ぎ払う。小銃はコンクリートの床に叩き付けられ、途端に私を追い詰めていた武器は只の鉄塊へと成り果てた。あーあ、あれも修理頼んどかないと。余計な手間が増えたことに若干うんざりしながら壊れた銃を一瞥する。しかし、相手は感傷に浸る暇さえ与えてはくれない。
 銃器を失った彼はその肉体を武器として拳を振り上げた。傷を負っている頬へと躊躇無く振り下ろされるそれを、大きく仰け反ることで避ける。そのまま後ろへとステップを踏んで、距離を取った。
 本来ならば誰かを癒すために駆使される指先は、今はただ破壊のみに従事している。その事が悔しくて、強く唇噛み締めた。

「はぁッ、はぁ」

 息を荒げて目の前の相手を見据える。夜闇に浮かぶ新緑の瞳には、底冷えする殺気が湛えられていた。

「まさか雪男からそんな目で見られる日が来るなんて、ね…」

 少し前までは想像すらつかなかったその視線にも、もうすっかり慣れてしまった。

「普段の僕はそんなに優しい?」

 コートの裾に付いた埃を払いながら、溢れる愉悦を噛み砕くように尋ねられる。声だって表情だって、何もかも一緒なのに、何もかもが違う。

「少なくとも、そんな物騒なモノを向けられたことはない」
「ははっ、そうだろうね」

 闇の中で雪男は笑い、眼鏡のブリッジを押し上げた。その所作ひとつひとつが普段の彼と重なるから、見ていたくなくて目を逸らす。

「君が大人しく殺されてくれたら、僕も表には出て来ないかもしれないよ?」
「嘘つけこの戦闘狂。私を殺したら次は違う人に襲い掛かるんでしょう」
「何も分かってないねナマエは」

 わざとらしいほどの溜息を吐いて、首を数度振られる。まるで物覚えの悪い子供を相手にするような態度が癪に障った。

「何それ、どういう意味?」
「知りたい?」

 挑発的な笑みは、堕落と破滅を誘う悪魔そのもので。
 惑わされるな。迷いがあれば、必然的に隙が生まれる。今の彼は敵なのだ。全力で行かなければこちらが命を落としかねない。

「アンタの挑発には、乗らない」

 再び剣を構え直し、地を蹴った。
 一気に間合いを詰めると、頭上の双眸が僅かに見開かれるのを視界の端で捉えた。幸い相手はまだ銃を構えていない。この隙を突いて相手の背後に回って手刀を浴びせて気絶させればいい。
 しかしそんな計算も虚しく、人間離れしたスピードでショットガンを構えられてしまった。

(この距離で!?)

 鼻先に銃口を向けられる。至近距離で迫る銃の向こう側には、嘲笑に歪められた口元が見えた。慈悲も何もあったもんじゃない。
 慌てて刀を持つ手を切り替えて、柄の部分で拳銃を力任せに押し上げるが、逆に押し返されてしまう。眼前に迫る銃口に息を呑む。反射的に刃で拳銃を薙ぎ払おうとしたが、寸での所で抑えた。この距離では誤って銃の持ち手を傷つけてしまうかもしれない。それだけは避けなければ。
 しかし、一瞬の時を争う闘いの場で、その躊躇いは大きな隙を生んだ。

「案外呆気なかったね。まあ楽しかったよ」

 撃たれる。そう覚悟して、強く目を瞑った。

 しかし、数秒たっても耳を劈くような発砲音が響くことはなかった。

「…………あれ?」

 恐る恐る目を開く。そこには崩れ落ちた黒衣の相手と、向こう側に立つメフィストさんの姿があった。

「とんだ失態ですね、ナマエ」
「め、メフィストさん……」
 
 月を背に、完全に据わった目でこちらを見下ろすメフィストさんを見て、全身の緊張が一気に解れた。

「助かったぁー……」

 危なかった。今回ばかりは死ぬかと思った。
 しかし安堵している暇は無い。不機嫌丸出しでじとりと睨む理事長からの、厳しいお叱りが待っているのだ。

「何をしているんですか貴女は」
「いやぁ、やっぱり続けて相手するのは無理があったみたい」
「だから昨夜そう言いましたよね?」
「あ、あははー……」

 責めるような口調で問い質されては、苦笑を返すことしかできなかった。

「やはり納得行きませんね。反撃もせずにただ防戦しているだけなんて。これじゃまるで彼専用の訓練マシンのようではありませんか」
「でも、雪男を傷つける訳にはいかない」
「それで貴女がそんなにボロボロになってどうするんです」
「まあ、でも、私だったら銃弾受けても死にはしないだろうし……」

 しどろもどろで返事をすると、メフィストさんの周りを漂う空気が一変した。どうやら勘気に触れてしまったらしい。これは不味い。
 慌てて取り繕う言葉を考えていると、メフィストさんは垂れた目元を苦々しげに歪めた。そこには、恒に貼り付けられている感情の読めない退廃的な面差しなど微塵も残っていない。

