「ようは婚約してからやる事がなくて暇だと」
そういうこと、と言いながらレディーはお茶菓子のクッキーをつまんだ。透明なテーブルの上に置かれたクッキーやゼリービーンズはレディーが話、と言う名の愚痴をしながらほとんど食べて切ってしまった。また買い足して置かなければ。
「まぁ結婚式までもうすぐだし、すぐに暇じゃなくなるわよ」
「その結婚式までが暇なのよ。やることと言ったらトレーニングくらい。唯一やってるのはガーデニングかな?ルーファスのお墓に薔薇を置くためにね」
「十分でしょ。私からしたら羨ましいけどなぁ」
紅茶を継ぎ足すオルガの手は、よく見ると皮が向けていて痛そうだった。美容師ってやつはシャンプーや髪染めの液で手が荒れるらしいが、オルガもそうなのだろう。自分の指輪がはめられたなんの怪我もない手を見て思わずため息が出た。
「オルガくらい人生にやる気が欲しいわ!家事だって私できるのにプルートがやるなって」
「まぁそりゃマルフォイの奥さんともなればやらせないでしょうね」
「で、仕事がしたいんだけど」
「一度蹴った魔法省?」
「出来ればね」
レディーが魔法省に務めたいと言い始めたのは割と卒業間際の事だ。そもそもルーファスさんが魔法省の人だったから目指すことに何の違和感も無かったが、それまで将来どうしようとしか言ってなかったから突然の発言に少し驚いた記憶がある。ルーファスのやり残したことをやりたいと、お墓を前に言っていたのはつい最近の話だ。
「やめときなさいよ。子ども産まれたらどうするのよ」
「こ、子ども!!?」
「なに、欲しくないの?」
「そ、そ、そりゃ欲しいけど」
「結婚式終わったらすぐ妊活するとばっかり」
「妊活って…」
レディーが頬を赤らめた。そういう行為をしていないわけではない。新婚ホヤホヤなわけだからすることはしているのだが、第三者からそう言われると恥ずかしくて目を合わせられない。
相変わらずウブだな。と思いながらオルガは一冊の本を渡してきた。
「子どもができたら暇なんかなかなかないわよ?はい」
「これは…?」
「私が子供の頃読んでもらった本。持って行っていいよ」
本の題名は「分かれ道」
「今のあなたには、素敵な家族がいるからね」
オルガが優しく笑ったのを、私は忘れなかった。
---
「ただいま」
おかえりなさいませドラコ様。そう言いながら屋敷しもべのプルートがドラコを出迎える。ドラコの着ていた上着やカバンは魔法で宙に浮き戻るべき場所へと運ばれていった。
「レディーは?」
「奥様なら2時間ほど前にオルガ様のところから戻られて、それからずっと部屋から出てこないんです。珍しいことにガーデニングもしなくて」
「?」
珍しいこともあるものだ。スターシップのところへ行ったことがではない。スターシップのところへ行くことなどしょっちゅうだからそれはいいのだ。部屋にこもっていることなどなかなか無いのに、何かあったんだろうか。
「まもなくお夕飯ですが、1時間ほど伸ばしましょうか?」
「あぁそうしてくれ」
足早に部屋に向かうドラコにプルートはかしこまりましたと頭を下げ、玄関のドアに向かって指を振った。バタンと閉まるドアを見届け、今日の夕飯は何にしようと頭を悩ませるのだった。
---
レディーとドラコの部屋は屋敷の1番眺めのいい場所にあった。当然のように部屋は広く、父上と母上はずいぶん気合を入れてこの家を建てたなと、思わず感心したのを覚えている。
そんな部屋のドアの右端には必ずバラが一本いけてある。レディーが育てているものだ。これくらいやらせてくれと、やろうとする屋敷しもべの頭を抑えていつも飾っている。
部屋を二回ノックする。特に返事も聞こえないが、まぁいいだろうとドアを開けた。大概ソファーで本を読み更けっているか、一人でファッションショーをやっているかなのだが、今日はこれまた珍しくベッドの上にいた。
「ただいまレディー」
「あ、やだもうそんな時間なの!?」
「レディー!お前なんで泣いてるんだ」
レディーの目は真っ赤だった。当然思っていた時間と違かったからではない。僕が帰ってきたからでもない。しばらく前から泣いていたかのようだったのだ。
「スターシップと喧嘩でもしたのか?」
レディーが座るベッドに腰掛けると、着ていた部屋着のスカートが揺れた。違うわ。と、首を横に振りながら本を手渡してくるレディーに、僕はさらに首を傾げた。
「何だこれ」
「いいから読んでみて」
「…?」
自分も読んだことのない本。挿絵の多い子供向けの本のようだが、この本レディーが泣いて感動するほどのものらしい。オルガが貸してくれたんだけどと、鼻をかみながら答えるレディーに少し笑ってしまった。
表紙をめくり中を見てみる。
要約すると、二人の子どもの話だ。一人は両親が他界してしまうが、両親に愛されていた記憶があって、自分も大人になってから愛する人と結婚して幸せな家庭を築くが、もう一方の子どもは両親から酷い虐待にあい、自分の方が他界してしまう。絵本の割にショッキングな内容だった。レディーが泣くのも無理はない。どちらかといえば後者の方の幼少期を送ってきていたのだから。
「ドラコ私、絶対自分の子どもを幸せにするわ」
「…」
「私みたいな思いはさせない…絶対苦労させたくない…同じ道は歩ませない…」
「それで泣いてたのか」
「子どもが何をしたって言うのよ」
世の中は非情だ。幸せな子どもだけがいるわけじゃないのが現実で、今もどこかで涙を流している子がいる。それを突きつけるような絵本だった。
「レディーなら絶対にいい母親になれる」
「ドラコ…」
「怒りっぽいのがたまに傷だがそれは僕がカバーしてやろう」
「何ですって?」
「ははっ、冗談だよ」
眉をあげたレディーにドラコはプッと笑った。まだ子どもができたわけでも、結婚式を終えたわけでもないのに。でも未来の話をするのは好きだ。いつかここに幸せそうな高い笑い声が加わるんだろう、親の愛をたくさん受けて、毎日笑顔で。時々怒られて涙をながしたっていい。
クスリと笑い、そんな未来を思いながら、今目の前にいる人を僕は力一杯抱きしめた。
(だからね、私教育本を読み漁ろうと思うの)
(暇削減か?)
(違うわよ!やるべきことを見つけたのよ!)
prev next
back