■


　入学式から一週間ほどが過ぎた頃。四天宝寺男子テニス部には強力な二人の選手を入手したと朗報が齎された。



「は…？ 九州二翼の千歳千里？」



　間抜けな顔で驚いた声をあげた謙也を、財前は小さく鼻で笑う。先日新学期開始と同時に三年一組に転入してきた人物は、テニス部にとって多大なる影響を示すことになった。監督である渡邊オサムは、「せや」と得意げに頷いて見せた。



「っちゅーわけで、これは千載一遇のチャンスや。天才財前クンと同小出身のスーパールーキー・遠山金太郎に加えて、九州二翼の片割れ。全国行きの切符はもう手に入れたようなもんやで」

「ぃよっしゃ！！ めっちゃくちゃやる気出てきたわ！」

「今年は全校優勝も夢やないな！」



　謙也に同調するように副部長の小石川が賛同すれば、渡邊は緩やかな笑みを浮かべながら歓喜に打ちひしがれる一同を宥めた。「どうどう、落ち着きや」と口にしながら彼は傍らのマネージャーへと視線を投げる。清花はノートにすらすらと文字を連ねていた手を止めて、ふむと口を開いた。



『…即戦力二人の投入としても油断禁物ですね。練習メニューの調整と、部長、仮入部期間が終了次第、遠山君の練習メニューをレギュラー仕様に切り替えということでよろしいですか？』

「ちょっとキツいかもしれんけど、それで構わへんよ。練習メニューについては俺と小石川と清花で話し合った内容を報告でええですか、監督」



　無論というように笑って頷く渡邊は、スケジュールの微調整を思案する清花に声をかける。



「あと、清花。ほんま忙しくなるなか申し訳ないんやけど、次世代のマネージャー育成の方も頼むな」

『その辺は安心してください。きっちり育て上げますので』

「そういえば、清花のいうとったマネージャー候補、まだ一度も見てへんな」

「数回しか登校してないってほんま？」



　新マネージャーを少なからず期待していた彼らは、不安げな眼差しを清花に向ける。彼女はその視線ににこりと笑って『大丈夫、問題ありませんよ』と答えた。



『いまちょっと、仕事で東京と大阪を往復しているんです。今日終えて帰ってくる予定ですよ』

「仕事？」

『ええ。読者モデルをしているんですよ。かれこれ三年目くらいですかね』



　清花が勧誘した藤原花菜は小学生の頃より読者モデルをしており、現在若年層向けの雑誌では断トツ一位な人気読者モデルとして名高く、女子中高生達からは称賛されている。そんな彼女は親戚でもある清花を慕っており、今回両親の都合により大阪に引っ越してくるにあたり、同じ中学校に通いたいと必死に勉強したという。彼女の両親も清花と同じ中学校なら安心だと、よろしく頼むと面倒見も頼まれている。



「えっ！？ ほんまか！」

「モデルとか絶対可愛ええんやろな〜」

「てか、そんな仕事忙しいんにマネ業するんか？」



　一氏の両立は難しいんじゃ…、という真意を汲み取った清花が心配いらないというように微笑んで「ええ」と頷く。



『いままで仕事ばかりで、ロクに学校に通えなくて友人が少なかったんです。だから暫くモデル業をお休みにして、学生らしい生活を送りたいということでしたので誘いました。彼女にとって息抜きできるでしょうし、いい経験にもなるでしょうから』



　白石部長と監督にも了承は得ていますから問題ないですよ。と告げる清花に白石が同意を示すように笑う。成程と一同が納得していると「あのぉ」と遠慮がちなか細い声がかけられて、全員が一斉にそちらへと顔を向けた。

　そこにいたのは清花と背丈の変わらない小柄な美少女だった。明るい胡桃色のふわふわとした髪に、桃色の丸く大きい瞳が愛らしい印象を与える。十人中十人が可愛いというだろう少女は、見下ろしてくる彼らをやや不安げに上目遣いで伺えば、清花が『あっ』と微笑んだ。



『おかえり、花菜』

「っ、清花先輩！」



　ひょこっと白石の背後から顔を出した清花が労いの声をかければ、安心したように破顔した花菜がほっと安堵の息をついた。そして清花は花菜の隣へと移動すれば、彼女は勢いよくその両手を掴むとぶんぶんと上下に振って涙目で訴える。



「もー！ 先輩いないかと思って心配したじゃないですか！ あっ、聞いてくださいよぉ！！ 今回あのモデルのキセリョと撮影したんです！ めっちゃくちゃ緊張しましたぁ。キセリョやっぱ背ぇ高くてイケメンでカッコよかったんですけど、なんか好みじゃなかったです！」

