クラスメイト 前編

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「最悪だ……」
 古森元也は自室で伸びていた。真っ赤な頬に、額には冷えピタ。枕元にはスポーツドリンクと、先ほど食べたゼリーの空の容器。立派な病人の姿だ。古森は季節の変わり目に風邪をひき、拗らせてしまった。こんなに本格的に体調を崩すなんて久々で、風邪ってこんなに辛かったけ。そんな気分である。
 ぐわんぐわん、と重たい頭の中に、一人の女の子がずっといた。小学生の頃から学校が一緒の女の子。可もなく不可もなくの付き合いの女の子。グループワークで一緒になれば、高校からの付き合いの子よりは話せるし、話しやすい。いい子だなぁと思うぐらいの好感度はある。
 そんな女の子の好感度がマイナスへ傾いてしまった。マイナスというか、見方が変わった。佐久早と古森が従兄弟である事実は周りに隠していない。隠してはいないが、大っぴらに口にしていることでもない。知っているのは、本当に付き合いが長く深い友達か、部活やバレークラブが一緒でたまたま知ったタイプ。きっと、そこら辺の知り合いから漏れたのだろう。
 だから、たまに現れるのだ。もしくは従兄弟と知らなくても、"佐久早と仲がいい"と思われて、佐久早に恋する女の子が古森の元へやってくる。古森への話しかけやすさと、佐久早への話しかけ辛さが上手いこと噛み合ってしまって、最悪のパターンだ。
 佐久早を見ていれば、佐久早が人伝てに自分のことを聞かれるのは嫌がりそうだと分かるのに。
でも、古森の元へやってくる女の子たちは、勇気を出してくれたのだ。勇気をもって、恋心を打ち明けて、相談してくれている。それも、分かる。分かった上で、古森は困る。どう考えても、見えないのだ。自分が仲介して、相談してきた女の子が佐久早と上手くいく未来が見えない。そもそも、佐久早と上手く行くタイプはきっと古森に相談なんかしない。
「あの子も、聖臣のこと好きだったんだ」
 ポツリ、と呟いた声は掠れて、弱々しく聞こえた。
 別に自分が好かれたい相手な訳でもない。それでも、ほんの少し、かるーく面白くないとも思う。でも、寝たらすぐ忘れる感情だ。古森と小学生から一緒ということは、佐久早とも一緒ということ。俺の方がクラス一緒の回数多かったのにな。むしろ、彼女が佐久早と絡んでいるところはあまり見たことがない。まあ。喋っている時、聖臣に対して話辛そうにしているイメージもないけど。それでも、彼女が選んだのは聖臣ってことは事実だし。古森はシーツを口元まで上げて、ーと嫌だなぁと駄々をこねた。風邪治ったら、一応フォローした方がいいかなぁ。見た感じ、彼女ちょっと気にしいなところあるしなぁ。
 ズキズキと頭と心が傷み始めた。身体も心も弱っているときと、夜眠るまえに、「佐久早と古森がいて、佐久早が選ばれる」事案に向き合ってはいけない。どう頑張っても、プラス方向に、ポジティブに考えられないから。そんなこと中学のときに、散々学んだはずなのに。
 どうして彼女は俺じゃなくて、佐久早だったんだろう。

「しんど……」
 中学の、今以上にさくさに劣等感を覚えて、もがいていた頃の夢を見た。未だに重い身体を起こして、古森は軽く首を回す。汗をびっしょりかいていて、気持ち悪かった。中学の頃の自分を否定したい訳ではない。あのとき、必死で考えて行動を起こして、もがいたから、今がある。今の状態満足している訳じゃないけど。でも、行動して良かったと思う。
 ただ今の精神状態で、過去の自分を褒めることも認めることも、ちょっと厳しそうだ。古森はまたマイナスな思考に引っ張られやすくなっていることに気付いて、頭を冷やすことにした。

