昼休み、保健室にて



校長  安西 光義

 親愛なる 千夜崎 嬢
 このたびマスカレード魔法魔術学校にめでたく転学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。
 新学期は九月一日に始まります。先々の不安はあると思いますが、どうぞ新しいホームでの生活に期待を膨らませてください。新学期にお姿が拝見できること、楽しみにお待ちしております。

敬具
副校長  白金 耕造






 その羊皮紙に転学の合格通知の文字が綴られた手紙が届いたのは六月の終わりのことだった。



 ――マスカレード魔法魔術日本学校。
 数年前に日本各地の魔法魔術高等・大学支部を吸収合併し、一つにまとめ上げた広大な領地を有する、魔法についての理論や実技を学ぶための全寮制教育機関は、山深くにひっそりと存在した。

 数年前の九月、千夜崎悠月は中等部である四天魔法魔術中等学校へと入学した。その当時は中等部や高等部は各地に点在し、各自が通いやすく学びやすい環境を配慮した育成が行われていた。現在も中等部は各地に存在するが、近年になって高等・大学部が一纏めになったのは将来への選択肢を増やすためという名目だという話だ。設立合併された現在は大学部の期間も含められて七年制へと変更され、選択科目や合同授業が増えて設備は以前にも増して強化されより学びやすい環境になっている。それは彼女ら生徒にとっても身に沁みて感じることができた。

 だが、彼女の憂鬱は別にあった。
 ごろん、と寝返りを打った保健室のベッドの中で、悠月はなかなか引いてくれない下腹部の痛みと戦っていた。ひと月振りに訪れた痛みは、ここ数ヵ月のなかで最大の攻撃力でじくじくと内側を痛めつけてくる。

 もぞもぞと左腕を布団の中から出して腕時計を確認すれば、そろそろ四限目の終わりを告げようとしていた。はあ、と一つ溜息をつけば再び痛み出す下腹部に頭を抱える。いい加減そろそろ、引いてくれてもいいんじゃないだろうか。借りた湯たんぽは温くなってきたし、飲んだ薬の効果は微弱すぎてあと何時間待って次の薬を飲めばいいのだろうと悠月は落胆する。

 そんなことを思案していれば、ちょうど四限目の終わりを告げる鐘が鳴り、昼休みへと突入した。校医である渡邊――昔に関西支部で世話になった彼は引き抜きによって高等・大学部に移動となった――が「悠月ー、起きとるか?」とカーテン越しに尋ねてきたので『はい』と力なく返事をかえした。しゃっとカーテンを開けて姿を見せた渡邊は、彼女の顔色の悪さに苦笑を浮かべるしかない。


「辛そやな。もう今日は授業受けんで休みや」

『…そうさせて頂きます』

「おん。センセには俺から言うとくから、心配せんでええ。他に誰か、連絡しといた方がええ人はおるか?」

『いえ…特には』

「ほうか。じゃ、ちゃんと伝えとくさかい、安心して養生しいや」

『はい…、ありがとうございます』

「素直でよろしい」


 渡邊はくしゃりと悠月の頭を撫でて、起き上がるのを手伝ってやる。彼女は布団を剥いでベッド脇に揃えられた靴を履き、力なく立ち上がると湯たんぽを渡邊へと返却する。


『ありがとうございました』

「持ってってもええんやで? にしてもホンマに顔色悪いな。送ってくか?」

『いえ…、先生の昼休み潰すわけにはいきませんし、だいじょうぶです』

「無理せんと甘えてええんやで。自分の生徒の心配するんは当たり前のことや。俺の昼休みくらい造作ないわ」


 「いま俺を気遣わんでもええから、自分の身体を気遣いや」とぽんぽんと頭を叩いた渡邊に、力なく笑って『すいません…』と悠月が謝れば困ったように渡邊が笑う。
 するとガラリと保健室の扉がやや乱暴に開いて、はあと不愛想な表情でその生徒は溜息をこぼした。それは悠月も渡邊もよく知る人物であり、渡邊は「おー」とほんの少し驚きを見せた。


