マギ | ナノ


鮮烈な青葉

 禁城の庭を横切った鳥の羽ばたきに目を向ければ、紅炎はつい足を止めてしまった。
 常ならば兄や姉の背に隠れて、恐る恐る己を伺う小さな従兄弟……白龍と見慣れぬ姿があったからだ。幼い従兄弟は、不機嫌でもないのにそう見えるらしい険しい目付きをした紅炎を恐れているようだった。いや、紅炎だけではなく威圧感のある人間の殆どか……。

「……あれは」

 天華を統一した偉大なるあの大帝はもとより、威風ある白雄や勇敢な白蓮、剛毅な白瑛とは似ていない臆病な第三皇子。そのすぐ隣に屈み込んでいたのは、久方ぶりに見たあの灰色のケモノだった。
 だが……紅炎は我が目を疑った。紅炎の欲を刺激した精粋の眼をした生き物が、白龍の隣で笑っていたからだ。
 表情筋を持たない獣のように、戦の凄惨な光景を前にしても眉一つ動かさなかった夷狄の女は、今は何が嬉しいのか幸福そうに笑っていた。だから、紅炎は同じ見た目をした別の生き物とさえ思ってしまった。

「………………」

 あのケモノはこのように笑うのか……と、紅炎は止めた足をそのままそこに縫いつけられてしまい、動けなかった。
 紅炎が眺めている事に気付いていないのか、女は多くの敵を屠った手に小鳥を留まらせて、白龍も無防備にその隣で餌を撒いていた。
 禁城に戻ってから、煌国が煌帝国と成ってから……紅炎は白雄の側にケモノを見ることは無かった。あのケモノはどうしたのですか、と白雄に尋ねる機会も得られず、気にはなりつつも、有事から離れた日常にいつしかその存在は記憶の底に埋まりつつあった。

「そうか……」

 だが、こうして再び廻り合わせてみれば……白龍の側にいたためか、と懐いている従兄弟の姿を見た紅炎は得心がいった。見るからに厳めしい兵士にも臆する白龍には、見た目は美しい女であるケモノを従者にさせた方が、怯える事はない。
 紅炎の推測を裏付けるように、二人は仲良く庭に並んでいた。白龍が地面に餌を撒き、ケモノは集ってきた鳥を掌に乗せた餌に誘う。思惑通りにいっているらしく、数羽が白い掌の上で一心に餌を啄んでいた。

「珂燿、見せて……!」

 白龍の呼ばう声に、紅炎はケモノの名を思い出す。
 鮮やかな羽毛に白龍は目を輝かせ、珂燿の掌に集う鳥に手を伸ばした。だが、餌を啄んでいた鳥は、無邪気な手に気付き慌てて逃げ出した。

「うわぁ!」

 顔に向かって来るように飛び去る鳥を恐れて、白龍はのけ反ったままに後ろに転がってしまう。

「白龍様っ」

 珂燿は慌てたように手を払い屑を落とすと、転んだ白龍を抱き起こした。突然の事に驚き、泣きはじめた白龍を珂燿は宥める。
 珂燿、と白龍がしゃくり上げながら再びの名を呼んだ。珂燿は慣れた手つきで、白龍の涙を止めようとしていた。優しく白龍に触れるその手に、柔らかく笑いかけるその顔に、鮮烈な緋の粧いは最早無い。臭いすら、感じさせない。

「珂燿、か……」

 紅炎は何故か唐突に理解出来た。ケモノを花に変えたのは白龍だと。きっと、あれの弱さがケモノを変えた。傷付けぬために悍ましい程に美しかった爪と牙を捨てさせ、怯えさせぬために花のような笑みを選ばせた。

「?」

 つい、と珂燿が何かに気付いたように白龍と突き合わせていた顔を上げた。紅炎もその視線に釣られて珂燿の視線を追う。

「白龍、珂燿、なにやってんだ?」

 紅炎がいる逆の回廊から、白蓮が歩いてきた。おおらかな白蓮らしく、何があったかはわからずとも、珂燿にべったりと引っ付いてぐずっていた弟の頭をがしがしと掻き回す。

「白龍、お前また泣いたのか?」
「泣いてません」
「へー……珂燿、本当か?」
「泣いてませんよね、白龍様」
「懐柔されてるな、お前……」

 白龍に追従する珂燿の言動に、紅炎と同じようにケモノを知っている白蓮は呆れたように半眼になった。息抜きに来たのか、そのままそこに混じり餌を撒こうとした白蓮に厳しい声がかけられた。

「白蓮! お前はこんな所にいたのか!」
「あっ、兄上ー!」
「兄上! いやこれは」

 油を売っている弟を目撃した多忙な皇太子は、額に青筋を立てていた。元の造作が良いだけに、その怒りは取り分け恐ろしく見える。怠けていたというには及ばないほんの僅かな事なのに、見つかってしまう白蓮殿は間が悪いな、と紅炎は憐憫の情を抱いた。
 慌てる白蓮とは対照的に、白龍は珂燿の隣で白雄との邂逅に喜びをあらわにする。

「ん? 白龍……お前、また泣いていたのか?」
「泣いていませんっ!」

 上の兄にまでそのことを指摘された白龍が頬を膨らませる。それを見た白蓮が笑い、白雄も顔を緩める。さらに傍らで花も咲う。その光景は、誰しもが夢に見るような……幸福な一幅の絵のようだった。

 情炎ではなく、密やかに育つ。

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