未熟な幸福の在り処

 ――死神派遣協会。
 神と人との中立の存在として死が迫る死亡予定者の確認を行い、その魂を刈り取り天国と地獄への道を審判する閻魔大王の元へと送る役割を担っている。「現世」でいうなれば公務員だ。
 主に現場を担当するのは回収課の役割となっており、協会の中でも花形職として知られているが他にも庶務課や管理課、輸送課など実に様々な課が存在している。
 協会の建物は近年――といっても五十年程前になる――新設されたばかりの新舎と、それに隣接し二階の渡り廊下で繋がれた古い木造建ての旧舎がある。薄汚れた旧舎の廊下を歩けばぎしぎしと歪んだ音を鳴らすし、噛み合わせの悪い扉は風を受けてぎぃいと不気味にも開閉を繰り返し、使われなくなった部屋でひそひそと時折人の話すような声さえ聞こえる始末で、自らの意志で近づこうとするものは殆どいない。

 その旧舎の二階左奥に、特務課はひっそりと存在している。
 特務課は重要性の高い任務や危険を承知の荒くれ仕事を与えられることが多いため、他の課と比べれば忙しくはなく平凡極まりない。故に暇を持て余しているかと云われれば、事実そうでもないのだ。というのも特務課を仕切る管理官は諜報課の管理官を兼任(いや、正式に言うと諜報課兼特務課になる)しているために、特務課一同には諜報課の任務が分け与えられているので空室状態が続く日もそう珍しくない。
 そんな特務課の静まり返ったオフィスで、夜宵はアイスカフェラテを口にしながらコンピューターの液晶画面に手慣れた手つきで文字を打ち込んでいた。元々庶務課から引き抜かれた夜宵にとって書類仕事は苦ではないし、むしろ外回りなんかよりもよっぽど楽な仕事だ。


『………、はあ…』

「ひと段落着いたのか」

『っ、佐久間さん。お疲れ様です』

「ああ」


 自分以外出払っていた室内で声をかけられることも邪魔立てもされずにいたので、相当早いペースで進めていた矢先に背後から降ってきた声に夜宵はびくりを肩を揺らして後ろを仰ぎ見れば、先輩である佐久間がいつの間にやら戻っていたらしかった。その後ろには彼よりも幾分か背の低い、諜報課の実井の姿もある。


「ずいぶん集中していたようだが、きちんと休憩を取ったのか?」

『え、ああ、大丈夫です、それなりに取りましたよ』

「お前のそれなりは信用ならないからな。今打ち込んでいるのも月末に提出の資料だろう? 灰崎が溜め込んでいた報告書もすべて作り終わったのか?」

『ええ、まあ』

「四ツ谷さんの有能ぶりは魔王様のお墨付きですからね。でも後輩の尻拭いだなんて、僕だったら死んでもやりませんけど」

『私達もう死んでいますけどね』


 実井の言葉にそう切り返してくすくすと笑えば、佐久間が溜息交じりに「休憩だ」と有無を言わせない響きで告げるので、夜宵は作成途中の資料に上書き保存を行ってロック画面へと変えた。そして椅子ごと向き直って立ち上がると飲み物片手に応接用のソファへと移動して、先に腰かけていた二人に「何にします?」と尋ねる。


