夕食前、白虎寮にて



 浅い眠りを何度も、目覚めては微睡んでまた眠るを嫌でも繰り返して、もう何回目だろうか。ぼんやりとした視界でこちらを覗き込んでくる大きな桃色の瞳を捉えて、悠月は上手く機能しない思考回路を働かせよう目を擦った。


「…悠月先輩、だいじょうぶですか?」

『んー…』


 曖昧な返答ののち、漸くはっきり捉えた同室の後輩の姿に『…花菜』と名前を呼べば、彼女はほっと胸を撫で下ろして笑った。


「体調崩したってオサムちゃんと清花先輩に聞いて。だいじょぶですか?」


 大方彼女のことだ、仮病でも使って保健室で休もうとして渡邊から話を聞いたのだろう。うんうん、と首を縦に振って一人納得する花菜は同室の三輪清花のイトコであり、悠月の中等部時代の後輩で可愛い妹分である。彼女のことは自然と耳に入ってくるし、入学から一週間ほどしか経っていないが、目の前の美少女は校内では有名な人物となりつつある。

 その容姿を生かして中等部時代・関西支部の美少女コンテストは三年連続優勝という肩書きを持ち、いまや魔法界では人気モデルとして数々の雑誌に取り上げられている。そんな彼女が話題に上がらないわけもなく、校内で見かければ大概は主に男子の人垣が作られていることが多い。ただ彼女自身、容姿のみの判断で近づいてくる輩を快くは思っておらず、適当にあしらっては影でひっそりと溜息をこぼすことが日課だ。悠月にとっては縁のない話だが、中等部の頃よりそれを側で見てきたために花菜を慰めるのは自身、それから清花の役目になっている。
 そんな彼女に『心配かけてごめんね、』とやんわりと笑いかける。


『あー…うん、だいぶ良くなった。花菜、いま何時?』

「良かったぁ。あ、いま六時十五分です」

『ん、ありがとう』


 夕食の時間まで、あと四十五分か。そんなことを考えながら悠月はベッドから起き上がって手櫛で髪を整える。下腹部の痛みは殆ど感じられなくなったし、鏡に映る顔色も数時間前よりもずいぶんと良くなったと思う。布団を剥いで眠る前に適当にハンガーにかけたローブに袖を通せば、背後の花菜が「はぁあ」と安堵の息をはいた。


「も〜オサムちゃんに聞いたときはビックリしましたよぉ! でも先輩生理痛酷い人ですもんね〜」

『ほんと。今日のはいままでの比じゃない痛みだったから、参っちゃったよね』

「だから無理しちゃだめですよー! 清花先輩なんか、魔法薬学の時間にわざわざ痛み止め煎じようとしてたくらいですからね〜」

『あー、ごめん…次から気をつけるから』

「それ何度目ですかー?」


 痛いところをを突かれて悠月は思わず肩を竦めた。自身の体調管理を怠っているつもりはないが、無理し過ぎるところは嫌というほど分かっていることだ。それでも無理せずにいられないのは根っからの真面目性のゆえであろう、とつくづく自分の優等生ぶりに嫌気が差して笑うしかない。

 準備を整えた悠月は花菜とゆったりとした足取りで談話室へと向かっていれば、ふいに花菜が「そ・う・い・え・ば!」と口元に人差し指を添えながら悠月へと視線を寄越した。その笑顔がなにかよからぬものを含んでいるのを一瞬で察知した悠月が思わず眉を顰めれば、花菜は「ふっふっふー♪」と口元に弧を描いた。


「財前先輩に送ってもらったんですってね!」


 どこでそれを、と聞く前に悠月はすぐに校医の顔が頭をよぎった。『渡邊先生か…』ぽつりと溜息交じりに吐き出した名前に、花菜が目を輝かせて自身をガン見してくる。明らかに、興味津々の四文字を表情にして。


「それで! どうだったんですか!」

『……どうって…?』

「財前先輩です! めっちゃ怖いカンジしますけど、あのルックスですよ!? やっぱ近くで見るとカッコよかったですか!?」

『……、何を期待しているのか分からないけど、まあ普通に格好良かったと思うよ』


 痛みでそれどころではなかったが。と付け加えて悠月は財前の顔を思い浮かべた。同じ中等部で三年間を過ごしたわけだが、仲の良い清花と一緒にいたとはいっても、まともに顔を見たのは今回が初めてかもしれない。

