「お疲れっしたー!!」



 日曜夕方六時過ぎ。いつもより少し早めに練習は切り上げられた。
コート整備に向かう一年生達を見送った清花は、ボール集めを手伝う後輩の姿を捉えると彼女の背中に声をかけた。



『花菜ー、この後どっか寄ってかない?』

「いいですね! いきましょ! あたしお腹減りました!」

『んじゃ食べ放題でも行く? しゃぶしゃぶ』

「ぃやった! 是非とも!」



 しゃっ!とテニスボールを鷲掴んでガッツポーズを見せた花菜に笑って、清花は集め終えたドリンクのボトルを腕に抱えて部室脇の水道へと足を運んだ。
 今年は梅雨入りが六月末と遅かったせいか、じめじめとした湿気と蒸し暑さに参ってしまう。ただ夕方にもなればだいぶ涼しくなり夜は少し冷える。夏も苦手だかこの梅雨時期特有の湿り気もまた苦手だ、と清花は息をついてボトルを洗っていく。



「清花ー、昨日日誌どこにしもうた?」



 ひょいっ、と現れた一氏に驚くことなく、清花は手を休めずに顔だけをそちらへ向ける。



「どこにも見当たらんて謙也が煩わしいねん」

『日誌ならコケシ棚の上から二番目の右端にあると思いますよ。花菜が昨日そこにしまっていたはずです』

「わかった、おおきにな」

『はい、お疲れ様です』



 すぐに部室へと姿を消した一氏を見送り、清花は慣れた手つきで全てのボトルを洗い終えると、ちょうどやってきた花菜と一緒に軽く拭き上げを行い、二人で部室へと入った。
 既に着替え終えている者もいればまだ着替え途中の者もいるが、男のパン一姿などとうの昔に見慣れている二人は平然としている。ボトルを定位置にしまい、二人もまた帰り支度に取り掛かれば日誌を記入していた謙也が「腹減ったなー」とぼやいた。



「ほんなら、あきらさんとこでラーメン食って帰るか」

「おっ、ええな! 俺味噌チャーシューにしよ!」

「俺はあっさり塩がええわ」

「いや、やっぱりそこは豚骨一択しかなかね」



 白石の一言に行こう行こうと乗り気になる一同を横目に、財前は携帯を弄りながら清花へ声をかけた。



「お前は行くん?」

『いや、今日は花菜としゃぶしゃぶ食べ放行こうかって話してたんだ。財前君も行く?』

「今日ははよ帰って来い言われとるんや」

『じゃまたの機会だね』



 そんな他愛無い話をしていれば、着替え終わった花菜が鞄を肩に下げて準備万端とばかりに満面の笑みを浮かべてスタンバっていた。清花も着替え終えると、未だラーメン論争を繰り広げる一同をよそに「お先に失礼しまーす」と財前を含めて三人部室を出れば、はあと財前が溜息を吐いた。



「よくラーメン一つであそこまで揉められるわな」

「ひゃ〜っ、財前先輩毒舌ぅ」



 花菜が茶化すようにいえばひと睨みを頂いて、ひぃいいと清花の背後へと隠れる。それに呆れ交じりに苦笑を浮かべた清花は「年相応なんじゃないかな」と返した。



「むしろ財前先輩が淡白過ぎるんですよぉ」

「花菜。お前なんや今日俺に恨みでもあるんか」

「まっさか! ぜんっぜん!」

「…煽っとるようにしか思えん」

『まあまあ、落ち着いて』



 清花は二人の仲裁へと入りひとつ嘆息する。花菜はしゃぶしゃぶで頭がいっぱいのようで饒舌になっているのだろう。たまに財前に喧嘩腰ではあるのだが、機嫌がいいと更に素直さに拍車がかかるので彼にとってはいい迷惑なのだ。清花はそんな二人のやり取りを校門まで見守ったあと、財前とはそこで別れて二人は駅方面へと歩き出した。



「おっにく! おっにく!」

『ハイテンションだねぇ』

「当たり前ですよ! もーお腹減りまくっちゃいました!」

『それはようござんした』



 舞い上がって喜ぶ花菜の姿に目を細めれば、ふと店頭に張られたポスターに目が留まる。それに合わせるように自然と歩みも止まり、少し先を歩いていた花菜が突然立ち止まった清花に「どうかしたんですか?」と首を傾げた。



『ああ、いや……そういえば、明後日七夕だったなと思ってね』



 清花の目に留まったのは、商店街にて行われる七夕祭りのポスターだった。忘れていたわけではないが、ひとえに七夕と言ってもあまり特大イベントを感じるわけではなく、些細な祝いごとのような感覚として清花の中にはあった。だから改めて七夕を認識してみれば、それにまつわる物語が頭に思い浮かび「一年に一度かあ…」とぽつり呟く。



