夕方は世界の終わり




 どうしてこうなった。
 薄暗さの中に身を置きながら、私の脳内に一番に思い浮かんだ言葉はそれだった。





 ――時刻は数時間前に遡る。七月某日。午後三時半過ぎ。


『…雨だねぇ』

「雨だねー」

「…雨だな」

「土砂降(り)だなっ!」


 晴れのち豪雨。おは朝のお天気お姉さんの予報通りに三時過ぎから土砂降り状態だ。
 その中でクラスメイト四人、並んでこの土砂降りの中を歩きたくないと昇降口前に立ち竦む様子は周囲からすれば邪魔以外の何物でもないだろう。びちゃびちゃと跳ねて足元を濡らす雨粒に溜息をこぼした私は横に並ぶ琉衣ちゃんに声をかけた。


『琉衣ちゃんどうする? このまま帰るか、止むまで教室戻って待つか…』

「あー…どうしよ。うち今日早く帰んなきゃいけないんだよねぇ……仕方ないし、このまま帰るわ」


 「家着く頃には絶対びしょ濡れだ…」と顔を歪めて呟き、花柄模様の傘を広げて「お先するわ、三人共気をつけてね〜」と水溜まりを避けつつ急ぎ足で校門へと向かう琉衣ちゃんの背を見送る。「また明日なぁ〜!!」と明るく手を振る早川くんをよそに、残された私はどうしようかなぁ、と肩を落とす。
 早川くん達はこれから部活だから、校舎から離れた位置にあるバスケ部専用の体育館まで向かう。となれば自然と残るのは私一人だけだ。隣でズボンの裾が濡れないように捲り上げている中村くんは、しゃがんだ体制のままこちらへと視線を向けてくる。


「…そんで、おまえはどうするんだ御嶽」

『あー…うん…どうしようね』


 教室に残っていても暇だし、図書室に行って本でも読んでようかな…でも雨やまなかったら無駄足になる、どうしたものか。どんよりの曇り空を睨みつつ悶々と考え込んで出た答えは「家に帰ろう」だった。


『んー…わたしも帰ろうかな。残っててもやることないし、雨は止む気配無いし』

「そうか、残念だな! 暇な(ら)バスケ部観に来(れ)ばいいのに!」

『でもルールも曖昧だし……第一、私お邪魔になるんじゃない?』

「邪魔っていうのは黄瀬のファンが毎日押し寄せてくることをいうんだ。御嶽は黄瀬のファンじゃないしキャーキャー騒ぐこともないんだから邪魔にならないだろ」

「そもそも練習中にギャ(ラリ)ーなんて気にかけないしな!」

『んじゃ天気のいい日に観に行くよ』


 海常高校は殆どの部活が全国出場経験がある、スポーツに力を入れている学校だ。そしてバスケ部は全国区の強豪であり、今年は「キセキの世代」の一人、黄瀬涼太を獲得したのだという。私はそれほどバスケに詳しくないから「キセキの世代」というものが分からないが、彼の名前はモデルとして知っているし、四月は彼の名前だけで女子生徒達が浮足立っていたのを思い出せる。ちなみに黄瀬は私の好みではないので、ハッキリ言ってどうでもいい。
 そんなどうでもいいモデル君が、数か月前までは練習に参加せず不遜な態度を取り続けて、彼に対して二人が腹を立てていたのは知っている。それが都内の高校(名前は忘れた)との練習試合後に心を入れ替えたように真面目に練習に取り組むようになったとのことで、下がるトコまで下がった評価は徐々に上がりつつあるそうだ。それでも中村くんはまだ苦手意識が抜けきらないみたいだけど。
 そういうわけでバスケ部の内情を知らず、モデル君のルックスを一目拝もうと女子生徒達はこぞって体育館に押し寄せているらしい。私の親しい友人達は事情を知っている為に黄瀬には無頓着だし、我がクラスに至っては「シャラ瀬☆とか(笑)」ともはやまともに名前すら呼ばずに本人の知らぬところで笑いの種になっている。