『うん。そっか、お疲れ。それじゃあとりあえず手を止めて、挨拶しようか？』



　手を振り回され続けていた清花が苦笑交じりに諭せば、花菜ははっと我に返ると慌てて手を離して顔を真っ赤にしたまま部員達へと向き直った。「すす、すいません！ つい…！！」



「いや、ええよ。そんでこの子が清花の言うとった…」

『はい。彼女がマネージャー候補の藤原花菜です。花菜、簡単に自己紹介して』

「は、はぃっ…。えと、藤原花菜、です。あの、東京から引っ越してきて、あっ、清花先輩とはイトコ同士で、えと、その…！」

『ふふっ。花菜、いつもこんな感じで仕事以外だとテンパっちゃうんです。あ、仕事でもだっけ？それと多分、きちんと同年代の男の子と話す機会が少ないから緊張しているんでしょうね』

「Σうぁっ、清花先輩！」



　あははと笑って花菜をからかう清花に、花菜は涙目で「なんでそゆこと言うんですかぁー！」と抗議の声を上げる。一同はそれを戸惑いと驚きの混じった表情で眺めていると、一氏が妙に納得したように頷いた。



「なんや、入部した頃の清花見てるみたいやな」

『え？ わたしこんなに落ち着きなかったですか？』

「先輩酷い！！」

「あー。すまん。そうやなくて、清花も男子苦手意識で俺らとまともに目ぇ合わせられんかったやろ。当初はあんま喋らんかったし、財前としか話さへんかったなぁ思うて」

「そやなあ。清花はん、いまの藤原はんみたいに不安げで遠慮がちやったわ」

「懐かしいなぁ〜。清花ちゃんにもそーいう時期があったわねぇ」



　皆が懐かしむようにしみじみと清花を見つめながら語りだすので、彼女は焦点が花菜から自分に移ったことにやや苦い表情に変わる。



『グレーな記憶呼び起こすんでやめてください。それに、わたしは皆さんのおかげで緩和したんですから感謝していますよ』



　テニス部メンバーの人柄の良さと四天宝寺の気さくさのおかげで、清花の男子への免疫のなさはだいぶ緩和されたと言っていい。いまでは初対面の相手にも自分から声を掛けられるようになったほどだ。



「…違和感の原因はこれかあ」



　そんなやりとりを眺めていた花菜が成程といったようにぽつりと呟けば、その音を拾った清花が不思議そうに彼女を見つめた。



『え？ なに？』

「あ…、その……清花ちゃ、先輩って、いま皆さんが言ったように、まあ修先輩とか太一先輩達除いても男子苦手だったじゃないですか。だから久しぶりに会ったときに、凄く楽しそうに部活の話してたから意外で…。でもこういうことだったんですね」

『いい環境だと思うよ、四天宝寺は。花菜も気に入ると思う』

「清花先輩がいる時点で気に入っています！」



　きっぱりと断言した花菜に清花は苦笑を浮かべつつも「よかった」と安堵する。それに、と花菜は続けた。



「先輩が素を出しているから、良い人たちなんだろうなぁって！ だって、先輩、太一先輩達にだってなかなか素を出せずにいたじゃないですか。だから…」

『花菜、ストップストップ。それ以上言うと…、』



　清花がやや焦ったように花菜の言葉を遮れば、どうしてというように彼女は首を傾げる。清花は気恥ずかしいような恐ろしいような思いで、そっと視線を白石達へと向ければ、へぇ〜〜とにやにや笑う彼らがそこにいて、予感が的中したと顔に熱が集中していくような気がした。



「そっかそっか。清花はうちらんこと信頼してくれているんやなぁ！」

「おん、ええこと聞いたわぁ〜」

「もぉっ！ ほんっっまに清花ちゃんらぁ〜ぶっ！！」

「浮気か！ けどまぁ、悪い気はせぇへんよなぁ」

「うむ。チーム愛やな」

『っ……、』



　赤くなったり青くなったりと忙しない清花を、奇異なものを見るように楽しむ彼らを止める手段はないのだろう。彼女は最後の助け舟である財前をちらりと盗み見れば、彼はいつも通りの不愛想な表情を少し緩めており、ふっと息をつくと彼女の肩にぽんっと手を置いた。



「ええこと聞けたし、おもろいもん見れてよかったわ」

『………っ、〜〜〜よくないっ！！』



　また珍しく声を荒げて顔を真っ赤にさせる清花に、おお！と感嘆の声を上げる一同とそれを見て声をたてて笑う渡邊監督。そんなやりとりを清花の隣で見ていた花菜は、これから楽しくなりそうだなぁと、期待に胸を躍らせてにこにこと笑っていた。

新マネージャー

第一章　物語の始まり