今日、花嫁を殺します。 下

・今日、花嫁を殺します。 下(全3編)。
・静雄×臨也。


【5】

夢を見た。俺が、どんな攻撃を受けても死なない夢。周りの人々が死んでしまうくらい長い時が経っても生きたままで、勿論臨也が死んでも俺は歳も取らないで、決して死ねない夢だ。

「夢で見た光景って、前世とか、冥界とか、並行世界の自分の記憶らしいよ」
「そんなことあってたまるかよ」
「長生きしたくないの」
「手前は俺を殺すんだろ」
「いいや、君の勝ちだよ」

臨也の体が朽ちかけている。骨の一本一本が皮膚の向こうに透けて見える。痩せ細り、筋肉も減って、殆ど一人では動けなかった。ロクな食べ物も得られず、明日の見えない生活を送ったせいで消耗しているのだ。なけなしの缶詰でも、俺の分を減らして多く食べさせている筈なのに体力は一向に回復しない。人間とは、弱い生き物だ。こんなに早く、簡単に衰退してしまう。この小屋に住んで、一ヶ月が経っていた。
そんな顔しないで、と骨と皮だけになった指先が俺の頬に触れる。どうして俺という化け物はこんなに丈夫なのだろう。俺の肉を削いで食べさせたら、臨也は回復しないだろうか。そんなトチ狂った可能性にでも掛けてしまいたくなる。でも、駄目だ。俺の肉を裂けるだけの兵器が見つからない。

「シズちゃん」
「何だ」
「お外、行っておいで。塞ぎ込んだままじゃ良くないよ」

臨也は、俺の前ではやたらとベラベラ喋る。猫のように心配させまいと気丈に振る舞う。俺が居ない方が体を休められるのだろう。できる限り傍についていてやりたいが、本人の為だ。黙って倉庫を出る。

十一月の昼は、まだ明るい。ここに来た時よりずっと和らいだ陽光が気持ちが良い。
前にも、この砂浜に臨也を連れ出してみたことがあった。日焼け止め塗ってないから、とコートのフードを被ったまま、ズボンを捲って裸足で浅瀬を歩いていた。冷たくて気持ちが良い、と聞いて俺も波打ち際に足を浸したら、急に後ろから突き飛ばされて海に倒れこんだ。一回シメてやろうと追いかけるが、逃げ足だけが取り柄の臨也に勝てるわけがなかった。完敗だった。
如何にもカップルじみた遊びを満喫していた時期が懐かしい。俺は海水に触れてみた。当然のように冷たい。来月は更に厳しくなるだろう。気候のようすを考えると、ここは日本海側の地域だ。雪が降るかもしれない。臨也は、きっと耐えられない。
臨也を何度も殺そうとした。絞首だけではない。古来の伝統に習って、貫肉させようとも思った。この海に沈めたこともあった。けれども、最後はやっぱり助けてしまった。出来るだけ楽に死なせてやりたい、綺麗な体に傷を付けたくない、もっと良い方法がある筈だ、そうしてずるずると、彼を殺すのを先延ばしにしてしまった。
かつてはあんなに殺したかったのに、今は人が違ったように、まるでできない。臨也にどれだけ絆されてしまったのだろう。共に過ごせば過ごす程、守りたくなった。
臨也を失いたくない。もっと一緒に居たい。その為なら何でもできるだろう。しかし、時は無情にも臨也を蝕んでいった。彼は普通の人間だ。化け物の俺とは違う。気候には敏感だし、身体も脆い。俺が殺しを渋ったせいで、急速に衰弱していく臨也に、満足な時間は残されていなかった。俺が、早く覚悟を決めて臨也を殺さなければ、臨也は時に殺される。願いを叶えられない俺に失望して、何時襲われるか分からない不安を抱いたまま死ぬのだ。
薬指に指輪を嵌めてやったことがあった。勿論、到底臨也には敵わないが、半年分の収入を貯めて贈った物だった。式こそ挙げていないが、彼は確かに、「好き合えば幸せになれるのは当たり前、苦労を乗り越えるのも当たり前。でも殺されても良いと思えるのは君だけだよ」と嬉し泣いたのだ。嘘つきノミ蟲の数少ない本心だった。
迷っている暇は無かった。森が立ち枯れて海が荒ぶる前に、臨也をこの手で幸せにしなければ。最期まで微笑んで逝かせてやらなければ。そして、それを看取ってから俺も追いかけたい。臨也の居ない世界なんて、夢の中だけで十分だ。
今日、俺は臨也を殺す。その首を締め上げる。
そして俺も死んでやる。