「んじゃ御嶽、気をつけて帰(れ)よ!!」

「また明日な」

『ん、二人も部活頑張ってね』


 二人はバスケ部専用の体育館へ、私は校門へ向かって歩き出す。向かうのは学校からそう遠くもない駅だ。普段は電車通学ではなく原付バイクで通っているけど、雨の日だとそうはいかない。幾らレインコートを装備したところでびしょ濡れは確実だ、フルフェイスのヘルメットだとしても水滴で前が見えないから危険すぎる。そういうわけで雨の日は電車を利用している。
 二駅先の最寄り駅で降りて徒歩十五分ほど。石造りの鳥居を潜り抜ければ真正面に構える拝殿、向かって左手には社務所を兼用する自宅がある。そう、ここ御嶽神社は母の実家であり、現在私達家族が暮らす家だ。
 二年前――中学三年時の秋の暮れ、両親の離婚を機に私は志望校を大阪から地元の高校へと変更した。急な進路変更に担任の先生には迷惑をかけたが、これが最善の選択だと思った私は譲らなかった。年子の下の子達は中学の課程がまだ残っていたから、結局親戚の家に母と共に一年間世話になることになって、私だけ一足早く地元に戻って祖父母の暮らす母の実家に身を寄せて高校へと通い始めた。
 最初は近しい肉親のいない環境に寂しくも思ったけれど、元々こっちにいた幼馴染を含める知人達に、高校でできた友人達のおかげで気を紛らわしつつ充実した日々を送ってあっという間に一年が経ち、母と兄弟達がこっちへと戻ってきて今に至る。弟は私と同じ海常高校へ、妹は幼馴染の通う立海大附属高校へ進学し、それぞれ楽しく学校生活を送っているようだから姉としては安心だ。


『ただいま〜』

「あ、お姉おかえり」


 傘に付着した水滴を払って、がらりと玄関の戸を開けて中へと入り居間に向かって声をかければ、ひょっこりと顔を覗かせたのは妹だった。こんなに早く帰っているのは珍しい。ちなみに家から立海までは徒歩二十分と割と近い距離だ。
 「早いね〜」などと適当に言葉を交わしていれば、妹の口から後輩の名前が飛び出してきた。「てかお姉、金ちゃんと会わなかった?」『は? …金ちゃん? 遠山金太郎?』「そうその金ちゃん」『…なんで? 来てるの?』「うん。さっきまでうちにいたんだけどさ、お姉迎えに行くって飛び出してったよ」『…そういうのは連絡寄越せよ』
 後輩の突然の来訪とその後の消息不明(金ちゃんは携帯を持っていても確認なんてしない)ということで、口論染みたやり取りを終えて再び駅へと向かうことになったが、途中で妹から「金ちゃん海常の前にいるって」と連絡が入り、結局私は学校へと戻る羽目になった。ちくしょう。しかも「ついでにお菓子買ってきて。あ、金ちゃん大食いだから大量にね〜」と腹立つ一文を送りつけてきた妹に帰ったら飛び蹴りかましてやろうと心に決めた。不言実行が私の固有名詞である。
 海常高校手前にあるタブンイレブンで先に買い物を済ませ(コンビニで買うべき量じゃない尋常じゃない量を買い込んだよ野口が三枚以上ぶっ飛んだよ)、学校に向かって歩いていけば海常高校の文字が刻まれた門の前にしゃがむ影が一つ。
 透明なビニール傘の下、目が奪われるような赤髪。背中に斜め掛けされた巾着のような袋からはラケットの柄が飛び出しており、そこにいる成長した少年に声をかける。



『金ちゃん』



 わたしの声を拾った彼は、ふっとこちらへ顔を向ける。以前よりも短くなった髪に凛々しく野性的な顔立ち。それが一瞬にしてぱぁぁああと花を咲かせるような太陽に似た笑みを浮かべて、「ああーーっ!!小夜おったーー!」とばっと彼は立ち上がってこちらへと駆けてくる。
 ばしゃばしゃと濡れるのも気に留めず駆け寄ってきた後輩は、顔を合せなかった一年余りで180cm以上にまで身長が伸びているという恐ろしい事態が起きていた。なんてこった、リョーマでさえ170とちょっとだというのに。成長期怖い。


「小夜ー! 久しぶりやんなぁ!! 会いたかったでーーっ!」

『久しぶり金ちゃん、大きくなったね。それで、なんで四天のジャージ…?』


 それ中学のジャージやん、と。金ちゃんが着用していたのはまさかの四天宝寺中学校男子テニス部のジャージだった。いや、いやいや君もう高校生だよね四天は三月に卒業したよね、もう四ヶ月も経っているけど…と疑問に思わずにはいられなかった。


「ワイの思い出が仰山詰まってるからや! 小夜達と過ごしたんは中学ん時やから、会うなら絶対このジャージやなきゃ嫌やってん!!」


 あ、やばい可愛い許す。もうこの子本当に四天が、あのメンバーが大好きだよなあ。いや私も勿論大好きだけど。この子の愛は全身から溢れ出ているというかなんというか…。


『とりあえず、うち戻ろ。これ以上雨が強くなると風邪引くし』

「せやな!」


 そういい帰路へ一歩を踏み出そうとした時だった。ぐらり、と大きく視界が揺れて足元が抜けたような、底に落ちていくような浮遊感と同時に急激な睡魔が襲ってきて、隣の金ちゃんの腕を掴んだままわたしの意識はフェードアウトした。
 そうして冒頭へと至る。

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