一生あなたのことを愛したい

 影山は目の前の男の言葉に首を傾げていた。そして、思ったことを口にした。目の前の男こと、宮侑は形のいい目を大きく開いて、ゆっくりと瞬きを数回繰り返した。「……」小さな声で、呟くように、女性の名前が聞こえた。影山は自然と今聞こえた名前が宮さんにとって大切な人なのだと、理解した。宮は真面目な顔から一転して、ニカッと笑うと、影山の頭をぐしゃぐしゃと大きな手で乱す。影山は好きに撫で回されながら、どうして自分が撫で回されているのか分からなかった。宮さんがバレー以外で、日向みたいに笑うの珍しいな。

「飛雄くんと話してたら、アイツに会いたなってきた。今日はもう先に帰らせてもらうわ」
「……っス。お疲れ様です」
「ん、お疲れ様〜」

 宮は仕上げに、ぽんぽん、と影山の頭を軽く叩いて、笑う。

「飛雄くん、ありがとお」
「はい?どういたしまして……?」

 宮は静かなトイレから抜け出して、騒がしい店内へと戻って行く。席に戻ったら、キャプテンに言うのだ。「今日は恋人が待ってるからお先に失礼します。付き合って二年目の記念日なんです」と。きっと情に熱いあのキャプテンは目を大きく見開いて、丸くして、「あの宮が……!」と驚いて泣きそうになって、早く帰れと宮の背中を押すのだ。そして、宮はバレーで鍛えた体をフル活用して、彼女の元へ急ぐ。「打ち上げ?了解。ちゃんと次のオフ埋め合わせお願いします」といつも具体的に妥協案を出してくれる彼女の元へ。本当は寂しいと言いたいけど、言えない彼女の元へ急いで、会いに行くのだ。「もう我慢しなくていい。これからも妥協は、折り合いはいっぱい付けて行くことには変わりないけど、寂しいことは隠さなくていい、我慢しなくていい。素直になっていい」と伝えるために。

「素直に言える相手じゃないと、将来結婚とか無理じゃないっすか?」

 まさか後輩(?)との世間話が引き金で、自分がプロポーズしようと思うになんて、宮は夢にも思っていなかった。



「わあ、飛雄くん本当に来たの」
「来ちゃダメだったか?」
「ううん、だいじょうぶだけど。打ち上げの後に、私の家ってあんまり来ないから」
「……そうだった気もする」
「気じゃなくて、実際そうなんだってば」

 その日の深夜、影山は彼女宅にほんのり赤い頬と酒やたばこの匂いを纏って現れた。彼女は事前に連絡を貰っていたとは言え、影山が自ら遅い時間帯に来ることが今までになかったため、とても驚いていた。彼女の顔を見て、彼女の部屋の匂いをかいで、彼女をすぐに抱き締めたくなったが、影山は唇を尖らせて我慢する。彼女は既にお風呂に入って、髪も乾いていて、部屋着姿で、もう本当に寝るだけの姿だった。影山が特にお風呂上りの彼女の匂いや肌が好きだった。今くっ付くと、彼女にこの居酒屋独特の匂いが移ってしまう。それを避けたい影山は、彼女に一言断って、お風呂を先に借りることにした。

「じゃあ、着替え持ってくから先入ってて」
「いや、自分でや」
「その匂いでうろうろされる方がやだ」
「うっ」

 彼女は笑顔だったが、問答無用で家主にそう言われれば従うしかない。影山は靴を脱いで、揃えると、風呂場へと直行した。彼女は自分よりも大きい背中を見送りながら、首を傾げる。飛雄くん何かあったかな?表情が豊かではないようで、豊かな恋人は未だに何を考えているか分からない節がある。いや、他人を簡単に理解できるものでもないのだが、特にこの恋人は一般的な思考回路よりも、感情よりも、特殊な気がする。そんなところが面白くて、可愛いくて、大好きなのだが、たまに相手のことが分からないと何かあったかな?と心配になってしまう。それに、彼女は自分の薬指に視線を落とす。思い出されるのは、先日の女子会にてのある会話だ。

