その一言に、私はなんの驚きもしない。これは「依頼」だ。なら引き受ける以外なにもない。それにこの様子じゃ常人の被害状況もかなりのものだろう。「分かりました」と頷いて私は彼に背を向ける。

『では、ゴールデンウィーク明けに会いましょう』
「ああ……じゃあな」
『はい。何かありましたら、喫茶店「Garden of ghost」にいらして下さい』

 そういい、頭を下げて女子トイレへと急ぐ。今から挨拶に伺わなければいけないのだ…そう、「幽世」の住人達の元へ。トイレへと入れば、連休期間だったことが幸いで誰もいない。小さく安堵の息をついて腕に嵌めていた翡翠の数珠を外して力強く握り「翆輝」と名を唱えれば、緑色の霧が発生して彼が姿を現した。翡翠色の腰にと届く長髪はまばらで、紅い瞳は鋭く細められた。

「なんだ、今から挨拶まわりか」
『うん。そうなると、色々厄介事が起きるしね』
「まあ、退屈しのぎには丁度いい」
『最強の鬼と謳われた鬼の言う言葉とは思えない』
「フン。その最強の鬼を手懐けたお前は、一体どうなんだ?」

 ニヤリ、と笑った翆輝に私は思わず肩を竦めて笑い返す。そして、幽世への扉を開く為に三番目の女子トイレをノックした。一拍置いて息を深く吸う。

『花子さん。いらしたらお返事を下さい』

 ぴちゃん、という水道から漏れる水滴の音が響いた。と同時にふっと個室の中に気配が宿る。ああ、いらしたみたいだと安心したとき、ギィという音を立てて扉が開いた。そこには不揃いな黒髪の少女が立って、いや、浮遊していた。

「お呼びかしら、“不眠の番人”」
『幽世へと挨拶まわりに伺いたいのですが、よろしいでしょうか?』
「ええ、勿論よ。アナタの頼みなら断れないわ」

 花子さんはそういい個室へと招く。今回は翆輝もいるのでちょっと狭い。そして「行くわよ」と花子さんは何やら意味深に微笑むと、ガタンというまるでエレベーターのような音を立てて空間が歪み始める。この前は頭をかなりぶつけたが、今回は翆輝が支えてくれているので頭をぶつけることはなかった。そして個室がギィと開いて色褪せた空間へと導かれた。

『毎度ありがとうございます』
「ふふっ。どう致しまして。終わったらまた呼んで頂戴な」
『はい』

 花子さんは「じゃあまたあとで」とふっと姿を消してしまう。妙に重い空間で紫色の瘴気が漂っている。これはまずい。瘴気がこうも色づいて目に見えているのはかなり重度である印。隣の翆輝の表情も歪んでいる。はあ、と重い溜息をついてトイレから出れば鼻につく異臭が漂ってきた。

『来そうか?』
「いや。あちらは様子を伺っているようだな」
『ふっ…あまり私を待たせるのは良い手段とは思えないけどね』
「同感だ」

 鼻で笑う翆輝はゆっくりと歩き始める。その隣に並んで歩調を合わせて私も歩き出す。校舎の至るところから視線が届いているのは分かるが、どれも出てくる気はまだなさそうだ。
 どうせ隙を見て襲ってくるのは目に見えている。その為に、とでもいうのか翆輝を呼んだのだ。いつもであれば、両隣に式鬼神を置くけれど今日は生憎翆輝だけだ。

『…元からの奴のほかに、沢山いるみたいだな』
「どうやら瘴気の原因に引き寄せられたみたいだ」
『まったく、困ったものだよ』

 ふ、と溜息をついて瞬時に胸ポケットから清めた水の入っている小瓶を取り出す。そしてコルクを噛み、きゅぽんと音を立てて抜き取り、中に入っている水を思いきり廊下の角へとブン投げた。すると角からは絶叫が響き渡り徐々に悲鳴は小さくなっていく。それを見ていた翆輝はまた鼻で笑った。

