母の運転する乗用車がもと来た道を辿っていくのを見送り、わたしは視線を地面へと落として深く息をはいた。着いて、しまった。
 入口と数分間睨めっこして、やっとの決心で踏み入った玄関先の下駄箱には大きな靴が整列していた。本当に、この時がやってきたんだなと実感する。因縁の対決、ゴミ捨て場の決戦――音駒対烏野の、試合。
 楽しみにしていないはずがなかった。わたしだって、それを聞いたときは心が舞い上がって思わず飛び跳ねたくなった。でも、自分の醜い感情がそんな楽しみさえも奪ってしまった。情けないくらい、自分が汚い人間に思えて仕方なかった。
 脱いだ靴を彼らと距離を置くように下駄箱に入れ、持参したバレーシューズに履き替えた。中学時代からずっと使い続けている履き慣れたボロボロの靴は、わたしにとって努力の勲章だった。三代目になるこの靴もずいぶん使い込んだなと思いつつ紐を結んでいると、聞き慣れたボールの音と掛け声が聞こえた。きっとどちらかが得点を入れたんだろう。
 バレーボールは好きだった。習い始めは小学校の高学年、地元のソフトバレーボールクラブがきっかけだった。大人に交じって一緒に練習したり、同期の子達と競い合ったりしたのは懐かしい。それから中学は決められたようにバレー部に入部した。でも。
 蓋をしていた嫌な思い出をわざわざ思い出す必要もない、と頭を振り体育館の入口へと向かう。歩いている途中、壁にかけられた鏡に映った自分の顔がどうしようもなく情けなくて、思わず足を止めて鏡の先を見つめた。

 ――こんな顔して会うつもりじゃなかった。これ以上心配かけないように笑わなくちゃ、いけないのに。

 強張った表情を崩すように頬を抓って、愛想笑いを作ってみる。ぎこちないけれど、肩身の狭い思いを表すのにはちょうどいいのかもしれない。そう思って止めた歩みを動かした。
 体育館の入口へと手をかければ、バン!と大きくボールが床にぶつかる音がした。ホイッスルの音と「ナイッサー」と声がかかったので、またすぐに試合が始まったのだろうと予測する。試合の邪魔にならないようにそっと扉を開けて中へと踏み入れば一試合目の半ばだったようで、烏野は少々音駒に押されているようだった。気づかれないようにそろりと烏野側のベンチへと近づけば、じっと選手達を観察していたはずの潔子先輩がコチラに気づいたのか振り向いた。普段はそこまで表情の変化がない先輩が、驚いたように目を見開いて「名前っ…」と凛とした声をあげたので、思わずわたしも微苦笑を浮かべて「…はい」と返す。
 潔子先輩の声に気づいたのはベンチに座っていた見慣れないコーチと思われる人と、一度お見舞いに来てくれた顧問の武田先生、そして。

「名前っ!」

 試合中だということもあってか控えめに彼女が発した声は、嬉しさと安堵がこちらにも伝わってきた。潔子先輩の隣に座ってひときわ大きな声で声援を送っていた彼女は、ほっと胸を撫で下ろすと顔を綻ばせた。わたしはそれにほんの少しずきりとした痛みを感じながらも、ベンチへと歩み寄った。

『お久しぶりです。その節は御心配おかけしました』

 会釈程度に頭を下げれば、武田先生もまた安心したように表情を緩めた。

「お帰りなさい、名字さん。退院したんですね?」
『はい、今日退院しました。ですからいち早くご挨拶に伺おうと思いまして』

 試合中にすいません、と一言謝罪を口にすれば「いいんですよ。あっ、座って下さい!まだ全快ではないでしょうから!」と武田先生と潔子先輩の間に一人分のスペースができた。ベンチが狭くなってしまったことを申し訳なく思いながら、ぎこちなく座らせてもらえば「先生、こいつか?」と武田先生の右側から声が聞こえてそちらへと顔を向けた。

