マギ | ナノ


已己巳己と啼く不如帰

 手慰みに、と珂燿が刺繍をしていた時の事だ。頭上で何か大きな魔力が動く気配を彼女は感じた。
 シンドリアは亡命した人間や、難民が多い。そのため迫害を受ける魔導士の比率は諸国より若干高く、王宮内ではルフがそこかしこで動く気配がしていた。
 だが、この魔力は……酷く身に覚えがある。珂燿は生布を叩きつけるように脇に投げると、窓から身を乗り出して空に浮かぶ影を視認した。
 上空で小さな星のように輝く、高出力の雷魔法。それを操作する杖を握る人物は、珂燿のよく知る人間だった。

「あいつ……!」

 片手で梢子棍を引っつかみ、片手で裾を持ち上げて珂燿は駆け出した。回廊を駆けている時に、耳障りな破砕音が轟き、沈むような振動に王宮が震えた。

「救いようの無い馬鹿か!」

 恐らく、先程の轟音はシンドリアの結界が壊された音だ。他国の防衛機能を損なうなど、紛れも無い敵対行為である。皇女や皇子が遊学している国にそのような事を仕出かせば、彼等がどうなるのかという簡単な想像さえも出来ないのか。珂燿はらしくなく舌打ちをした。

 息を切らしながら王宮の庭に出ると、そこには八方から槍を向けられたマギが……煌のマギたるジュダルが立っていた。
 壁となっている兵士達を掻き分けるか、一旦屋根に登って包囲の中に飛び降りるか……珂燿が逡巡した時に、堪えきれずにジュダルを攻撃した八人将、ジャーファルが逆に弾き飛ばされた。
 その一撃に巻き込まれた武官の壁が崩れ、包囲が薄くなる。

(あそこから……!)

 珂燿はそこを目指して、再び回廊へと身を翻そうとした時に、ジュダルの言葉が聞こえた。

「ザコはどいてな。俺はシンドバッドに用があるんだよ」
「どういうつもりだ、ジュダル。何をしにシンドリアへ来た」
「そう怖い顔すんなよシンドバッド。知ってるか? うちの親父どもがザガンを狙ってる事、ついでにあのチビ達の命もな」
「その件は片付いた。彼らは八人将が既に保護している」

 ザガン、チビ、命、八人将……それらの単語を繋げた時、珂燿の脳裏に恐ろしい想像が成された。白龍の身に何が起こっているのかを考えると、身体が震え出しそうだった。

(また、私は失ってしまうのだろうか。ほんの少しだけ、離れたせいで、また……)

 仔細を知っているシンドバッドに兵士や距離を無視して掴みかかりそうな衝動に駆られたが、保護しているという言葉を頼りに、必死にそれを抑えた。

「ま、だろうな。あんなまがい物どもにやられるとは思えねぇし……」

 ひとりごちたジュダルは、槍に囲まれている状況の中で悠然とシンドバッドに問い掛けた。

「なあ、あのチビ使ってなにするつもりなんだ?」
「何の話だ」
「惚けんな。あんただって知ってんだろ? いつの時代にも、マギは三人しかいねぇ。今は俺と、レームのばばぁ、それからあの放浪野郎。これで全部だ」
「…………」

 ジュダルの言うことは、歴史が証明している。マギと呼ばれる、ルフに愛された魔法使い……その稀有な存在は、この世界に同時に三人しか産まれて来ない。
 だが、アラジンは、その法則を破っているわけではない。珂燿は知っている。

「俺の方が先にあんたを見つけて、組みたいって言ってるのに、アラジンを選ぶのか? あんな得体の知れない奴を。俺だってあんたを気に入ってるんだぜ」
「貴様は組織の人間だろうが……パルテビアで、お前らが俺達に何をしたのか忘れたのか!?」
「……そんな風に、言うなって……」

 シンドバッドは、珍しく気色ばんでジュダルを非難した。そしてジュダルも、殊勝な声音に変わる。
 ジュダルは、アラジンの力……ソロモンの知恵によって、己の過去を知ったらしい。以前会ったときに、様子が違ったのはそのためか。
 東の小村に産まれたジュダルは、生後間もない頃に父母を殺され、そのままアル・サーメンによって育てられた。どのように育てられたかを、珂燿も見てきた。