「名前ちゃんの所もそろそろじゃない?」
「うんうん、影山くんもきっと考えてるよ!」

 一足先に結婚した先輩と、わくわくと自分のことのように考えてくれている友達の言葉。彼女は何とも言えずに、曖昧に笑うことしか出来なかった。付き合ってそこそこ……具体的に言うと、もうすぐ三年ほど経つか。うーん、彼女は首をひねって、影山の着替えを取りに行くことにした。自分の玄関には不似合いな大きなスニーカーが現れなくなるのはいつだろう。自分の部屋のクローゼットの一部を占めている、この部屋着、下着、スポーツウエアがなくなるのはいつだろう。そんなことをいつも頭の片隅で考えている自分がいる。これは誰にも言えない秘密だ。別に別れたいわけじゃない。ただすんなりと、障害もなく、影山と将来を共にすることが想像し辛いのだ。いつか居なくなって、離れ離れになって、テレビで姿を見て、元気にしてるんだぁと思って見守る位置の方が想像が容易い。

 彼女はクローゼットから影山の着替えを取り出して、苦笑い。飛雄くんに失礼だよね。きっと影山は影山なりに、考えている。それとも、別れる発想自体がそもそもなさそうだな。真っ直ぐで、一途で、妨げることを許さない姿勢はある意味心配する方が無駄なのかもしれない。でも、それはあくまでバレーに対しての話であって、恋愛は別かもしれないし。

 シャワーの音が、丁度止まった。彼女はバスルームの扉を軽くノックして、影山に部屋着を持って来たことを告げる。次の瞬間、扉が開いて、彼女は驚いて一歩後ろへ下がる。むわり、と温かい湯気が洗面所に広がって、ぽたぽたと髪から水を落としながら、影山はじっと彼女を見下ろしていた。

「えっと?着替え洗濯機の上に……」
「あざっす。名前」
「はい」
「結婚するか」
「え?」
「あ、ちげえ。俺と結婚する気はあるか」
「……は?ごめん、ちょっと飛雄くん分からない」
「?……名前が俺と結婚したいのか、どうか知りたい」
「いやいや、質問の趣旨じゃなくて!今、どうして、そんなこと私は聞かれてるのかな?って!」
「それは」
「ああ、とりあえず!髪と身体拭いて!着替えて!話はそれからだ!風邪ひいちゃうよ!」
「あ?ああ、そうだな」
「リビングで待ってるから」
「分かった」

  こくり、と頷く素直さはいつも影山だった。彼女は驚いた自分を落ち着かせるために、ホットミルクでも入れようと洗面所から足早に去っていった。



 影山は頭をガシガシと拭きながら、宮との会話を思い出していた。影山はトイレに続く扉の前で、彼女に電話をしていた。打ち上げが終わったら、家に行っていいか、と。彼女は特に文句もなく、いいよーといつもと同じ声で承諾してくれた。その会話をトイレに来た宮に聞かれていたらしい。宮はニヤニヤと鬱陶しい笑みを浮かべて、影山の首に腕を回す。面倒なことになったと表情に出ないなりに、影山は思っていた。こういうときの宮さんはちょっと及川さんに似ている気がする。

「飛雄くん恋人居ったんや〜。付き合ってどんくらい?」
「います。あと一か月で、付き合って三年になります」
「うわ、イメージ通りやな。ちなみに俺は今日で、今の彼女と二年になるんやで」
「おめでとうございます……?
 今日彼女さんと一緒に居なくて、いいんですか?」
「ん、元々はその予定やったんやけど。
 こっちの付き合いもあるからなぁ……今度のオフの埋め合わせで許して貰ってん。
 俺んとこは理解ある彼女やから」
「……」

 宮はにんまり、と笑う。影山は既視感を覚えて、自然と険しい表情になっていた。

「そのうぬんって顔しても、可愛くないで。むしろ飛雄くん意外やな」
「?」
「記念日やから一緒に過ごすとか、そういうの、拘りなさそうやのに」
「……最初はなかったですよ」
「彼女から押し切られたん?」

 飛雄くんは尻に引かれるタイプなんかな。宮は一際面白そうに、笑みを深めた。影山は本能的に眉を顰めながら、首を横に振る。

「違います。
 名前……えっと、彼女に付き合って一年目の記念日のときに、言われたんです。
 俺たちはは一緒に居たいから、普段から一緒にいるための努力?しなきゃダメで、
 そのお互いの努力に、お互いが感謝する日にしたいから、一緒に過ごしたいって……
 で、そのときに気付いたんです」
「?」
「俺たちは一緒にいるのが当たり前じゃねぇんだよなぁって」
「ほお……」
「そしたら、俺も自然に一緒に過ごしたい?過ごすもの?って思うようになったんで、
 宮さんのところも、そうなのかなって思って聞きました」
「おお……」