「はい。あ、名字さんには話してなかったね。今日までコーチとして務めてもらっている烏養君です」
「烏養繋心だ。話は先生から聞いてる。怪我の方は大丈夫なのか?」
『はい、まだ安静にしてなきゃいけないですけど…だいじょうぶです』
「そうか、無理すんなよ」

 ぶっきら棒な物言いはその容姿に似つかわしく、物腰柔らかな武田先生と上手い具合に正反対でバランスがとれているようだった。そしてふと反対隣へと視線をやれば、潔子先輩と友梨がわたしのことを不思議そうに見ている控えの選手達と話していた、多分見るからに一年生だ。入ってくる内容を聞いていれば、わたしの存在を知らなかったらしい彼らに説明しているようだった。
 誰も、言ってなかったのか。ということは、一年生は誰一人としてわたしのことを知らないのだろう。せめて詳細くらいは伝えておいてほしかった、と思うのは勝手なことなのだろうか。だって、わたしだってバレー部の一員なのに。
 そんなことを考えていれば、聞き慣れたホイッスルの音に顔を審判へと向ければ、チェンジコートの合図を出していた。かたん、と音を立てて立ち上がった潔子先輩と友梨が、タオルとドリンクを渡す準備に取り掛かったことにわたしも慌てて立ち上がれば、潔子先輩に「名前は本調子じゃないのだから、休んでて」と言葉をかけられた。

「そーそー。今日はうちらに任せといて練習見てなよ」

 友梨も屈託ない笑みを浮かべて両手にドリンクとタオルを抱えると、コートから戻ってきた選手達にねぎらいの言葉をかけて手渡していく。

「おーっす! 日向お疲れさん! ほれ影山も!」
「あざっす!」
「っす」

 彼らもまた一年生なのだろう。座る気にもなれず呆然と突っ立っていれば、「名前!?」と元気の良い声に呼ばれた。

「名前じゃねーか! なんだよ怪我はもういいのか!?」

 駆け寄ってきたのは同級生の龍と夕だった。それに呼応するように三年生の先輩達もぞろぞろとやってくる。

「退院したんだな、良かった」
「一時は冷や冷やしたぞ〜あんまり心配かけるなよ?」
「元気そうで安心した」

 大地さん、スガさん、旭さんの順に声がかけられ、みんなほっとしたように安堵の表情を浮かべている。やっぱり三ヶ月という期間は大きかったと実感して、申し訳なく感じて視線を床へと落とせば「あの人誰ですか」との声に思わず顔を上げてしまう。地獄耳だ、嫌でも声は拾ってしまう。
 どうやら言葉を発したのは友梨の隣に並んでいた背の高い黒髪の少年だった。見るからに目つきが良くないが、あれは生まれつきだろう。その隣にいる友梨よりも背の低い橙頭の幼い少年も首を傾げている。いまの一年生達に、やはりわたしの存在を教えてはいないらしいと心中落胆しつつ口を開くが、目の前の夕の大きな声がそれを遮った。

「お前らにはまだ紹介していなかったな! 烏野のもう一人の正規マネージャー、名字名前だ」
「怪我で入院している間、友梨が代わりを務めてたんだよ」
「そーそー。ちなみに幼稚園からの一緒の幼馴染」
「ええっ、そうだったんですか!」
「君達一番最初に言われたじゃん…話聞いてなかったの?」

 呆れた、と思いきり感情を顔に出すこの中でも一番背の高い少年の言葉に、少なからずわたしはほっとした。きっと練習熱心だから、そんな些細なことは頭に入っていなかったのだろう。そう思えば、先ほどの痛みは軽減した。改めて自己紹介するべきか、と思って一年生達の方へと一歩歩み出た。

『改めて、はじめまして。烏野二年マネージャー、名字名前です。よろしくお願いします』
「お願いシャス!!」
「シアース!!」

 今年の一年生は、元気がいい子達だ。そう思って表情を綻ばせていれば烏養コーチの集合の声がかかった。





15/07/01

嫉妬と劣等感を抱くヒロインが救われるまでA



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