 古森が風呂からあがると、リビングで妹が宿題をしていた。古森キョウダイの中で、妹が一番帰宅時間が早いのだ。大学生の姉と、部活ガチ勢の兄は帰りが遅い。古森家の末っ子が平日姉や兄たちと遭遇する機会はあまりない。特に兄は朝が早く、帰りが遅い。
「お兄ちゃん、熱下がった?」
「うーん、微熱」
「アイス食べる?冷蔵庫にあるよ」
「え、食べよ
 妹はローテーブルに、カーペットの上にぺたんこ座りだったが、古森はダイニングテーブルの方へ向かう。一応、風邪を移したらいけない、という配慮である。椅子を引いて、冷蔵庫から持って来たカップアイスを食べていると、妹が寄って来た。
「これ読んで」
「え」
「面白いから読んで」
「はい」
 有無を言わせない妹に、古森は大人しく押し付けられた漫画を三冊読んだ。読み終わった頃に、妹がまた話しかけて来た。どうやらハマっている少女漫画を語りたい気分だったらしい。
「ねえ、良くない?」
「え?俺は一途に愛し愛される派だからなぁ」
「え?お兄ちゃんいつからそんな腑抜けになったの」
「コラ暴言」
「ごめんなさいー。でも、お兄ちゃんってホント三角関苦手だよね」
「苦手っていうか……てか、これ三角関係の話?」
「三角関係じゃないかも。すれ違い系?」
「すれ違い系」
「偽物の関係が、本物になる!すごいイイじゃん」
「えー、相手のこと信頼できないのに付き合うのしんどそう」
「そこも引っくるめて、イイの
「はいはい、イイの
「もうお兄ちゃん、いい加減!そんなんだから、カノジョに振られるんだよ!」
「へいへい」
 古森は妹の文句を受け流し、心の中で答える。申し訳ないが、俺に今までカノジョは居たことがない。ただそれを正直に言えば、また別の文句が飛んでくるので、古森は大人しく口をつぐむ。従兄弟の佐久早は古森はよく喋る男だと思っているが、そんなことはない。むしろ、お喋りなのは古森家の中でも末っ子の、この妹で。古森はその半分ほどしか喋らない。そして、そのさらに三分の一ほどしか、喋らないのが佐久早だ。
 古森からすれば、自分勝手に喋ってくれるので、楽なのだが、佐久早は止まらぬマシンガントークも全て拾おうするので、よく疲労寸前になっている。取っ付き辛いように見えて、佐久早は結構良いやつだ。それに、裏表がなくて、素直な分付き合いやすい。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「キヨくんと三角関係になったりしない?同じ学校だし、同い年だし」
「ないない。そもそも、聖臣が誰か好きになるの想像つかないし」
「えー……つまんない」
「兄の私生活をエンタメにしないでください」
「バレー漬けの生活だもんねぇ。無理かぁ」
「そうそう。そんな時間はありません」
 そんな時間はないし。面倒にも似た感情を覚える。平均以上の身長。可愛らしい童顔。同年代の男の子にしては出来過ぎなくらいの、気遣い。そして、お喋りだってできる。
 古森元也はモテる。周りからイジられる感じでも、校舎裏でマジの告白を受ける感じでも、LINEでも。伝えられる言葉・手段は違っても、古森が返す言葉はいつも同じだった。「バレーに集中したいからごめん」である。どれだけ断りの文句として使用されてきたか。古森にとっては常套句ではなく、ただただ事実だっただけで、そんなつもりは……まあ、多少ある。でも、嘘ではない。
「キヨくんとお兄ちゃんの三角関係かぁ」
「まだ言ってんの」
「だって、お兄ちゃんの方が女の子に好かれそうだけど、少女漫画的展開だとキヨくんの方が選ばれやすいじゃん」
「ハハハ」
 古森は妹の言葉に、乾いた笑いしか出なかった。まさか、このタイミングで背後から刺されるとは思ってもみなかった。しかも、身内に。妹は笑って誤魔化されても、分かる。兄が落ち込んでいるらしいことに。
「お兄ちゃん……女の子はいっぱいいるから!……ねっ!」
「あ、うん。ありがと」
 勝手に勘違いされ、勝手に励まされたが、古森は大人しく頷いておく。これ以上、勘違いされると面倒なので。

