グッドバイ 前

 少年たちはひとを愛するために生まれた。
 そうでなければ、こころなんて最初から要らなかったのだから。


 とある大学病院の質素で清潔な個別の一室。
 白いシーツの上に楽な姿勢で座り、ちいさく咳をこぼしながら静かに本を読む少女。
 目で追う物語は幸福なはなしなのか、少女の口元には笑みが浮かんでいる。
 青白い素肌と可憐な容姿から、少女はまさに儚い一輪の花である。
 そんな少女を、ゴールドはいつもたったひとつの窓のさきにある木の上から見つめていた。

 少女の名前はクリスタル。親しい友人や母親からはクリスという愛称で呼ばれている。スポーツ万能成績優秀、容姿端麗性格も器量も良しという、まさに絵に描いたような理想の少女であった。
 しかし神様は残酷である。彼女はなんという不幸か、まだ幼いそのからだを不治の病に蝕まれていた。友人たちや母親はひどく悲しみ、学校では悲劇の美少女と謳われた。日に日に衰弱していくやるせない毎日を、せめて少しでも穏やかに過ごそうと彼女をとりまく日常は、世界がいつ滅んでもいいように美しくやすらかに彩られ飾られていた。

 ああそれは本当に、少女が神様に愛されたがゆえの美しい悲劇であった。
 しかし、その神様とは皮肉にも、この冴えない少年、ゴールドこのひとである。

 ゴールドはいわゆる死に神である。クリスがこの世に生まれた同時刻に、あの世で生まれた。スポーツはまあまあ得意だが、成績は下の下、容姿は中の上程度、性格に難あり器量悪しという、まさに少女とは正反対の少年であった。
生まれながらの死に神であるゴールドは、自分と同じときに生まれた少女の魂を奪うことが生涯の使命だった。彼女の魂を奪うことで、ゴールドは彼女の代わりにこの世へ生まれることができるのである。
 クリスがこの世に生まれ落ちたころから、ゴールドは彼女を見てきた。そしていま、麗しい肢体を病に焼かれる少女を見て、胸に広がる思いは歓喜などではもちろんない。

 読書に夢中になる彼女。読書をしていなくとも、死に神であるゴールドの姿は少女には見えないが、ゴールドはそのほうがいいと心底思っていた。なんせ自分は上下真っ黒な服に巨大な鎌を手にしているのだから、可憐な少女を怖がらせてしまうに決まっている。姿が見えないのにこのように少し距離を置いて見守っているのは、これ以上近くにいると間違いを冒してしまうような気がするからである。

 だから、近い少女の最期のときまで、ここでじっと待っているのが一番いい。
 そう、思っていたのだ。

「ああ、こんにちはセンパイ。また彼女のことを見ているんですね」
「・・・うるせー」

 めんどうくさいヤツが来た、とゴールドは隠さずにそう思った。
 空を飛んでやってきたのは、上下真っ黒い服に大きな鎌を持った紅い瞳の死に神の少年、ルビーであった。ゴールドとはひとつ年下の、成績優秀な見目麗しい美少年である。
 ゴールドとは異なり口がよく回るおしゃべり好きの彼は、ゴールドの隣に図々しく座り、野次馬ごころで病室の少女を覗き込む。もちろん少女は気づかない。

「透き通るほど青白く美しい肌、わずかな命だというのに生を匂わす煌いた瞳。心配をかけさせたくないがゆえに気丈にふるまう健気な彼女は、今日も美しく儚げですね」
「相も変わらずテメエは口が喧しいな」
「光栄です」

 真夏とはいえ、温度を感じない死に神たちには汗ばむ陽気などなんの障害でもない。木漏れ日に照らされて、体温のないふたりはただ静かに人間である少女を見つめる。

「こんなところで油売ってていいのかよ。オメーの愛しの野生児ギャルはどうした?」
「サファイアですか? ああ、だめですね。足を骨折したみたいですけど、あれでは死にませんよ。もっと愛さなくちゃいけませんね。それに比べてセンパイは、愛があんまり深すぎるようで」

 案外情熱的ですよね、なんてからかうようにルビーは笑う。
 うるせえよ、とゴールドは少年の肩を鎌の先で小突いてやる。
 いつもならもっとぎゃんぎゃん騒ぎ立てるはずのゴールドがやけに大人しいものだから、ルビーはどうしてもくすぐったいように可笑しかった。近い少女の死を前に、あの頭の悪い鈍感な少年がそんな余裕もないなんて、ゴールドに手を焼いていたあの世の偉い神様方が聞けば、驚いて地上に大洪水でも起こしてしまいそうだ。
 ふふ、と笑みをこぼすルビーの隣で、ゴールドはひとり真剣な眼差しで少女を見ていた。ルビーはそれを見てセンパイ、とすこし意地悪く囁いた。

「アナタがいま考えていること、当ててあげましょうか」
「・・・へっ、しねえよ。あんな優等生ギャル、好みじゃねえしな」
「へーえ。なら、一度あの世に帰りません?どうせまだ死にませんよ。あと二、三日は持つでしょうし、その間に転生の準備が必要でしょう。アパートの私物とかちゃんと片づけしました?それに部屋の解約書だって、ちゃんと書かなきゃだめなんですよ」
「わーかってらあ!こまけえことうるせえヤツだな。帰ればいいんだろ!」

 はい仰る通りです、とルビーはにこやかに微笑んだ。
 こういうルビーの食えないところがゴールドは気に入らないのだが、なんだかんだで嫌いになれない自分がいる。ゴールドはすこし未練がましく少女を見送ると、高い空に向かってルビーとともに飛び去った。





 それから三日ほどの月日が流れた。
 ゴールドはその間、一度もこの世に下りることはなかった。否、できなかった。
 むちゃくちゃに散らかしていたあの世での住まいのアパートの自室の整理に追われ、解約書の書き方がわからず手間取り、てんやわんやとしているうちにさっさと三日も経過していたのである。おそらくあのルビーは、妙に小賢しく皮肉屋だからこうなることも見越したうえでゴールドを帰したがったのだろう。判断は正しい。だが気に喰わないゴールドであった。

 物がなくなり、閑散とした一室を眺め、ゴールドは部屋の真ん中に座り込む。ポケットから取り出したのは、『あの世とこの世交換券』という、転生の準備が整ったものにのみ配給されるチケットである。「ついにこの日がきたね、おめでとう」と微笑み頭を撫でてくれたお偉い神様は、きっと問題児だったゴールドが無事に転生までやってこれたことを本当に嬉しく喜ばしく思ってくれていたのだろう。その微笑みが胸を痛ませる。死に神だというのに、その胸には美しく正しく鳴るこころが少年たちに埋め込まれていた。

 ゴールドはからだを傾け、ぱたりと床に仰向けに倒れ込んだ。
 三階建ての古いアパートの二階。上の住人だったひとは、もうあの世には、いない。

「・・・・・・・・・」

 ゴールドは、静かに立ち上がった。







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