【6】

小屋に戻ると、臨也が上体を起こしていた。おかえり。
俺は、一歩一歩ゆっくりと近寄って、向き合うようにして座る。

「どうしたの」

最期は、一瞬だけ。本気を出せば、骨だって折ってやれる。答えて不安を煽る必要は一切ない。いつも通り抱きしめて、小さな頭を抱えて、そこに力を込めるだけだ。臨也は何も知らずに死ねる。

「昔のことを思い出してた」
「俺もだよ」
「そうか」

何かもっと、良いことでも言ってやれたらよかったのだが。こんな時に口下手なのは本当にツイていない。だが変にしどろもどろになるよりはマシだと思うので黙っていることにした。
あとは、抱きしめるだけだ。

「シズちゃん」

そこで名を呼ばれた。臨也の最期の言葉を、よく聞いた。掠れて、玲瓏さなど無くなっているのに、その声は俺の耳にはとても美しかった。

「ぎゅっ、てして?」

言われなくても、してやるよ。可愛い願いで良かった。最期まで俺の前では甘えてくれて良かった。全て杞憂だったのだ。俺を疑う必要など、何もないと。小生意気な癖に純真で、人類愛を述べては寂しがる、そんな臨也だけが、最初から最期まで俺と一緒だったんだ。他には何もいらないだろう。だから、幸せなまま、死んでくれ。
臨也の骨ばかりで固くなった背と、頭に手を回した。臨也も俺の背に両手を添えた。そしてゆっくり引き寄せてやる。
これで終わりだ。
さよなら臨也。
その臨也が、血を吐いた。
俺は驚いて臨也の身体を離す。左胸が、真っ赤に濡れている。ファーコートが不自然に盛り上がっている。俺はコートを捲った。
ナイフが、刺さっている。

「臨也……?」

俺は暫く呆然と臨也の様子を見ていた。深く刺さったナイフは斜めに肩の肉を割って、上方の背に突き抜けている。
臨也は、俺が抱きしめて首を締めることを予測して、コートの内側にナイフを仕込んでいたのだと気付くまでたっぷり時間を要した。
倉庫の壁と床の筵に血が噴出して、水溜りを作っていく。臨也は前に倒れこんだかと思うと、今度こそ本当に俺たちは抱き合う形になった。

「しずちゃんは、やさしいから、殺せないでしょ」

喋っても喋らなくても結末は同じなのだと、臨也は悟っていた。俺が言葉に出せない代わりに喋り続ける。

「ごめんねしずちゃん、殺してあげられなくて」

でも、このままでいて。俺の願いを叶えなくていいから。おあいこだから。
臨也が、いつか絶対に殺してあげるよ、と言っていたのを思い出した。ああ、そうか、こいつは俺と一緒で居たかったんだ。俺と対等でいることを望んでいたんだ。今更理解しても遅いのに、臨也からその魂を全て吸い取るように、シャツに広がる血と共に、俺は彼の全てを噛み砕いて飲んでいく。
その時、その心の中に涙を見た。約束という未練……。

「しずちゃん」

臨也がキスを強請った。最期の願い通り、血塗れの紅い唇に俺の舌を入れた。噎せ返るような鉄の舌が、のろのろと俺の口内を舐め回す。臨也は愛おしげに俺の唾液を飲み込んだ。
俺は、その舌を噛み切った。
逆流するように双方の喉に血が流れ込む。臨也は目を見開いて、ゆっくり俺に焦点を合わせると微笑んで、そして力を失った。がくん、と身体が後方にしな垂れた。
臨也は自らを殺したのではない。
俺が、この手で臨也を殺したのだ。
その事実が腕の中に収まっている。
俺が、臨也の最期を、本当の願いを叶えた瞬間であった。



猫の死骸を背負う人間程、稀有な存在も居ないだろう。けれど俺は化け物だ。二百七十一万の人間の定義には当てはまらない。
心中に失敗した罪人は凱旋する。
深夜、池袋、その身体に無数の凶器を突き付けられながら立っている。二百七十一万が死すべきとした花嫁の屍を抱えて立っている。
今度の断頭は俺だけで良い。
誰でも良い。早く殺してくれ。殺せるのならば。

突如、現れる黒い騎士。彼女は、かの罪人に血の洗礼を施した。
お前の死を約束しよう。


2013.11.09

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