 宮は圧巻だった。バレー以外はぽんこ……、人間らしいイメージがない、というか無頓着な後輩(?)が意外に情熱的で、理性的だったことに圧巻された。

「宮さんは彼女さんに会えなくて、寂しいと思わないんですか?」

 これまた意外な質問だな、と宮は眉を上げる。飛雄くんは意外と恋愛になると、人が変わってしまうタイプなんやろうか。

「ん〜……思わんことないけど、めっちゃ思わけでもないなぁ。飛雄くんは寂しいってなるタイプ?」
「あんま思わないっスね。」
「思わんのかい」

 宮のツッコミを真顔で受け止めた影山は過去に彼女から言われた言葉を思い出す。彼女とあんまり衝突はしたことがない。でも、一度言われて、今でも戒めとなっている言葉。「飛雄くん……それは傲慢だよ。私は飛雄くんと感じ方も、考え方も違うの」名前が俺のこと好きって知ってるから、不安も寂しさもあんまりないと言い切ったときに、言われた言葉。きっとこれからも、何度も思い出して、考えるきっかけになる。

「でも、俺と彼女は違うから」
「?」
「理解してたら、寂しいって思っちゃいけないスか」
「……」

 宮は影山の言葉に、笑顔をなくして、自分の恋人を思い出した。いつも宮の都合に振り回されることが多くて、妥協案は言うけれども、ワガママは言われたことがない。まだ誰にも言っていないが、宮は結婚するなら今の彼女がいいと思っている。好きなことはもちろん、彼女相手だと将来の想像がすんなりとできる。ただ一つだけ、引っかかることがある。その違和感が今まで分からなかったが、今の影山の言葉で分かった。彼女は妙に聞き分けがいいのだ。不満も、文句もあんまり言われたことがなく、衝突もまだしたことがなかった。

「俺の彼女は傍に居る時間が少ないと不安になるし、連絡だって少ない不安になる、
 そう感じるらしいです。
 俺と違うけど、だからって俺は彼女に寂しいとか言われたくないって思わないっス。
 それに、本音に言える相手じゃないと、将来結婚とか無理じゃないっすか?」


  彼女は着替えを済ませてリビングへ来た影山と目が合って、自然に背筋が伸びる。ちびちびと飲んでいたホットミルクをローテーブルへ置いて、ソファから立とうとして、影山から制される。影山は大人しく座っている彼女の前に膝をつくと、彼女の膝に置かれている小さな手を両手で包み込む。大きく温かな影山の手に触れられると、彼女はいつも緊張する。この大切な手に触れてもいいのだろうか、と緊張する。影山は顔を上げると、彼女の目をじっと見つめる。彼女の目には、ちょっとの戸惑いと不安が隠れていた。あと、少しの希望も。影山はこれから自分が言うことが、彼女の希望になればいい、なってほしい、なってくれますように、と祈る気持ちで彼女の手をぎゅっと、握る。

「名前さっきのことについて、いいか」
「結婚の」
「ああ」
「分かりました。どうぞ」
「名前」
「はい」
「細かいは正直全然分かんねぇ」
「……はい」
「それでも、俺はこれから先ずっと名前と一緒に居たいと思ってる。
 俺がおっさんになって、じいさんになっても、俺と一緒に居てくれないか」
「だから、結婚しようって?」

 影山は至極真面目顔をして、こくりと頷いた。彼女は目元を手で覆って、震える唇を無理やり上げる。なにそれ。飛雄くん来年から海外行くんだよ?私日本で就職してるし。親への挨拶とか、結婚式とか、海外に行くなら国籍とか、全然分かんない。ああ、もっとちゃんと勉強しておけばよかった。影山はいつだって、無茶苦茶で、何を考えているか分からない。分からない、でも、影山飛雄という男は愛おしいほど、一途な男なのだ。

「いいよ。しわしわのおじいちゃんになっても、一緒にいる」
「!」
「でも、全然分かんない細かいこと、一緒に勉強してね?」
「……うぬん」

 嬉しそうな影山の表情が一転して、テスト前のような表情に変わる。彼女は珍しく表情を豊かにする影山に笑いながら、小指を差し出す。大きな小指を絡めて、約束。

「一緒に勉強頑張ろう」
「おう」



「飛雄くん」
「どうした」
「図々しいこと言ってもいい?」
「おう?」
「プロポーズの際に指輪とかは……?」
「昼神さんに彼女さんと買いに行った方がいいよって言われた」
「!(確かに……!)」
「今度のオフ買いに行く予定だけど、行けそうか?」
「行ける!飛雄くんはどんなのが」
「あんま付けれないから、名前の好きなのでいい」
「はーい(言うと思った)」

イメージソング/Berryz工房「あなたなしでは生きてゆけない」
彼女は影山にとって初恋の相手だったりする



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