えっと、んっと、えっとね……
「ねえねえ、名前」
「ん?」
「こないだ黒尾くんに会ったじゃん」

 私の一番の友達。綾と黒尾くんは誕生日が同じで、ちょっと色々あって二人は会うことになった。綾と私は騒がしい教室の隅っこで、スマホでクリスマスコフレをチェックしていた。自然な話題の流れだった。綾はこれ彼氏からプレゼントしてもらおうかなぁ、と。からの、私の番か?と思ったけど、違ったみたい。いや、私の番には変わりないんだけど。

「うん」
「で思ったんだけど。なんで、名前は黒尾くんのこと、名前で呼ばないのかなって」
「ああ、鉄朗くんって?」
「そうそう!だって、付き合って長いじゃん?そういう話にならなかったの?」
「ああ、それはねぇ」



 俺は思う。何かしても許されるキャラって、あると思います。例えば、今部室でピコピコと音を鳴らして、ゲームをやっている研磨は、初対面の子でも下の名前で呼んでいても、違和感がない。実際、本人自体も研磨って、下の名前で呼ばれてることも、理由の一つかもしれない。そう。研磨が名前ちゃんって、彼女のことを呼んでいても違和感がない。むしろ、今の今まで俺は何の疑問も、文句も、思わなかった。君たち仲いいのね、って微笑ましいくらいだった。

 ただね、これはね、ちょっとね、驚くよね。

「黒尾ーこれ、名前ちゃんから」
「は?」

 思わず俺の口から出た声に、部室に居たみんなびっくり。俺もびっくり。いや、研磨だけ面倒そうに、バリエーション豊富な嫌な顔をしていた。夜久は大きめな目をぱちぱち、と瞬きを繰り返して、何言ってんだお前?と眉を寄せる。いやいやいや、俺は主張したい。絶対俺がしたいからね、その顔。確かに、やっくんと海は俺の最愛の彼女ちゃんに、会ったことあるよ?あるけども!そんとき、別に名前のこと、名前って呼ぶくだりなかったよね?え?なんで?やっくん、名前のこと名前ちゃんって、そんな……。俺は気付いた。やっくんから渡された袋のデザインはちょー見覚えがある。

「名前のバイト先の」
「そうだよ。今日パン買いに行ったら、名前ちゃんが居て」
「待って、このパン屋って、やっくんの行きつけじゃない?」
「そうだよ。名前ちゃんがお前に差し入れって」
「……まさか、やっくん」
「なんだよ」
「パン屋で何度も何度も、名前と接触したことあるってことなの!?」
「クロコ、うるせぇ。あーまあ、五回くらい?」
「ンまァ!そんなにっ!?」
「研磨ー、これ何が言いたいの?コイツ」

 やっくんは鬱陶しそうに、俺を避けると、研磨へ呼びかける。研磨も、とっても面倒そうにこちらへ振り返った。さっきから周りが辛辣過ぎて、主将は悲しいですよ。あと、バイト先でやっくんと会ったこと教えてくれない名前さんにも、ちょっと悲しい。「あー!そうそう!意外によく来るの!夜久さん!……え?言ったほうが良かった?ごめんね?」多分最初は思い出したように言うだろうし、俺が気に入らないってぷんぷんしたら、意外に気にするのねって驚いた顔しながら、可愛らしく小首を傾げて謝ってくるだろう。もう脳内の名前だけ、かなり癒された。やばい、ぷんぷんしちゃったけど、もうぷんぷんどっか行ったわ。

「やっくんが名前ちゃんのこと、下の名前で呼んでるから」
「?」

 やっくんは腑に落ちないようで、こてん、と首を傾げる。いや、それ、名前で見たいんですけど。そんなとき、海が穏やか顔で付け足すように、俺と夜久の間に入ってきた。

「知らない内に、友達が恋人のこと名前で呼んでたら、びっくりするだろ?」
「あー、そういうことか!俺も、黒尾が俺の彼女の名前で呼んだら、やだ」
「俺は名前ちゃん以外の女の子の名前は、下で呼ばないんで。一途なんで」
「うん?でもさ、黒尾」
「え、聞いてよ、やっくん」
「名前ちゃんなんで、お前のこと名前で呼ばねぇの?」
「……」