 人相は決して悪いとは言わないが、不愛想で冷めた印象に見受けられた。整った顔立ちの中でやはりあの鋭い猛禽類を思わせる瞳は脳裏に焼きついて離れない。あとは…五色のピアスだろうか。他人のことを言えた義理ではないが、あれじゃ完全にヤンキーだと思われる。いや、中等部時代からどう見てもヤンキーにしか見えなかった。
 でも見た目ほど悪い人ではなかったよなあと思っていると、花菜のにやにやとした視線に気づき悠月は顔を顰めて『…なに?』とわかりきっていることを尋ねた。


「いやぁ〜なんでもないですよぉ?」

『…その顔で言われても説得力がないよ』


 むぎゅう、と頬を抓った悠月に花菜が涙を浮かべてじたばたと暴れる。


「いひゃいいひゃい! 引っぴゃらないでくらはい!」

『ったくもー…どうしてこうも後輩ってのは生意気なんだか』

「それ、誰のこと差してます!?」やや赤くなった頬を擦って、花菜が抗議の声をあげる。

『花菜とか花菜とか花菜とか?』

「全部あたしじゃないですかぁ!! これイジメですか! イジメなんですか!?」

『可愛がっているつもりだけど?』

「悠月先輩といい清花先輩といい、愛が痛い!」


 ぎゃあぎゃあと喚く花菜に仕方ないと笑って腰に差した杖を取り出し、頬へと向けて『“エピスキー”』と唱えれば抓った場所は元通りになる。それにむうっと頬を膨らませる花菜をまるでリスのようだと笑っていれば、あっという間に談話室へと到着する。
 黄色と白のインテリアが施された温かな雰囲気の談話室には人影はなく、パチパチと暖炉にくべられた薪が弾ける音がやけに大きく聞こえた。悠月は花菜と向かい合うようにして深いグリーンのソファへと腰かけると、手近にあったマグル雑誌を手に取り目を通す。花菜も同様に女性雑誌を捲って最新の流行チェックを始めた。


「せんぱーい」

『なぁに』

「…純血って、そんなに重要ですか?」


 ふと悠月は雑誌から顔を上げて花菜を見やれば、彼女は雑誌に目を通したままだ。


『…誰かになんか言われたの?』絡まれやすい花菜のことだ、純血主義に一言二言釘を差されたとてなんら不思議ではない。


 花菜と、それから清花は列記とした純血の生まれだが、魔法族とは少し違っている。西洋の魔法よりも東洋の呪術に長けた古くから続く呪術師一族の生まれであり、清花は特にその血をより濃く引いて才にも恵まれ次期当主候補にも名を連ねている。一方花菜はといえば性質ゆえか西洋の魔法に長け、呪術の方はからっきしである。だから純血か否かと問われて「純血」とだけ答えてしまえば納得されて終わるだけだ。“魔法族”ではないと言えば、それこそ反応は変わってくるのだろうけれど。


「まあ、ちょっと…。…優れた純血が、劣等種族に交じってその見目の輝きさえも劣らせる気か、って……」

『……それ、どこの寮生?』花菜が雑誌を捲る手を止めて悠月へ視線を移した。困ったような視線と交わる。

「え…ええと、あんま覚えてなくて…」

『でも顔見れば思い出せるでしょ』

「そりゃ、まあ…嫌味ったらしく言われましたし…、」

『気にしないのが一番。またなんか言われたら教えて。酷いようなら対策考えないと』


 悠月は半純血の魔女だが、マグル界で育ってきたこともあり、純血主義だのなんだののいざこざは正直言って面倒くさいうえどうでもいい。ただし、可愛がっている後輩が被害に遭うのを見過ごすわけにはいかない。


「いや、でもそんな、だいじょうぶですって! あたしもそんな気にしてませんもん」


 それが明らかに強がりだと、気づかない悠月ではない。はあ、と大袈裟に溜息をついてみせれば花菜がびくりと肩を揺らした。


『……清花も花菜も、妙なところで無理をするから心配してるんだよ。私の自己管理ならまだしも、他人が絡むことで無理するのはよしなさい。…抱え込むのは、つらいでしょう? 本音が吐き出せる相手には甘えておくものだよ』

「っ……悠月先輩、好きっ!!」


 がばっと雑誌を放り投げて抱きついてきた花菜に、悠月は『まったく…』と笑ってその背をよしよしと撫でてやる。面倒見の良い先輩であり、よき理解者としていてやるのも大変だが、素直で人に左右されやすい妹分を見守るのは嫌じゃないと、悠月はくすりと笑って壁にかけられた時計へと目をやった。



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