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::雨の神

いつの頃だったか、人間は傘という道具を作り出した。
はじめは貴人の日除けの為に作られたそれは、いつしか雨を凌ぐものへと変わる。かつては恵みとされた雨は、都合のいい自然現象へと成り下がってしまった。雨は邪魔なものなのだ。服を濡らし、物を濡らし、道を濡らし、人間の生活に支障を来す。土地が乾いた時にのみ、人間は雨を乞う。嗚呼、何たる傲慢。死と雨と消滅の神エオルアはただ嘆息する。傘は嫌いだ。

「エオルアさま」

雨に打たれながら、境内に立ち尽くす彼に声をかける幼い少女。近くの村の少女だ。この村の人間のほとんどは自分の姿を見ることができる。信心深い人々だ。
この季節の雨は冷たい。こんな時にわざわざ何事だろう、と少女を見る。少女は番傘を差してエオルアに駆け寄り、そして、手に持っていた紺色の番傘を彼に差し出した。

「ととさまが、エオルアさまに渡してこいって」

彼女の父親は、そういえば先程畑作の帰りにこの神社の前を通った。今と変わらず雨の中で立ち尽くすエオルアに会釈をして過ぎて行った。成る程、心配されていたらしい。図らずも、エオルアの口角が上がる。

「あっ」

その時、少女が小さく声を上げた。少女を見下ろせば、雨の中でも霞むことのない笑顔がそこにあった。

「エオルアさま、笑った」

番傘の柄を掴む手にわずかな力がこもる。エオルアは少女の頭に手を置こうとして、しかしその手のひらが濡れているのに気付き、そっと手を引っ込める。そして少女の前でしゃがみ込み、彼女と目線を合わせる。

「ありがとう、お雪」


少女が帰っていくのを見送って、エオルアは息を吐く。少女と父親の気持ちは嬉しいけれど、と、胸の奥にこみ上げる罪悪感と嫌悪感を飲み込み、エオルアは神殿の中へ。
神殿の中には、たくさんの番傘が積まれていた。雨の中に立ち尽くすエオルアに傘を届けてくれる村人は今までにもごまんといた。その心は嬉しいのに、傘が嫌いだという気持ちが先行してしまう。

「……俺は、雨の神なんだから」

雨を凌ぐ道具なんて、俺が持ってはいけないんだ。





 

2016.02.21 (Sun) 20:53


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