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真夏とくらべればましになったものだが 太陽はまだまだその存在の主張をねばっていて アスファルトを照りつけている。HRを終えた生徒が続々と教室をあとにし、学校中の人の分布がちらばりはじめた時分。九は胸に外部の人間だと主張するネームプレートをひっさげ、学校特有のクリーム色の廊下を歩いていた。


――秋、湯浅高校にて。







「では、この生物準備室内にかぎって 心霊現象がおこるのですね」
「ええ、そうなんです。こう毎日のように物が壊れたりしますと、費用もかさんでしまって」

湯浅高校教師の産砂恵は、具体的にどのようなことが起こるのか目の前の青年に伝えきると、何かを考えるように黙り込んだ相手を観察した。
淡い桃色のインナーに濃灰色のジャケットを合わせた青年は どうみてもただの好青年だ。全体的なファッションはきれいにまとまっているのに 襟足が少しながい黒髪はざっくばらんで それがただの奇抜なファッションなのか、手違いでそのようになってしまったのか、産砂恵には判断できなかった。
陰陽系の呪術を現在かじっている彼女としては 本物の陰陽師というものがどのようなものか 気にならなかったというと嘘になる。陰陽師――日本の古典的っぽい点と言えば青年の醤油顔と彼からもれる柊の匂いくらいのものだった。やはり、イメージはイメージでしかない。いくら陰陽師といっても今はITの時代、二十一世紀だから こんなものかと産砂恵は結論づけた。裏切られただとかがっかりだとか、そんな感情はわいてこなかった。
産砂恵としてはここ数日悩まされている霊障からおさらばできるのであれば、外見などという不確定な要素などどうでもよかった。彼のチカラが本物でさえあれば それでいい。


「この生物準備室が呪われているというよりは、あなた自身に力の矛先が向かっているようですね」
「……ですが、この教室いがいではとくに何かが起こったなんてことはないんですよ」
「いえ、この学校でどのような騒ぎが起こっていたとしても、この準備室で霊障を及ぼしている なにがしかの力は、ただひとり、あなたに向かっています。放置しておけば あなたをどこまでも追いかけていくでしょう。作用にたいして反作用がつねに存在するように、この力も帰るべきところに帰ろうとしています。
あなたが今なさっていることを続けていけば この反動はいずれ命にかかわるほど強大なものに なりますよ」

――反作用、反動
何もかもお見通しだ、とでも言いたげな九の目に産砂恵はぎくりとした。彼女はたしかにこの教室で厭魅の制作をおこなった。

人を呪わば穴二つ。

素人でありながらも術を扱っている身。なぜ自分がこのような目にあっているのか彼女はうすうす感づいていた。もちろんそれを目の前にいる本職の人間に晒すつもりはなかったが 呪いの跡というものは残るものなのか、気配というものがあるのか、青年はすべて分かっているようだった。
だが、自分の所業がばれるのは覚悟の上だった。むしろそれでよかった。産砂恵の術の残り香に感づくということ、それは彼が術者として優秀だということの証明に他ならないからだ。そして彼が本当に九一族の血をひく者であれば、問題はないはずだった。
とくに追求はなく、九は穏やかな笑みで「ではまずお祓いをしましょう」とつぶやくように言った。


おん くろだのう うん じゃく そわか


風になでられているような心地よささえ人に与えるような真言をあびて、産砂恵は青年を本物だとさいど認めた。真言を唱えられるたび、自分の中にひそむ魔が苦しむように離れていき、自身が浄化されるような感覚を覚える。
それからどのくらい時間がたっただろうか。聞き覚えのないいくつかの真言を言い終えると、九は「おつかれさまでした」と産砂恵に声をかけた。
彼女はいつの間にか閉じていた目をあけると、青年の後方にある棚からちらりと白い何かに気付く。
間髪いれずに「お札です」と九は説明した。

「いつの間に……」
「術者というのはたいてい自身を守るすべを持っています。自分がおこなった呪いの反動から生身を守るすべを。もちろん僕などにいわれなくてもご存じだと思いますが」
「九さん?なぜ、そのようなことを話されるんですか」
「あなたの術は完璧ではありませんが 筋はかなりいい。なかなか強力な呪いだ。そして、強力な呪いは危険だ。呪いそのものが危ないものなのはあたりまえですが、あなたにとっても ということです。このままでは自滅してしまいますよ――産砂さん」

いたって和やかに忠告する九に産砂恵は ささいな反抗をたくらんだ。プロの術者に強気でいられるのは、彼女にぜったいの自信があったからだ。


「九一族というのは大金さえつめば 客の要望に応え、厭魅でさえ行うと聞き及びましたが」

暗に、じぶんたちは同じ穴の貉だと語る。挑発めいたことばを、九はとくに不愉快にはかんじなかったようだ。口角をあげると声のトーンをあげて言った。

「そのとおりです。一族ぐるみで強力な呪いをおこなったものですから、術の反動がつねに僕たちを襲っているような状態でした。幼いころから。
ですから 僕は幽霊退治などよりは逆凪を防ぐ呪いのほうが得意だったりします」
「つまり?」
「こちらにある札はあなたを術の反動から守るためのものです。隠すように貼ってあるのでそちらからは見えないでしょうが、四つの壁それぞれに一枚ずつはってあります。どうか剥がさないように。
ここにいる間は あなたには なんの被害も及ばないでしょう」