「疲れているだろう、気を遣わなくていい。自分達でやるさ」

『とは言っても、佐久間さん。珈琲ひとつ満足に淹れられないじゃないですか』

「………」

「じゃあ僕、珈琲お願いしても? アイスで」

『わかりました。佐久間さんも珈琲で良かったですか?』

「…ああ、頼む」


 はぁい、と笑いを噛み殺してそそくさとその場から立ち去り、備えつけの給湯室で珈琲を用意して何事もなかったかのように二人の前に差し出して、自らも腰を下ろした。


『それで、実井さんは内勤ですか?』

「はい。報告書なんて久しぶりに書きましたから、もうへとへとですよ。佐久間さんが来てくれて助かりました」

「言うほど俺は役に立ったとは思えないがな」

『御謙遜を。先日、小田切さんと飲みに行ったとき、大層佐久間さんのことを褒めていましたよ』

「は?」「え?」

『…えっと?』

「あの、四ツ谷さん…小田切さんと飲みに行く仲なんですか…?」


 目を丸くして驚く実井と佐久間に、夜宵はああそっちか、と苦笑いにも似た笑みを浮かべる。


『ええ、福本さんと三人でよく飲みに行くんですよ。福本さん、お料理上手だし美味しいお店を沢山知っているので。それで先日、前々から気になっていたお店に行こうって約束してたんですけど、福本さん急遽予定入っちゃって。だからこの前は小田切さんと二人きりで飲みに行ったんですよ』

「へえ…」

「あの小田切と…」

『楽しかったですよ〜、始終笑わされまくりでもうお腹捩れるくらいでしたから。でも酷いんですよ、小田切さん私がもうやめてって言ってるのに笑いながら更に話し続けてくるんですから。もう絶妙に笑いのツボをついてくるんですもん。あんなに笑ったの久しぶりじゃないかなぁ…ふ、ふふふっ。ああ、すいません。佐久間さんの話でしたよね?』

「あ…いや、戻さなくていい」


 実井と共に諜報課に所属する福本と小田切は寡黙で感情を表に出さないために、周囲からは話しかけるのを躊躇われがちだ。その二人と夜宵が飲み仲間という事実に加えて、あの滅多に笑わない小田切が笑いながらお喋りを愉しむというのだからその姿さえ想像がつかない。それが任務外というなら尚更だ。これは使えるネタになりそうだと実井は密やかに胸にしまい込んだ。


「意外の一言に尽きますね。佐久間さんは諜報課の僕達と飲み交わすことが多いですが、四ツ谷さんや灰崎くんはそういう関わりがないと思っていましたから」

「だな。まあ灰崎は反りが合わないだろうからな、仕方ないさ。四ツ谷は三好や神永からの誘いも断っていたから正直驚いたよ」

『あー……三好さんと神永さんは、その、苦手なので、お断りしています。それに、神永さんが誘ってくるの、ストックしている女の子の空きがない時ですからね』

「なっ…そ、そうなのか!?」

『あれ、やっぱり気づいてなかったんですか。神永さん、下町でしょっちゅう甘利さんや田崎さんと一緒にナンパしてますよ。祥吾と飲みに行くと必ずと言っていいほど見かけますからね、遠目にも分かります。そういう男の人って異性としての魅力を感じないですから

「ぶっ…それ、灰崎くんにも当て嵌まりますよね? あと三好さんはどうしてです?」

『祥吾は論外ですよ、眼中にもないです。三好さんは……、あのナルシストぶりが怖いので無理です。以前諜報課に伺ったときに手鏡を見ながら「ああ今日も僕は美しい…なんて罪深いんだろう」だなんて言ってた時は迷わず引き返しましたから』

「…じゃあ、蒲生さんなんてどうです?」


 笑いを必死で堪えている実井の出した名前に佐久間は首を傾げ、夜宵は思考を巡らせその名前を思い出す。蒲生……蒲生…、蒲生次郎。元回収課所属のエリート好青年だった。「ああ、彼ですか」と夜宵はストローで溶けた氷をかき混ぜながら嘆息する。


『却下。鼻持ちならない亭主関白っぽくて嫌ですよ』

「そ、そうですか…」


 ぶるぶると肩を震わせているところを見ると、よほど面白かったのだろうと予測はつく。頑張って笑いを堪えてくださいと心の中で実井にエールを送れば、「…じゃあ四ツ谷は誰がタイプなんだ?」と驚くことに佐久間が聞いてきたので夜宵のストローを回していた手が止まる。


『…んー………強いて言うなら、』


 ――木舌くん。ですかね。

 そう答えた夜宵に二人は心中で「誰だ、それ」と呟き、実井に至ってはキノシタという男について調べてみるかと愉しげな笑みを浮かべていたことは誰も知らない。





おそらく日常の一コマ。
佐久間さんだけ特務課ですが、諜報課はジョーカー・ゲームの登場人物のみで構成されています。




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