 え。ぽくぽくぽく、ちーん、って感じだった。ぶっちゃけ考えたことがなかった。初ちゅーも、初えっちも、お泊りも、色々済ませた仲だ。今年、交際三年目だし、俺と名前はかなり愛(自分で言ってて恥ずかしい)をかなり育んでると思うんだけど。名前が俺のことを、てつろうって?鉄郎って?呼ぶの?……あれ、想像できない。やばい。名前が俺のこと、黒尾くんって呼ぶのが馴染み過ぎて、全然想像できない。

「名前ちゃん、研磨のことは研磨くんって呼ぶじゃん」
「夜久くん!余計なこと言わないで」
「え?なんで?」

 今俺の背景にはガーンという文字が入っているに、違いない。あと、色も寒色系の背景になっている。名前が男子を下の名前で呼んでるイメージない。全然ない。中学の頃なんて、全員名字で呼んでたし。それこそ双子相手でも、みんなから下の名前で呼ばれるキャラの男子でも、絶対名字で呼んでた。なんで、研磨だけ。俺が研磨を見ると、研磨はえ、そんなに早く動けたの?ってぐらいの速さで、俺から視線を逸らして、部室から出て行った。もう研磨という最後のブレーキが居なくなったやっくんは無双状態だった。

「つーかさ、名前ちゃんと研磨の方が名前で呼び合ってて、恋人っぽくね?」
「こら、夜久」

 いや、名前と研磨が二人で並んでたら、小さいものクラブですぅとか言えなかった。思ったよりも、心にキタ。ぐさっと。

 俺はその日のうちに、彼女に次に会う予定を速攻取り付けた。



 特別したいわけではなかった。本当に。ただ久しぶりに黒尾くんの匂いとか、体温とか……そういうの感じたら、したくなった。口が裂けても、言えないけど。でも、したい。てか、そもそも!黒尾くんの方から今日会おう!って誘ってきたのに!放置はないと思います。ねえ、黒尾さん、聞いてます?

「あのー……名前さん」
「はい」
「近くないデスか?」
「近くないです」
「ソウデスカ」
「はい」

 と、まあ、そんな騒がしい内心はとりあえず置いておいて。二人きりの空間ならば、大胆なスキンシップも多少怖くはない。ベッドに座って雑誌を読む黒尾くんにぴっとりと寄り添って、ほっぺまでも押し付ける。黒尾くんは動き辛そうにしながらも何も言わずに、ページを捲った。かたい二の腕を思い切り握ったり、腕とわき腹の間に手を捻じ込ませよう奮闘したり、好き勝手に黒尾くんで遊んでいると、流石に痺れを切らしたらしい。黒尾くんは大きな手で私の両手を拘束して、にこぉと笑ってきた。

「名前ちゃんなになに」
「はい」
「構って欲しいの?」
「はい」
「……」

 黒尾くんの言葉に恥じらいもなく頷けば、黒尾くんは目を丸くした後に小さく笑った。

「遠回しすぎ」
「わあ」

 黒尾くんは躊躇いなく私をベッドに押し倒して、ぎゅううう、と抱き締めてきた。私も抱き締め返して、黒尾くんの首筋に鼻を押し付ける。大好きな人の匂い。安心して、ドキドキする匂い。ムラムラもでしょ?と脳内の黒尾くんが茶々を入れてくるから、目の前の黒尾くんの首に唇を押し付けた。思い切り吸い上げてやった。色気の欠片もない吸引力に、黒尾くんはふぎゃあ、と変な悲鳴を上げていた。まるで、尻尾を踏まれた猫のようだった。本物っていうより、どちらかと言うと……、なんだっけ、あれだ。トムとジェリーみたいな感じだった。

「名前さん、そこ見えちゃうんですけど」
「……キスマークっていうより、傷に見えるから大丈夫だよ」
「いや、それむしろ心配される案件なんですけど」

 だいじょうぶ。だいじょうぶ。私は根拠もなしに、そう呟いて、黒尾くんにキスしようとして、首を傾げる。黒尾くんが何か言いたげに、私を見下ろしてきた。

「どうしたの、黒尾くん」
「あのぉー名前さん」
「はい」
「俺の名前ってご存知?」
「くろおくん」
「はあ」

 誠に遺憾である。なまえを聞かれたから、黒尾くんのなまえを答えただけなのに。黒尾くんはため息をつくクセに、私を抱き締めて、なでなでと小さい子にするように頭を撫でてきた。なんだろう。このバカなほど、かわいい的な雰囲気の可愛がりは。