「俺だってアル・サーメンの被害者だ! ガキの頃からわけわかんねーままマギとして利用されてきただけなのに、俺が全部悪いっていうのかよ! 生きれるなら、俺だってふつうに生きたかった!」
「ジュダル……」

 くずおれて、嗚咽を零したジュダル。歩み寄ろうとするシンドバッド。悲痛な声に矛先を鈍くした兵士達。
 ……珂燿はその隙に、包囲の中に身を滑り込ませ、ジュダルの傍らに立った。

「顔を上げてみろ、ジュダル」

 彼は、哀れだ。哀れで、愚かであるが故に酷く……幸福なマギだ。
 珂燿の呼びかけに、ジュダルの肩が震えた。珂燿はジュダルが今、どんな表情をしているか、手に取るようにわかっていた。

「全ての真実を知っても尚、その場にいることを選んだのだろう? 血脈に連なる者を殺され、組織のコマであることを知っても……それでも、お前はそこにいるのが楽しくて堪らないのだろう?」
「……珂燿、お前さ。こーいう時はなぐさめるもんじゃねーの?」
「気色悪い」

 顔を上げたジュダルは、屈み込んだまま珂燿を見上げた。演技を見破られたジュダルは、ふて腐れたように唇を尖らせていた。

「相変わらずなこって。なー、珂燿。俺さ、お前のこともちゃんと気に入ってるんだぜ」
「迷惑極まりない」
「よーやく判ったんだよ、お前が何か」

 ジュダルは声を落として、珂燿にだけ聞こえるように言った。その顔は、玩具を前にした子供のように喜色を浮かべている。

「お前のルフ、あのチビが持っていたジンにそっくりだ」
「少し、黙れ」
「はは! 図星ってやつか? こっちに来いよ、珂燿! お前こそ、本当はそこにいるべきじゃねぇってわかってんだろ?」

 ジュダルのくせに、珍しく的を射た言葉を操る。珂燿は梢子棍を握り締め、ジュダルの言葉に抗った。

「……私の主人はお前じゃない。私は……白龍様の従者だ」
「お前の主人は白龍じゃねぇだろ。だから、俺のもんになれよ。俺がお前の望みを叶えてやる」
「望み……?」
「ああ、俺なら叶えてやれるぜ」

 滑稽だ。
 ジュダルの申し出に、珂燿は思わず笑い出しそうになった。いったい、彼が何を知っているというのか。運命に逆らって、切望し続けている悲願は珂燿以外に誰も知らないし、わからない。そう、きっと……白龍さえも。

「ジュダルは、私の望みを知っているのか……?」
「わかってるさ。王にしたいんだろ、あいつを」
「否。今の私の望みは……白雄に会うことだ」
「…………は?」

 珂燿の答えが予想外だったらしいジュダルは、怒ったように聞き返す。

「はくゆう? 白龍の間違いじゃなくてか? お前、あいつを王に……! はああ!?」
「私はあの子を王にしたいと思ったことは一度も無い。さあ……無駄口はここまでだ、ジュダル」

 言うや否や、珂燿はジュダルへと梢子棍を振り下ろした。ジュダルのボルグと、珂燿の梢子棍が反発する。思わず杖を構えたジュダルは、正しく珂燿から放たれたものを感じ取った。
 これは……凄絶な怒気だ。恐怖と、歓喜の入り混じった高揚をジュダルは手にした。

「シンドリア王に額付いて謝罪だ」
「はっ、誰が」
「させてやる、いやがおうでも」
「お前に出来んのか!? 魔力切れ起こしてフラフラのくせによぉ!」

 ジュダルも即座に攻撃体勢を整えた。重力魔法を補助に大きく跳び退く。杖の先に結界を破った雷魔法を作りだし、珂燿へと放った。

「珂燿!」

 シンドバッドが避けるように叫ぶが、珂燿は意にも留めずに左手を差し出し、雷撃を正面から受け止める構えを取った。

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