 風邪から復活した古森はいつも以上にクラスメイトに絡まれた。治ったというのに、のど飴まで押し付けられた。有り難くブレザーのポケットにしまって、タイミングを窺っていた。それは向こうも同じだったらしい。不意に視線を感じて隣を見れば、彼女と視線が合った。彼女は少し目を見開いて、すぐ古森から視線を外す。気まずいと思っているのは彼女も同じようだ。しかも、ふたりは席が隣同士だった。
 このままクラスメイトと気まずいのも嫌だし、フォローしないとなぁ。でも、いつ話そう。二人きりで話せる機会とか中々ないし。古森がどうしようとトイレの帰り道に悩んでいると、佐久早を見つけた。誰かと話しているらしいが、丁度相手は角の向こうにいるようで、分からなかった。しかし、佐久早の表情がなんとなく柔らかい。これではきっと飯綱さんか部活の相手に違いない。古森はスキップをする勢いで、佐久早の背中に飛びついた。
「なに話してんの」
「元也……」
 佐久早の脇からひょっこり覗き込む。相手は誰だ?三年生か、二年生?あれ?バレー部員にしては身長が小さ……あ。古森が視線を下げていくと、そこにはフォローが必要なクラスメイト……彼女が目を丸くして、立っていた。急に現れた古森に驚いているようだった。
 え、なんで二人で喋ってんの?急展開?俺が休んでいる間に、めっちゃ進展してるじゃん。エッ?
「お、おめでとう……?」
「何が」
 佐久早は行動が読めない古森に顔を顰めて、距離を取ろうとする。まだ病み上がりで本調子ではないのか?と疑っているのだ。古森の勘違いも、佐久早の戸惑いも、全て理解している彼女は佐久早の袖を引っ張る。
「聖臣くん、さっき言ったじゃん。こないだの」
「ああ……だからか」
 古森は首を傾げる。え、なになに。この俺だけ分かってない感じ。もしかして……
「もう付き合った感じ……?」
「俺とおっぽが?おっぽはそんなんじゃないし、見たこともない」
「えっ、おっぽ?」
  佐久早は至極当たり前に答えて、古森は新たな情報に余計に頭を混乱させる。そして、彼女もバッサリと言い切る佐久早に唇を尖らした。そんな彼女に佐久早は俺が言ったこと間違ってる?と首を傾げる。間違ってない。間違ってないけど。こっちは難しいと年頃なのに、バッサリ、きっぱり異性としてみられてないって言われると、なんか、なんか……彼女はンーと唸って佐久早の腕を軽く揺らす。
 佐久早は彼女の煮えきれない態度に眉を寄せて、しばし思案したあと、ぎゅわむと彼女の頭をプレスした。
「俺がおっぽに恋愛感情もってないからって、おっぽが異性であることは変わりないだろ」
 佐久早の言葉に、彼女はエヘヘと頷いて、古森は驚愕した。あの聖臣が他人の気持ちを汲んで、喋ってる。いや、古森も知っている。この冷血にも見える従兄弟がそうではなく、割と義理と人情に熱いところもあるのだと。あまりお目にかかる機会は少ないが。佐久早は驚いて固まっている古森に向き合うと、視線だけで彼女を指して、改めて紹介する。
「俺とおっぽ、幼馴染なんだよ」
「あっ」
 その一言で、古森は全てを理解した。自分が何を勘違いしていたのか。寝込んでいたときに、考えていたことがどれだけ独り相撲だったのか。驚いている古森に、彼女が申し訳なさそうに口を開いた。
「古森くん保健室で誤解させるようなこと言ってごめんね。あのとき共通の話題だと思って、古森くんと佐久早くんって従兄弟なんだよねって言っちゃって」
 古森がもうすごいスピードが理解している内容は、彼女の補足内容と全く同じだった。
「おっぽは体調崩したヤツに、恋愛相談するほど空気読めないヤツじゃない」
「フォローしてくれて嬉しいけど。言い方
 佐久早の遠慮がないながらも、柔らかい声色。佐久早の物言いに慣れている態度と、笑いながら突っ込む彼女。そんな二人のやりとりに、本当に二人はただの幼馴染なのだと古森は理解した。友達より親しい雰囲気、家族より弁えた距離感。まさに、幼馴染という言葉が適切な二人だった。
 古森の肩が一気に軽くなった。彼女と佐久早との仲をフォローしなくていいし。彼女は佐久早と古森を並べて、佐久早を選んだわけでもない。なんだ、何もないし、何もしなくていいのか。古森はニコニコと頬を緩めて、開放感から佐久早の背中を軽く叩いた。
「なんだよだったら聖臣教えてくれても良かったのに」
「何を」
「こんな可愛い幼馴染がいるってこと!はぁスッキリした」
「はぁ?」
「じゃあ、俺先教室戻ってるわ」
 古森はまたスキップをする勢いで教室に帰っていった。爆弾を一つ落として。なんだったんだ、あのテンションは。佐久早が叩かれた背中を撫でながら、隣を見てギョッとした。
「おっぽ、どうした」
「エッ」
「顔赤いけど」
「!」
 彼女は真っ赤な顔のまま佐久早の袖を、また引っ張る。佐久早は腰を曲げて、彼女のコソコソ話に付き合ってやる。そして、目を見開いた。
「チョロすぎだろ」
「だ、だって……男の子にかわいいって言われたの初めてだもん」
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「なに」
「……何でもない」
 何でもなくはないだろ。そんなツッコミをしたくなる顔をして、従兄弟はススっと古森の元から去っていく。変な聖臣。古森は首を捻って、腕の中のボールをカゴに片づけた。
 まさか自分の何気ない一言で、佐久早の幼馴染の心を奪ったと思ってもみない古森は、鼻歌歌いたくなるほど気分がよかった。恋の仲介人ほど、厄介で面倒ものなんてないのだから。

あとがき

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