「いくら悪魔の血が流れていると言っても、額に弾丸を撃たれれば只では済みませんよ」

 そう、悪魔の血。メフィストさんの言う通り、私には悪魔の血が流れている。
 異常な回数で細胞分裂を繰り返すこの肉体を持っているからこそ、飛び交う弾丸にも躊躇せずに切り込んで行けるのだ。しかし人間である父の血が濃いのか、悪魔の特徴である尖った耳や牙や尾はあまり発達おらず、傷の治りも悪い。現に、先ほど受けた頬の傷も、未だにジクジクと痛みを孕んでいた。

「ああ、もうこんなに傷をつけて」

 メフィストさんは掌を傷ついた私の頬へと添えると、痛ましげに顔を歪めた。そこには常には無い哀情に満ちていて、こんな顔をされてしまってはこちらも申し訳無さでいっぱいになる。

「ごめんね、メフィストさん」
「謝るくらいならこんな事はやめて頂きたい」

 この問答も何度繰り返しただろう。私は倒れ伏している雪男を見下ろして、小さく首を横に振った。

「貴女がそんな傷を負ってまで彼の相手をする道理がどこにあるんですか」
「……放っておいたら、雪男が壊れちゃうかもしれない」

 だから、辞める訳には行かない。
 メフィストさんは大きな溜息を吐いた。私のこういう態度が彼の不興を招く事は分かっている。でも、これだけは譲れないんだ。

 ――いつからだったか。雪男はまるで悪魔を祓う時のような殺気を湛えて、私を襲ってくるようになった。その時は決まって人格が入れ替わったかのように好戦的な態度になる。その様子はまるで悪魔のようで。彼がサタンの落胤の片割れである事と関係しているのか、それとも雪男自身が悪魔落ちしかかっているのか……。
 何にせよ襲い掛かってくる彼を放っておく訳には行かなかった。このままじゃ雪男がもうひとつの人格に飲み込まれてしまうかもしれない。なんとか原因を究明して助けないと。しかし悪魔学の基礎知識しか持たない私に出来る事なんて高が知れていた。だからメフィストさんに協力を頼んだ。初めは難色を示されたが、泣き落としで頼み込んで今こうして力を貸してもらっている。

「本当に解せません。貴女をこんなに傷つけておいて彼は何一つ覚えていないんですよ?」
「いいんだよ、それで」

 二つの人格は共通の記憶を有していないらしく、本来の雪男はもうひとつの人格があることさえ知らずにいる。メフィストさんはそのことをよく思っていなかったが、むしろ私には好都合だった。
 真面目な雪男のことだから、このことを知ったらきっと途方も無い罪悪感に押し潰されてしまうだろう。ただでさえ彼は何重もの枷を負っていて、その生活には一分の余裕もないのだから。そんな彼の気苦労を増やすようなことだけは避けたかった。

「雪男は何も知らなくて良い。余計な負担かけたくないし」
「……まったく貴女という人は。彼に殺されかけてもまだそう言うのですか」

 メフィストさんは呆れ返ったとばかりに額に手を当てた。

「何度も言ってますが、貴女のそれは単なるエゴに過ぎません」
「うん、分かってる。これは全部私が勝手にしていることだから」

 だからこれは、私の罪だ。そう告げて真っ直ぐにメフィストさんを見ると、今度こそ「呆れましたな」と言われた。

「私がこの手で育て上げたというのに、どうしてこんなに人間臭くなってしまったのか……」

 長身を折り曲げて悲嘆に暮れる姿はおよそ悪魔の長兄とは思えない。「メフィストさんの下で育ったからじゃない?」という言葉は寸でのところで呑み込んでおいた。

「彼を気遣うのは結構ですが、少しは私の事も労わってください。いつか貴女が取り返しのつかない怪我をするのではないかと気が気じゃないのですから」

 不貞腐れたようにそう言われてしまうと、やはり苦笑を返す他無い。やっぱり、人間臭いのはメフィストさんの方だと思う。人の感情の機微を読み取ることに疎いのは、むしろ私の方だ。

「善処します。迷惑かけてごめんなさい」
「迷惑なのではなく心配しているのですよ」

 最後にひとつ、溜息。こんなに感情を露にする理事長の姿を見れることは然う無いだろう。メフィストさん、ごめんなさい。心の内でもう一度深く謝った。

「それでは、奥村先生を寮へと連れて帰ります。貴女もそろそろ自分の寮に戻りなさい。傷の手当てはちゃんとしておくように」
「うん。分かった。それと、えっと……」
「銃の修理ですね。彼が目覚める前には済ましておきましょう」
「ありがとう」

 メフィストさんは「まったく。たいがい私も甘いですね」なんて台詞を残して、倒れたままだった雪男と共に姿を消した。

 そうしていつもの静寂を取り戻した夜の真ん中で、私も踵を返した。


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