それぞれの壁を指さしながら説明した九を産砂恵は訝しげに見る。なぜわざわざこんなことを。その一言しかなかった。

「こちらのお札はつねにもっていてください」



ふしぎそうな顔をしている産砂恵をよそに 九は彼女の額に手をあて、一息で真言を唱えた。
すると何かによって守られたような温かさを全身に感じて、彼女はさらに困惑したように眉間にしわをよせる。


「僕がかってにやっていることですから、代金はもちろん要求しませんよ」

安心してください、と微笑んだ陰陽師をみて、産砂恵はつねにはっていた緊張がおもわずとれ、いろいろな思いが交わり 最終的にそれはただの苦笑に帰結した。


「見逃していただけるんですね。ありがとうございます」







渋谷サイキックリサーチには今回の湯浅高校の一件にかかわった霊能者たちが一様に集まっていた。ナルがスプーン曲げ―もといインチキ、を披露したあと、ぼーさんが彼の手元にもっていた四枚の札を目ざとく発見し、まじまじと見たのち、驚きの声をあげた。


「おい、ナルちゃんよ。そりゃあひょっとして九一族のものか。どこでそんな珍しいもん手に入れたんだ」
「湯浅高校の生物準備室の壁に貼ってあったそうだ。事件解決後に発見され、今朝こちらに届けられた。それで、その九一族というのは?」

真砂子と綾子は名前だけきいたことがあるといい、ナルからぼーさんへと視線をうつした。

「俺も詳しいことは知らんが、一度だけその一族の出っつうやつといっしょに仕事をしたことがある。
けっこう古くから続いている陰陽道に精通した家系なんだが あんまクリーンな噂はきかないな。金をつまれたらどんな仕事も請け負うっつう話だ。それこそ呪った相手を死にいたらしめるような呪詛も得意だとか。
だが、九一族ってのはたしか二、三年前に――

お、麻衣お茶ありがとさん」

バックに引っこんで全員分のお茶をついできた麻衣に面々はくちぐちに礼をいった。なにやら深刻な話をしているな、と空気を読んだ麻衣は最初からはなしを聞いていたような装いをして、自分の椅子にもどる。

「呪詛を生業の一種としている……となると、逆凪への対処にも慣れている、か」
「だろうな」

疑問符をうかべた麻衣とジョンにぼーさんが「逆凪っていうのは」と続けた。

「術の反動のことだ。因や縁ってのは穏やかで人の影響をうけない凪の状態が通常なんだが 呪いを使うってことはその因や縁に手を加えるということだ。そうすると、必ず歪みがうまれる。んで、その歪みは最終的に術者に『呪い』という形でかえっていく」
「物理の作用・反作用の原理みたいなものよ。呪いが強大であればあるほど強大な反動がかえってくる。でもプロの術者は自身を防衛するすべをもっているから、ふつうはそれで防ぐのよ」
「術の代償みたいなもんやろですね」
「呪いって、呪詛がそれだよね?ってことは今回の産砂先生も……」
「お、勘がいいな。ナルが今もっているその札はあらゆる呪いから身を守るためのものだ。それも、かなり強力なものと見た!」
「産砂先生――彼女は陰陽師としては何の訓練もうけていない、素人だ。逆凪への対処が万全だったとは考えられない。しかも あの量の呪詛を身一つでおこなった」
「ふつうだったら呪いの反動で大けが、最悪亡くなってもおかしくない……か」


謎が解けてすっきりしたとでも言いたげなナルの顔といまだ疑問符をうかべている麻衣の顔をみくらべて わざとらしきため息をもらした真砂子が口をひらく。

「ですから、あれだけの厭魅をおこなった産砂先生が、反動をうけている様子がなかったのが、ナルは不思議だったんですわ。ですが、九のものの札が彼女を守っていたと考えれば 彼女が無事なのも納得できる、ということです」
「その札を用意した九は産砂先生がなにをやっているか承知でそれを見逃し、結界を貼ったってわけか。己にかえってきた反動に焦って九に依頼をだしたってことか?逆凪からの防衛となると依頼料は安くはなさそうだな」

九?と麻衣は口の中でつぶやいたが、突如として灰になった四枚の札にあたりが騒然となったため 話はうやむやになり ついぞそれを音にだすことはなかった。


面々がどこからか吹いてきた風にとばされゆく数秒前は札であった粒子を凝視するそのあいだ、リンのタイピング音だけは止まらず鳴っていた。






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