泡沫


名前は、采和の仕事場の目の前に立っていた。比較的身長差のある二人。
そうでなくとも腰かけている采和は名前を見上げる形だ。
そしてその沈痛なまでの悲痛な面持ちからして、彼女が何を言いに来たかを察してしまった。

『……師父』
「そう呼ぶなと言ってるだろう」
『…采和』
「……お前の言いたいことは、わかってる」
『では「だが、俺はそれに応える事は出来ない…!」っ…采和!』

采和はぐっと下唇を噛み締めている。名前はそれを悲しげな瞳で見つめた。

『貴方を困らせたいわけじゃないんです…師父』
「知っている。俺が情に流されすぎたんだ」
『私はもう、愛した方と再会できました。それだけで幸せなのです。約束通り、この命をこの国へ…』
「出来ない。…お前が消えれば、皆悲しむ」
『それを承知で、貴方は私を潔斎したのでしょう…?』

采和の瞳が大きく揺らいだ。名前は静かに目を伏せた。沈黙を保つ蒲牢と澄風は二人の間に割って入ることは出来ない。

『私の残り少ない命はこの国へと捧げます。今まで、お世話になりました。師父、蒲牢、澄風。本当に有難う御座いました』

そんな顔をさせたいわけじゃない、三人はぐっと堪えたような表情を見せた。
彼女は最後に微笑みを浮かべた。それを誰もが望んでいた訳ではないのだ。

「蒲牢…」

采和が静かに部下の名を紡いだ。

「はい」
「名前を……龍王の元へ」
「…っ、藍様」
「早くしろっ」
「…確かに、承りました」

蒲牢は澄風と一度顔を見合わせた。その表情は、苦虫を潰したようなもの。
二人にとっても、彼女と別れるのは辛いのだ。蒲牢は名前を連れて部屋から出ようとする。
名前は部屋から出る一歩前で立ち止まる。

『采和…。貴方が私の師父で良かった』
「っ…!!」

采和の瞳が一際大きく見開かれた。彼女は口元に小さな笑みを作り部屋から出て行った。

「藍様…」

澄風が心配そうに采和を見やれば、采和は机に肘をついて顔を隠す様に頭を抱えた。



***



「此処から先は一人で」という蒲牢にお礼をいって名前は中へと足を進めた。
そこには龍王が腰かけていた。彼女は彼に一礼する。

「久しいの、嬢」
『えぇ、龍王』
「本日の件は、……それか」

長い間のあと、彼女は頷いた。龍王は表情を険しくしたが、やがて渋々納得したかのような表情になる。

「では、始めよう」

ぶわりと風が舞う。そして彼女の体は光に包まれた。

――もう思い起こすことは何もない。だけど…貴方は泣くのでしょうか? いえ、怒るでしょうね。ごめんなさい、テン紅。またいつか…二人で笑える日が来ることを、願、う…
彼女の意識はそこで切れた。



***



バチンと、弾かれたように彼は目を覚ます。彼女の声が聞こえた。
別れの言葉が、聞こえた。嘘だというように走り出す。
自分の足の速さならすぐに彼女の部屋に辿りつける。
一葉が止めるのも気に留めはしなかった。そんな暇も惜しいから。
辿りついた彼女の部屋はもぬけの殻。寝台にもいつも腰かけている椅子にもどこにもいない。

「嘘だろ……」

低く呟いた声がなんだか虚しい。彼女の上司の部屋へと足を速めた。
そこにも彼女はいなかった。いたのは頭を抱えているチビ上司だけだ。

「おい、アイツはどこだ」
「おまっ…テン紅か?」
「どこだって聞いてる」
「……逝った、それしか答えられない」

ふざけている、というようにテン紅は彼の胸倉を掴み上げた。澄風が敵とみなしたかのように戦闘態勢に入る。

「よせ、澄風…!」
「しかし……!!」
「俺が許可したんだ…俺に責がある」
「許可さえしなければ…名前は生きれたからな」

ぐっとテン紅が拳を作り、采和を殴ろうとした時だった。その手が何者かに阻まれ、彼は瞬時に後ろを振り返った。
それは蒲牢で、片腕に名前を抱えていた。テン紅はそれに気づいて采和から手を離す。
采和もそれには驚いていて、言葉が出て来ない。

「…父は、名前を生かしました」
「!! 龍王が……」
「そういっても、彼女の神としての力は残り少ない。だから神の力だけを取り除き、人と同じ寿命に」

それは龍王だから出来ることだと、采和は一瞬で悟った。
龍王は名前を実の娘のように可愛がって来ていたのを覚えている。
きっと龍王にも情があったからだ。蒲牢の話によれば仙籍に入れたという。
そして蒲牢はテン紅に名前を渡して「部屋に連れて行け」と言えばそれに大人しく従った。


寝台に眠る彼女は、小さいが規則正しい呼吸をしていた。
あぁ、生きている。テン紅は目元を和ませた。そしてそっと彼女の髪へ手を伸ばした。
はらりと手元から流れ落ちる髪は美しかった。触れることさえ、懐かしく愛おしく思った。

「お前が目を覚ましたら……」

微笑ってやる。お前の望む笑顔で。きっと、泣くだろうけど。
髪に触れる自分の指を頬へと移動して、そっと撫でる。

「名前……」

触れるだけの口付けを。彼は彼女に。
たとえ自分が白であり赤であっても彼女を愛そう。

時は刻む。穏やかに、二人の時を。



11/01/05 完結
11/06/25 修正



あとがき
テン紅連載【白く紅く】、無事終了しました!
最後が走り書きに…多分、書き直します。

主人公は死にません。生きてます。
神の力は全て国の為に捧げ、生命力は残ってます。
多分これから療養です。テン紅が付きっきりの状態です(笑

色々タイトルと噛み合ってなかったりとこの作品は苦労しました。
初テン紅、どうしよう…まだ原作も3巻までですから
かなり悩みました。けど結局自分の妄想で話が進みました。
もう少し原作が進んだら、次は采和の夢を書きたいです。

それから、この作品には何度か感想を頂いていまして…;;
感想を頂くと言う事がどれほど嬉しい事かわかりました。
本当に励みになりました。有難う御座います。

次回もいい作品が書けるように精進致します。
本当に読んで下さった方々、有難う御座います。



〜続編について〜
アンケートにて続編の要望がありました。
悩みぬいた末に小噺としての続編を決定致しました。
その後の作品も、楽しんで頂けると幸いです。




11/01/05 完結
11/06/25 追加



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