「なんや財前。早かったな」

「…オサムちゃんが急いで持って来い言うたんやろ」

「はっはー。せやったな、すまんすまん」


 ほら、と差し出された鞄を受け取った渡邊はそれを悠月へ手渡す。彼女はそれ――自身の鞄を受け取りつつ『え?』と困惑すれば、彼は「ん?」と小首を傾げた。


「なんや、それ自分の鞄ちゃうんか?」悠月は慌てて訂正する。

『え、いや…私のです。でも、なんで…』

「ああ、取りに行くのしんどそうやな思て、前の休み時間に財前に頼んだんや。ホンマは清花に頼もう思ってたんけど、なかなか出会えんくてなぁ」

『すいません…』

「謝らんとき。同級生のよしみや、素直に礼言っとけばええねん。な、財前クン?」


 そういい財前に話題を移した渡邊の視線の先を辿るように、悠月もまた彼へと視線を移せば猛禽類のような鋭い瞳と視線が交わる。どきり、としてしまうのはその淡々とした態度からだろう。

 彼とは同中等部出身だが話したことは友人を通して数える程度しかなく、そもそも近寄りがたいヤンキーな雰囲気と毒舌説があったので自分から話しかけたこともない。しかも女子に人気の高いチームに所属していたのだ、人目を気にする悠月は絶対に関わりたくない相手だと踏んで極力接触を避けていた。それなのに。
 渡邊の配慮によって引き合わされてしまったこの偶然に、悠月は新たに頭痛を覚えて未だ視線を逸らせずにいると、ふいに財前の眉が顰められる。


「…自分、大丈夫なん?」


 顔色悪すぎやろ。と気遣わしげな視線を送ってくる財前に、悠月は意表を突かれて『え…、』と小さく声を漏らした。恐ろしいとさえ感じる相手に気遣われていることに、そして不良オーラを漂わせる相手の一言に、悠月は驚きどう反応すればいいのかと必死に思考を巡らせれば、助け舟と云わんばかりに渡邊が会話に割って入る。しかし、それは更なる悲劇の幕開けだった。


「せや、財前。お前暇なら悠月を寮まで送ってきてくれへんか?」


 その爆弾投下に、悠月の思考が完全に停止した。追いつかない思考とは別に、薄らと開いた唇が抵抗しようと小さな音を発する。


『…せ、せんせ…』

「ハァ…、しゃあないっすわ」

『…え』


 いま、なんと言った。
 悠月は思わず財前を凝視した。聞き間違いでなければ、目の前の人物は承諾を口にした。そんなこと、あり得ない。いや、あり得てほしくない。できるならば「嫌ですわ」の一言で一蹴したと思いたい。
 だがそんな考えを打ち砕くように、財前はつかつかと悠月の目の前までやってくると「なにぼーっと突っ立っとんねん。具合悪いんやろ、はよ行くで」と彼女の手首を掴んだ。瞬間、掴まれたところから伝わる微熱と感触に悠月はその表情から色を失くした。その頭にはただ一つ、“死亡フラグ”という単語のみが浮かびあがっていた。

 微動だにしない悠月に痺れを切らしたらしい財前が、体調を気遣いつつも強引に腕を引っ張れば彼女はそれに身を委ねるしかない。呆然としながら一度渡邊を振り返り見れば、彼はにんまりと笑って手を振って見送ると保健室の扉を閉めた。悠月の逃げ道は完全に絶たれた。





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 生徒で溢れ返る廊下をするするとすり抜けていく財前と悠月に、周囲の好奇の目が突き刺さる。彼女は下腹部の痛みに耐え、その視線に耐え、手首の痛みに耐えながら早歩きな彼の足手まといにならないようにと必死に足を動かした。
 白虎寮へと近づいていくほど人気がなくなる廊下を突き進み、寮の入口である肖像画の前で財前は口早に合言葉を唱えて中へと入る。朝と夕に人が集まる談話室を通り過ぎ、そのまま女子寮の方へと歩を進める財前を悠月は慌てて止めた。


『ま、待って待って。ココからは、一人でだいじょうぶだよ』

「………さよか」


 相変わらず考えの読めない瞳に射抜かれ、息が詰まりそうになる悠月だったが解放された手首にほっと胸を撫で下ろす。そして怯えながらも真っ直ぐに財前を見上げて、


『…送ってくれて、ありがとう』


 と礼を述べれば彼は二度瞬きしたあと、ふっと息をついて「…お大事にな」と踵を返して校舎へと戻っていく。その後姿をぼんやりと眺めていた悠月は、彼の噂はどうやら一人歩きらしいと財前への認識を改めることになった。やがてその背が見えなくなった頃、忘れていた痛みが襲ってきて悠月は最悪といわんばかりの顔でドアノブに手をかけると、ふらふらと自室へと入室してベッドへと身を沈め、浅い眠りへとついた。

 眠りに落ちる直前の瞼の裏には、送ってくれた彼の背中が焼きついていた。




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