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まだ満開には及ばなかったが、桜がぽつぽつとその花びらをうっすらと開かせはじめていた。

すこし強い春風に目を細めつつも九は頭上を微かに覆う白や桃色をながめながら歩いていく。鼻孔に届くのは少し鼻につく土や花の匂い。自身の身体からかおる桜の匂いとそれらの匂いはケンカをすることはなかったようで 心地のよい匂いをつくりあげていた。
平らに整えられた土を踏みしめながら、五感で自然をかんじながら、九は満足そうに口角をあげた。永遠かのようにつづくその景色に飽きる気配はない。


緩やかな坂をずっと登っていき、ふと視線をずらすと雑木林の向こうに赤くそまった空があり、そのはるか下のほうに街が見えた。どのくらい歩いたのだろうか。駅を出発したとき真上にあった太陽はすでに暮れはじめていた。
空の色を確認しながらも ゆっくりとした足取りをつらぬいた九の自然豊かだった視界に 人工物がはいった。豪邸ともいえる屋敷だ。歩く速度はそのままに九はその屋敷へと歩みをすすめる。


――春、長野県諏訪市にて。




両開きの玄関の重々しい扉と それより前方に建てられた、左右二つある立派な柱をまじまじと九はながめる。職業柄、あまり馴染みのない建物であった。

インターホンを押してもなんの反応がないことを確認すると、とくに躊躇いもなく右側の扉を前にひいて 屋敷のなかに入った。足を踏み入れた瞬間九はどこからかただよう鉄くさい臭いに気づいたが、迷うようすもなく足をうごかす。何かに呼ばれでもしているような足取りだった。







調査にやってきた数名の霊能関係者によって開催された降霊会。突如としてはじまったポルターガイストと次々に書かれていく「助けて」の字に一同は騒然としていた。
麻衣は何ものかに背中を押されたような気がして後ろを振り向いたがそこには壁しかない。背中に冷たいものが流れ、あたりを見回そうと視線をずらしたその瞬間、麻衣は桜の匂いを嗅いだ。
間髪いれず、激しい荒波でさえ一瞬で凪いでしまような 心を落ち着かせる不思議な声色を耳にした気がした。――文字通り部屋の動きが、ぱたりと止まる。


「……驚かせてしまったようで、すみません」

一瞬とぎれた皆の緊張がふたたび引き締まった。視線が一斉に音源へ――扉のほうへと向かう。
そこにはいつの間にか苦笑を浮かべた青年が片手で扉をおさえ、立っていた。淡い色のジャケットに細身のジーンズ、そして足元には黒いガラガラをおいているという、旅行観光客のような出で立ちの青年はその場にあまり似つかわしくなかった。




「今の真言は――」

突然の来訪者にもかかわらず 依然としてポーカーフェイスを保つナルが訝しげに問おうとするが、麻衣がかぶせるように叫んだ。

「九さん!?」
「あれ、谷山さん。これはまた稀有なところであいましたね」

信じられないといった口調でいった麻衣のことばに 降霊会に参加している一行はそれぞれ異なった反応を示した。
そんなものお構い無しといったように、青年はドアを押さえていた手を自由にし、いずまいを正すと綺麗に礼をした。

「今日から僕も調査に参加させていただきます。九ともうします。どうぞよしなに」
「九って あの九一族!?」
「麻衣さん、お知り合いだったんですの?」

部屋の数か所で似たような声があがる。九とは個人的な面識しかなかった麻衣は何をそんな騒ぐのかと頭上にハテナを浮かべたが、九は笑みを深めただけだった。
誰かが何かをいうまえに 再度ドアが開く。ドアの隙間の向こうには中を伺うようにしている依頼主がいた。自身が注目をあびていると気づいた依頼主は 苦笑を浮かべて謝り、すぐ近くに佇んでいた九に声をかけた。

「九さんですね。お迎えに伺えず大変失礼いたしました……」

依頼主が先をつづけようとしたが九はちょっとすみません、とそれを制し、横目に部屋の中央を見すえながら言った。


「――まずこの場をお開きにしましょうか」

顔を真っ青にした鈴木直子と真砂子はお願いしますというように深く頷いた。



そして一行は、暗視カメラで録画した内容を分析するため 機械をこれでもかと敷き詰めた、渋谷サイキックリサーチチームの一室へと向かうことになった。
道中とくにぼーさんが九へ質問攻めをしたそうにうずうずとしていたが、純粋に再会によろこぶ麻衣と九によりそれはついぞ叶わなかった。諦めたように、呆れたようにぼーさんはため息をこぼし 麻衣の頭に手をやった。

「異次元にひきこまれるだなんて、そんな体験なかなかできないぞ。よく無事だったな。運がいいんだか悪いんだか」
「まったく、悪運だけは強いんだから」
「九はんは、陰陽師なんどすか?」

渋谷サイキックリサーチの面々のアットホームな会話に終始ニコニコしていた九はジョンのなんともいえない日本語にとくに突っ込みもせず、考え事をするかのように視線を上に向けた。肯定とも否定ともいえない微妙な反応だった。

「陰陽師ですか……。九一族は古くから陰陽道を核とした術者を輩出していますが、僕は自分をおまじない屋さんに近いと思っています」

いたって真面目にいう九に思わずもれたような笑い声があがった。

「お、おまじない屋さん?」
「九さん、ケッコー本気でいってる……?」
「はい。真言で御仏に助力を請うだけではなくたとえば『痛いの痛いのとんでけー』何て言うおまじないも僕はよく使うので。これがけっこう きくんですよ」

腕の痛みを主張していた鈴木直子に向けて九がおまじないを口にする。

「……あれ、なんだか腕の痛みがとれてきました」
「あらまあ」
「嘘だろ!!」
「ね?だから僕はおまじない屋なんです」

なんだそりゃ。なぜおまじない屋にこだわる。
誰かがつっこみを入れる間もなく、現在進行系で所長を演じている安原もとうとつなボケを投入した。


「いいですねえ〜おまじない屋さん。なんか公園にやってくる子供たちの人気者って感じがしますね」
「公園の人気者ってなによ。紙芝居屋?」
「あら、松崎さんがお若かった頃はまだ公園で紙芝居が催されてたんですの?」
「ぷぷぷ」
「あんた、何わらってんのよ!真砂子もそれどういう意味よ」

「……みなさん、部屋につきましたが、まだ続けますか?」

機材をもったリンとその手前にいるナルによる冷たい視線に一同は 会話をぴたりと止めた。
そんな中、ごめんごめん鳴海くん、とのんきに謝る安原をみて九はくすりと笑った。




「それでは僕はこのあたりでお暇させていただきます」
「あれっ九さんは動画みないでいいんですか?」
「俺としてももっと聞きたいことがあったんだが」
「それはまた明日にでも。ちょっと屋敷をうろうろしていきます」
「今から!?危なくないんですか?またさっきみたいなことが起こったら……」
「九さんはプロの術者ですわ。麻衣さんみたいに間抜け面をさらして一方的に襲われるなんて心配はご無用かと思いますわよ」
「真砂子ぉ?」

「渋谷さんのところはみなさん本当に仲がよろしいですね。では、おやすみなさい」

ふとナルを見ていった九を鳴海一夫扮するナルは訝しげにみたが、九は名残惜しげもなくそのまま踵をかえし、一同が今まで歩いてきた道を戻っていった。



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