「あ」
「?」
「てつろう……くん?」
「んぇ」

 無意識だった。無意識だったけど、これは我ながらあざといな、と思った。首を傾げながら、上目遣い。これは完全にあざとい仕草だった。私は湧き上がる恥ずかしさに気付かないフリをして、至って無垢な顔をして、黒尾くんの反応を大人しく待った。黒尾くんは珍しく狼狽えた様子で、顔を真っ赤にすると、私の上から去ってしまうではないか。こらこら、どこ行くの。私は逃げようとする黒尾くんを捕まえるために、黒尾くんと比べて短い腕を伸ばして、抱き着けば、また黒尾くんは変な声を出した。

「鉄郎くんじゃない?あっ、てつくん?」
「んにゃっ」
「てっくん?」
「タンマ」
「てつてつ?」
「それは、違う」

 黒尾くんの気に入る呼び方は、なんだろうと模索したみたが、てつてつは違うらしい。某ヒーロー漫画を思い出しちゃうもんね。黒尾くんはいつもより強引に、私の唇を塞いで、舌を突っ込んできた。黒尾くんの赤い耳に、元々なかった抵抗する気持ちはさらに消えて、大人しく黒尾くんのされるがままだった。黒尾くんは大きな手で、太ももを撫で回す。久しぶりの黒尾くんの大きな手に、温かい手に、私はゾクゾクと感じとしまって、足の間がきゅーと寂しくなる。思わずもぞもぞと足を動かせば、黒尾くんはそのまま手を内ももの方へ滑らして、足をぐいっと開いた。

「あっ」
「いい?」
「うん」

 キスの合間の確認に頷くと、黒尾くんはまた頭を撫でて、スカートの中へ手を忍び込ませた。



「黒尾くん」
「ん?」

 私は黒尾くんの腕の枕に甘えながら、ぴったりと黒尾くんにくっついた。黒尾くんは「あらあら甘えたさんね」って、すっかりいつも通りみたいだった。じーっと、黒尾くんを見つめて、「今日のアレ、なんだったの?」と聞くと、黒尾くんはちょっとだけ、嫌そうな顔をした。人が照れると、「可愛いだけだから大丈夫だって」って笑いながら、からかってくるクセに。自分のことになると、居心地悪そうに嫌な顔するの。すっごく可愛い。いつも優しくて、大人っぽい黒尾くんの、子どもっぽい一面が特に大好きだった。

「名前は俺のことずっと黒尾くんって呼ぶから、さ」
「黒尾くんは黒尾くんだもん」
「そうねー俺は黒尾くんだもんねー」

 私の言葉に、黒尾くんは私の頬をむいむいにと摘まんできた。その表情はやさしいんだけど、小ばかにしてるのか、何を思ってるのか、イマイチ分かんない表情だった。足を絡ませて、黒尾くんの身体を引っ張った。黒尾くんは仕方なさそうに、仰向けにしていた身体をこちら向きにして、横向きになってくれた。そのまま私が抱き着けば、黒尾くんも抱き締めてくれる。ほんの少しだけ、顔を上げるだけで、黒尾くんとすぐ目が合う。

「鉄朗くんって呼んだほうがいい?」

 そう聞くと、黒尾くんは難しい顔をして、ふるふると、小さく首を横に振った。珍しく弱弱しい反応をする黒尾くんが可愛かったので、これ以上の意地悪はやめておこう。

「……いや、黒尾くんで」
「そう?なら、黒尾くんで」
「結婚したら、鉄朗くんって呼んでね」

 私はちゃんと大人しく頷いたのに、黒尾くんやっぱり一言多いのだ。

「じゃあ、それまでに慣れてね」

 ずっと突かなかったところを最後に突けば、黒尾くんは頬を薄っすらと赤くした。そして、ぼやく様に小さく宣言した。

「……努力シマス」



 というわけで、冒頭に戻る。

「ええ〜意外!黒尾くん側が照れて、もうしばらく今のままってこと?」
「だよね、意外だよね」

 私は綾の言葉に、眉を下げて頷いた。でも、いいんだ。これは、これで楽しいので。


〜おまけ〜
「黒尾くん、どっちがいい?」
「どっちでもいいよ。名前の好きなほうで」
「え〜二人でお揃いするんだから、二人で決めたいの」
「俺は名前さんと常に同じ気持ちですから」
「……てつろうくん」
「うっ」
「もう一回聞くよ?
 鉄朗くん、どっちがいい?」
「み、みぎっ!こら、くっ付かない!」

 ▼かなり効果はバツグンだ!
PREVTOPNEXT
- ナノ -