「容赦ないな、名前」
『当たり前でしょう。一々相手してたらキリがない』
「それもそうだ。……で、前方に控えている小さい奴らはどうする?」
『…ちょっと、話を聞きに行こうか』

 前方に控える教室の扉の隙間から小さく顔を覗かれるモノが2つ、3つ。どうやらこちらの様子を伺っているみたいで、手を出さない限りは何もしてこないはず。それになにかあっても翆輝の容赦ない爆風でも起こるだろうからね。
 そう思って、ゆっくりと彼らのいる教室へと近づいて行けば、慌てて彼らは教室の中へと入って行く。それに若干苦笑して教室の扉を開けた。そこには教卓の影に隠れてびくびくしている小さな子供がいた。

『大丈夫、なにもしないよ。だから出ておいで』

 出来るだけ怖がらせないように笑顔を浮かべれば、そおーっと顔が2つ出てきた。まるでタケノコのゲームみたいだな、なんて思う。一方は男の子、一方は女の子でくりくりとした丸い目に若干涙を浮かべている。

『初めまして、だね。“不眠の番人”です。よろしくね』
≪黒の、一族…の、人?≫
『! …うん、そうだよ。でも、悪い霊だけにしか手は出さないから』
≪ほんと…? ぼくら、痛いこと、されない?≫
「しねぇよ。お前らが悪いことしない限りな」

 翆輝は窓辺に背を預けて腕を組んだままそういう。そうカッコつけなくても十分あなたはイケメンですよ。なんて口に出したら何されるか分からないんで絶対口にしない。さて、それではこの子達を味方につけるとしますか。

『お名前は? なんていうのかな?』
≪ぼくは修っていうの!≫
≪わたし、は…まりです≫
『修くんとまりちゃんか。よろしくね。今、挨拶まわりに来ているんだけど、最近変わった事とかない?』
≪変わった、こと………あ、ある! あるよ!≫
≪うん。さいきんね、おかしいの…≫
『おかしい?』

 そう訊ね返せば、まりは可愛らしくコクンと頷いた。ああ、こういう妹と弟が欲しかったな、なんて時々思う。それもこれも上の兄達が強烈すぎるキャラクターのせいなんだけどね。まあ、この話はまた別の機会に。

≪あんなに、多くいなかったの…さいきんは、黒いもやといっしょにいっぱいでてきた…≫
≪そう!いーっぱいでてきた! だからぼくら…隠れてくらすことになったんだ≫
「成程な…安全までも奪われ、自由に過ごすこともできない、か…」
『これほんとに重度だよ…兄さん呼んで祓うしかないか…?』
「とりあえず、原因を早めに探ればなんとかなるだろう」
『そうする。挨拶まわりもろくに出来なかったね…』

 はあ、と溜息をつけば「仕方がないよな」と翆輝も肩を竦めた。そして修とまりの頭に手を置いてふと笑って見せる。

『じゃあ、今日はこの辺でさよならするよ。何かあったら呼んで』
≪うん!わかった! ばいばい!≫(修)
≪またね≫

 元気良く手を振る修と少し寂しそうなまり。本当にこの子達は可愛いな、と頭を撫でれば嬉しそうに微笑んでくれる。あー、やっぱ下に兄弟欲しかったな。今更どうしようもないんだけどね。いや、でもいける気が…母さんに無理させる気にはならないや。ああ、もう関係ないこと考えている場合じゃない。帰って兄さんに報告しなきゃ。

「…大丈夫か、名前」
『あー、うん…ちょっと考え事をね』
「そうか…なら、いいんだが」

 翆輝に不審がっている目で見られるとどうも緊張してしまう。慣れていないからだと思う。そして私と翆輝はもう一度トイレに向かい、元の世界へと戻って無事に家に帰ったのだった。




ALMIGHTY/現連載ホラーの基的なものC



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -