Nebra sky disk | ナノ


しじまに瑤

 王の許可もあり、触れはすぐにだされた。鐘が鳴らないだけで、いつも通りの業務を行うように達しがあり、前日までは目立った混乱や反発は起きなかった。

「明日は鐘が鳴らない日なんだろ?」
「らしいな。でもまあ太陽が出ていれば大体の時間はわかるし大丈夫だろ」
「始業と終業はちょっとあれかもな」
「ああ、シャルルカン様とかか」

 そう誰もが楽観的に考えていた。鐘が無くとも、太陽を見ればおおよその時間は計れる。だから、そこまで困る事はないだろう、と。

 だが、彼が宣誓した四日後。その日は一日、雨だった……。

 影も出来ぬ一日に、太陽の運行から時間を知ろうとしていた官たちの目論みは見事に崩れさる。時間を奪われたと感じた者達の間で、小さな諍いが頻発していた。

「……雨の日や曇ってる時って、今までどうやって鐘を鳴らしてたんだ?」
「さぁな……やっぱなんかやってんじゃないか?」
「なんかってなんだ?」
「俺が知るかって」
「……………」

 すれ違う官吏のそんな言葉を聞きながら、ヤムライハは回顧した。
 衆議の後、ヤムライハはシンドバッドに直訴した。本当にイーダを罷免してしまうのかを。それを聞いた王は心配することは何も無いと笑ってみせた。あいつが証明出来るというなら出来るのさ、と王はあっけらかんと言い放った。
 眷属器使いでも無く、魔導士ではないイーダは天候を操る術は持たない。ならば彼は、この日に雨が降ると知っていたというのだろうか……。

「あっ……」

 黒秤塔の回廊に、一人の男が佇んでいた。雨空を見上げるイーダの静かな横顔は、眠れないのか、と手招いてくれた優しい人をヤムライハに想起させると同時に、切なさをもたらした。

「……お前か」

 人の気配には敏感なのか、イーダは立ち止まったヤムライハに気付き顔を向けた。
 ヤムライハに向けられたイーダの静謐な瞳。何を考えているのかは相変わらずヤムライハにはわからないが、そこに嘲笑や害意は見つけられなかった。ひたと見つめられる居心地の悪さに、ヤムライハの口からは反抗的な言葉が出ていった。

「私が此処を通っては駄目だというの?」
「どうしてそうなる。……ヤムライハ。俺は、お前に言っておきたい事がある」
「何を、よ……」
「お前は多分勘違いしている」
「だから、何を?」
「あの日、図書館で俺がおぞましいと言ったのは……お前に対してじゃない」
「え……」

 イーダの言葉は、俄には信じがたかった。
 だが、気怠そうないつもとは違う、寂寞とした雰囲気を纏った彼は、偽りや戯れを言うようには見えなかった。

「じゃあ、何……あれは独り言だとでも言いたいわけ?」
「そうだ」
「……随分大きい独り言ね」
「だな……すまない、お前を泣かせるつもりは無かった」
「泣いてないわ!」
「なら……いいんだ。悪かった」
「っ……」

 図星を指されて、ヤムライハはつい声を荒げてしまった。子供では無いのだから、泣いていると思われるのは恥ずかしい。イーダのせいで泣く女だと彼に知られるのも、嫌だった。
 殊勝に謝られては、ヤムライハもそれ以上イーダを責める気にはなれなかった。その代わりに疑問を投げかける。

「どうして、今更……」
「単純に機会が無かっただけだ。あの後、シンの奴に揶揄されるわ、ピスティからは出会い頭に腹に一発入れられるわで、散々だったんだ」
「腹に一発って……」
「撲られたんだよ、いきなり。鳩尾に見事な青痣が出来たぞ。まだ残っていると思うが……見るか?」
「見ないわよ!」

 ヤムライハの友は有言実行してくれたらしい。自身はまだ出来ていないというのに………。しかし、八人将の中でもそこまで力が無いピスティに撲られて跡が残るとは、一体どれだけ自己治癒が低いのだこの男は。
 ヤムライハもイーダの隣に立ち、空を見上げた。

「イーダ……?」
「なんだ」
「貴方の名前は、イーダよね」
「じゃなかったら誰だ? 俺には双子の兄弟なんていない」

 違う……ヤムライハが聞きたかった事はそうではない。だが、どう尋ねるべきかわからず、ヤムライハは一度口を閉じた。イーダも、ヤムライハに合わせていた目線を空へ戻した。
 会話が終わったのだからここにはもう用は無いはずだった。しかし、離れがたくて……沈黙は堪えられなくて、ヤムライハは問いを重ねた。

「……雨が降るって、知っていたの?」
「確証なぞは無い」
「じゃあどうして、この日を指定したのよ」
「特異日だからに選んだに決まってる」
「とくいび?」

 度重なる質問にもイーダは辟易することなく、滔々とヤムライハに答えていく。

「一年の中で何故か決まった天候になる確立が高い日がある。それが今日だったと言うだけだ。観測の成果だ」
「貴方達は、天文官は雨の日は今までどうやって時間を確認していたの?」
「……知りたいのか?」

 雨雲を見ていた瞳が、再びヤムライハへと落ちて来る。ヤムライハは、知りたいと思った。この男の事が、もっと。知って、近づいて、確かめたい事がある。
 今なら、わかりそうな気がした。

「知りたいわ」
「……ならついて来い」

 ヤムライハを連れて、イーダは黒秤塔一階にある角部屋の扉を開いた。すると、ヤムライハの耳に雨音ではない、水が撥ねる音が届いた。
 部屋に一つだけある机に向かっていた官吏が顔を上げて、イーダとヤムライハの姿を確認して首を傾げた。

「あれ、局長。どうなさったんですか?」
「漏刻守のイルマだ。イルマ、ヤムライハ殿が漏刻を見学なさりたいそうだ」
「えっ!? はい、了解です。いらっしゃいませヤムライハ様! えっと、狭いところですが……おくつろぎ下さい?」
「ありがとう、お邪魔するわ」

 イルマが言った狭いところ、というのは謙遜でもなく、本当に部屋の大部分を水が溜まっている箱を階段状に並べた物で占領されていた。水音はそこから聞こえてくるようだった。
 イーダはそれに歩み寄り、イルマに確認を取った。

「イルマ、今の時刻は」
「はいはい! えーと、十一時廿四分……でしょうか」
「四分半遅い」
「それくらい誤差の範囲じゃないですか」
「誤差は二分以内と言っただろうが」
「無茶言わないでくださいよ局長……」

 手元を確かめながらイーダが指示を出し、文句を言いながらイルマが螺子を調節する。その様子を見ていたヤムライハは、そろそろと二人に近寄った。

「これで、時間を計るのね」
「はい! そうです! 一定量の水を流すように調節することで、溜まっている水位から時間の経過を見る事が出来ます」

 ヤムライハの確認に、イルマは漏刻の説明を始めた。
 元々は煌にあったものをこっちの職人で再現して作ってみただとか、本元の漏刻とは違いかなりの改良を加えてあるのだとか、それでも気圧の変化や、水の蒸発量なども考えて微妙に水量を調節をすることもあるだとか……本人はなにも複雑な事は無いと説明していく。

「こいつほんとに手間掛からないんですよ。局長は漏刻守とか言ってくれましたけど、俺も観測結果の整理が主で、漏刻の世話もその傍らでしてるだけですし」
「そうなの……ねえ、イー……ダ?」

 ふと気付けば、イーダの姿が部屋から無くなっていた。
 上司として付き合いがあるせいか、察しがついたらしいイルマがイーダの行方を推測した。

「あ、多分雷を見に行ったんですよ。さっき鳴ってましたし。局長、雷と黒点観測大好きだから」
「………………」
「あはは、すみません」

 いつもの事なんです、と困ったようにイルマは笑った。

「局長、自分の興味のある事には寝食を惜しまない分、他を顧みないというか、言わなくちゃいけない事は言わなくて、言わなくていい事を言っちゃうというか、放任主義だし性格も癖がありますけど……あれ?」

 弁護しようとしたがイルマだったが、出来ていなかった。随分ぼろくそに貶されている……。眼球温度が下がったヤムライハに気付いたのか、イルマは焦ったように手を振り、自分の発言を撤回しようと試みた。

「意外に面倒見は良いんですよ。仕事に関しては責任感も強いですし」
「放任主義って言わなかった?」
「はい、良くも悪くも口出ししてくれません。局長は何でも知っているのに、解が出ずに唸ってる俺達を尻目に昼寝するような人です」
「それ、最低じゃない」
「で、でもですね! 行き詰まって頭が爆発しそうになったらいつの間にか机の上に資料が置かれていたり、計算式を添削してくれたりするんです、よ……?」

 頭を悩ませながらイーダの良い所を探していたイルマは、はっと気付いた様に目を輝かせた。

「そうだ! こいつ! この漏刻も、局長が作られたんです」
「そうなの?」
「はい。尤も、局長は全く使っておられませんが……」
「なによそれ……使わないものを作るって無駄じゃない」
「これは俺達用なんです。あの人、漏刻や日時計を使わなくても正確な時間をご存知なんですよ。局長が海に出て不在だった頃に漏刻は使われてて。でも、局長が帰って来られたからもう補助で一応動かしているだけ……といっても、さっきみたいによく局長に修正されちゃいますけどね」
「海に、出ていた……。ねぇ、イーダは昔は船乗りだったの」
「船乗り……ではないですね。局長はシンドリア建国以来ずっと天文官長です。ただ、航海士として長い間出向しておられたんです。航路開拓の為に外海に出ていて、殆ど王宮に帰って来れなかったんですよ」

 イルマの言葉を聞いて、長い間ヤムライハの中の蟠りが解けた。やはり間違いない。イーダと、ヤムライハをシンドリアへ連れてきてくれた星見の青年は……同じ人だ。

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