参舞


『采和、采和』
「なんだよ、名前」
『なんだよって…酷くない? ご飯、出来たよ』
「お、そうか!」

 あの頃は、なんて幸せだったんだろう。何も考えなくて良かった。だから…こんな夢を見ると、いつも1日中嘔吐に襲われる。ぐらぐらと足取りが重くなって、碌に宮中を歩けない。壁に必死に縋って歩いて、ゆっくりと歩むことしか出来ない。

『くっそ…誰か、連れて来るんだった』

 顔が苦しさで歪んだ。息をするのも苦しくなってきた。どうすればいい、などと考えている暇はない。仕事場に向かわなくては。

「あっれぇ? もしかしてぇ、玉響ちゃあん?」

 更に吐き気が増した。ああ、アイツだ。比企がマズそうと表現した奴。藍の腕に自身の腕を回して、猫撫で声で話す、…いわゆる媚売り女。こんな時に出くわすなど最悪だ。

「どうしたのよぉ? 具合悪いのぉ? きゃっはあ! おっかしいわ」
『……っ…アンタこそ、どうしてここにいる、平』
「平じゃなくてぇ、乙子って呼んでって言ってるでしょお? ほんとぉ、ダメな子ねェ」
『…アンタ程じゃないさ。媚売り乙子ちゃん』

 その瞬間、奴の目つきが変わった。あー、本性むき出し丸出し。こんな体調悪い時にこれはないよ。って、私が仕掛けたんだが。

「ふぅーん? 言ってくれるじゃない……これからどうなるか予想できないの?」
『分かっていてやっていたとしたら…どうするんです?』

 その一言に平の表情が歪み、次の瞬間腹に激痛が入った。それは、平が異常なほど感情をむき出して、私の腹を蹴ったからだ。その痛みに腹を押さえてしゃがみ込めばクスクスと気味の悪い笑い声が聞こえる。

「いい加減にしてよね? もっと痛めつけてやりたくなっちゃうでしょお?」
『ぐっ……っ、こんな所で油売ってていいんですか?お仕事は、』
「べっつにい? 乙子はお姫様だからあ、やらなくたっていいんだもん」
『お姫様、ねえ……』

 西王母様を差しおこうなど100年早いわ、と睨めばまたガッと強い蹴りが入る。

「そういう目で見ないでくれるう? 汚らわしくてやんなっちゃう」
『っ〜……』
「あ、靴も汚れちゃうわあ。ま、いいわ。じゃあねえ、玉響ちゃん……早いうちに消えた方が身の為だよ」

 クスクスと甲高い笑い声とともに、そいつは消えて行った。私は痛むお腹を押さえて必死に立とうとするが痛みの方が上だ。どうせ、女官が通りかかっても無視して去っていくだけだ。助けは求められない。嘔吐に襲われているこの時に、とる手段は一つしかなかった。

『――翆輝』

 そう使役の名前を紡げば、一瞬の風と共に彼は現れた。翡翠色の長髪を風になびかせて現れた彼は、私を見ると瞳を大きくして駆け寄ってきた。

「名前!」
『ごめ、翆輝……ちょっと、具合悪くて』
「…アイツの匂いがする。絡んだな」
『あっちが最初に、の間違いだよ。朝からの吐き気がプラスだよ……』
「だからあれほど止めておけと言ったんだ、この分からず屋!!」

 翆輝はそう怒鳴って、ひょいっと私を抱えた。きっと今の顔色は凄い事になっているんだろうな、と思って口元が緩む。それを見た翆輝は不可解そうな表情をして一つ舌打ちをした。

「宮へ戻るぞ、いいな」
『ん……』
「水成が甘い茶を用意していた筈だ。我慢しろ」
『大丈夫…。もう、子供じゃないんだから』

 その言葉に「俺から見たらまだ子供だ」と翆輝の反論を受けた。確かにそれもそうだと笑えば、一瞬の風に乗って空高く飛び上がった。そして風を蹴って、翆輝は私を抱いたまま宮へと戻ったのだった。



110325



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