「織姫と彦星ですか?」



 察しの良い花菜が尋ねれば、清花は薄ら笑って頷いた。

 織姫と彦星。七夕伝説のなかでは織女と牽牛の名で語られる二人の物語は、自業自得とも、ロマンチックともとれる恋物語だ。天の川に隔てられ、一年に一度だけ会うことを許された恋。幼い頃はそれを可哀想とも思っていたが、いまでは「まあ、物語だしね」と割り切ってしまった自分の感受性の薄さに笑ってしまう。
 すると花菜が閃いたようにぽん!と握り拳を掌に乗せた。「そうだ!」



「先輩、七夕飾り作りません!? 短冊書いて、テニス部で飾りましょうよ!」

『んー……うん。折角だし願掛けも兼ねてやろっか』

「ぃよっし! そうと決まれば準備ですね♪」



 ルンルン気分の花菜は「願いごとは何にしよっかなあ〜」と既に願いごとを考え始めているようだった。清花はそんな彼女を急かすように「店混む前に行くよー」と声を掛ければ、はっとして花菜は「しゃぶしゃぶ!」と勢いよく走り出す。まったく素直すぎる後輩だ、と笑って清花はそのあとを追いかけた。



■  □  ■




 ――明日は七時から朝練で八時半から月はじめの全校集会。授業の日程は確か…特に問題はない。三限の数学の宿題は一文を残して終えたし、五限の英語は分からないところは財前に聞くつもりでいる。放課後は月曜だから練習はオフ。いくら全国大会が間近に迫っているとは言えど、「しっかり休息をとらなあかん」と健康マニアの部長命令が下っている。となると放課後に飾り作りか。清花はお風呂に浸かりながら明日の日程を思い浮かべて、ふと二年前のことを思い出した。

 まだ自分が小学生で東京に住んでいた頃の話だ。同級生である修造の家へと遊びに行き、そこで七夕飾りの短冊に願いごとを書いた。あの時清花は“身長がせめてあと一センチ伸びますように”と切実な願いごとを書いたが、あれから二センチは伸びているので叶ったと言っていい。成長期真っ只中でそんな願いごとを書いたら叶うのは当然だろう、と苦笑を浮かべて湯船から出た。

 湯上がりに隣の部屋の妹へと声をかけて自室へと入った清花は、机の上に置かれた携帯を手に取ると、後輩マネージャーである花菜へとメールを打つ。返信スピードがどっかのスピードスターを上回る彼女は、数分も経たないうちに返信を送って寄越した。返事は「笹はあたしが調達します☆彡」と既に乗り気である。
 そうと決まればと清花は母の元へと交渉に向かう。母の糸葉いとはは手先が器用で手芸や雑貨作りが趣味だ。何度か一緒に作った試しはあるので、材料は揃っているだろうと一階のリビングへと入った清花は、父と並んでソファに座りテレビを眺める母を見つけて声をかけた。『お母さん』



「ん? 清花どうしたの」

『折り紙と画用紙って、いま持ってる?』

「ええ、あるわよ。そこの棚の下から二番目に入っているわ」

『ちょっともらってもいい?』

「好きなだけどうぞ」



 「ありがとう」と清花は示された棚から、色とりどりの折り紙と画用紙を引っ張り出す。その様子を何気なく眺めていた彼女の父――孝尋たかひろが納得したように口を開いた。



「七夕飾りでも作るのか」

『うん。久しぶりに作ろうかなって。花菜と話して、テニス部に飾ることにしたんだ』

「それは楽しそうね。じゃあお母さんも飾り作り手伝っちゃおうかしら」

『ほんと? わたしも花菜も不器用だから助かる』



 ふふふ、と笑いあう仲睦まじげな母娘に、「でも」と顎に手を添えていた孝尋が割って入った。



「肝心の笹はどうする?」

『真宝院池付近と四天宝寺の裏山に生えてるから問題ないよ。花菜が調達するって言ってた』

「花菜が? そりゃ大将ひろまさ君がこき使われるな」

『あはは、だろうねぇ』



 そんな他愛無い話をしていれば「それにしても懐かしいわね」と優南が目を細めた。



「若い頃はそうやってはしゃいだり、幼い頃は願いごとを書いたりしたわね。お母さん昔は“サンタクロースが年中やってきますように”とか“女優になりたい”って書いた覚えあるわ」

「そうだなあ。お父さんも“糞兄貴をぶちのめして下種親父をぶっとばす”って書いたのはグレーな思い出だな」

『お父さん、それグレーじゃないブラックブラック。染まりきってる墨汁だよ』



 この父あってこの子あり。まさしく清花のバイオレンス発言やヤンキー騒動などは、この父から引き継がれたものだと確信した瞬間だった。「というか下種親父ってお爺様のことだよな…」と柔和な祖父の顔を思い浮かべ、祖父も父も他界した父の兄である伯父もみんなバイオレンスとか血族怖いと肩を震わせた。嫁いできた母達が悪魔の生贄にされた姫君とさえも思える。そんな生贄の母(違う)は相変わらずにこにこと微笑を浮かべて、清花と父のやりとりを見つめていた。




[ Postscript! ]
七夕企画。バイオレンス発言一家な三輪家。

2015/07/02
background by web*citron


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