墓場の子供と死と地獄 前
※特殊設定注意。
「悪いことはしちゃいけないよ」
全身に真っ黒な影を覆った赤い目のお兄さんは、そう言って俺ににこりと笑った。
俺が待合室のソファで一人うなだれていた時に、その人はやって来た。
お兄さんは「君ひとり?偉いね」と突然話し掛けてきて、褒められて嬉しかった俺は、お母さんの「知らない人とはお話ししちゃいけませんよ」っていう約束をつい破って、黒い服のお兄さんとおしゃべりをしてしまった。
お兄さんのことはよく見掛けていたけれど、話し掛けられたことは今までなかったから、ちょっとだけびっくりした。
「お兄さんは誰?」
本当はずっと前から気になっていて、俺はつい自分から話題を投げてしまった。するとお兄さんは小さく笑って、ソファの俺の隣に座った。
「ここの関係者だよ」
何処か大人びた白々しい笑みを浮かべるお兄さんに、俺はふうん、と事もなげに頷いた。
「でもお医者さんも看護婦さんも、そんな真っ黒い服着てないよ」
「そうだね。君の服もそうだけど、病院は白ばっかりだよね。でも僕は黒が好きだから」
「ふうん。まあでも、俺も白よりは黒かなあ。なんかカッコイイし」
「そうかな」
「うん。だって、その、お兄さんもカッコイイしさ」
お兄さんは、待合室に置いてある女の人の読む雑誌に載ってるモデルのお兄さん達みたいな、綺麗な顔をしていた。いや、それ以上かもしれない。シンプルな真っ黒の服、真っ黒な髪。そして、真っ赤な目をしている。あんまり綺麗だから、話すのがちょっと恥ずかしくなっちゃう。そう思っていると、お兄さんのほうがありがとうと照れたように笑った。
「でも君もカッコイイと思うよ」
お兄さんはせっかくそう言ってくれたけど、俺は俯いて、小さく首を振った。
「…全然だよ、俺。おんなみたいに肌白いし、あんまり運動出来ないし、それに……」
「それに?」
真っ白い病院服のズボンを握る。細くて青白くて頼りない手をじっと見ていると、胸がぐじゅぐじゅに潰れていくような感じがした。
「俺、悪い子だから……」
***
病院でお祖父さんのお見舞いをした後は、よく近くの墓場でお祖母さんの墓参りをした。
お祖母さんは俺が生まれる前に死んだから、俺はお祖母さんのことを何にも知らない。だからこの『墓石』というらしい大きな石に刻み込まれたへんてこな名前も、その下で眠っている知らないお祖母さんも、俺には全部無関係に思えていた。
お墓を管理している人の家に行って、そこでお母さんとお父さんはいつも何かを話していた。子供が聞く話じゃないから遊んで来なさいとお母さんは俺を家から追い出すけれど、友達もいないし退屈だから、嫌だけど、仕方ないからお墓の所へ遊びに行った。あそこはいつも沢山の人がいて、夏なのに冷たくて気持ち悪い。
白い陽射しが差し込む石の階段に座り込み、流れる汗を拭いながら、俺が住む町を見下ろした。ここの墓場は山の高い所にあって、管理人さんの家と沢山の墓石と、鬱蒼と茂る森林以外は何もない辺鄙な場所だった。
町を見ていると大丈夫。陽射しがある場所は大丈夫。それは、俺が日頃の内に何と無く学んだことだった。
時々青白い顔のお祖母さんが追い掛けてきて怖いから、俺がいていいのはこの階段だけ。この頃はよく同い年くらいの子供にも追い掛けられて、とにかくもう、膝を抱えてじっとしているしかない。
「っいた!」
突然後ろから髪を引っ張られた。びっくりして振り向けば、そこには数人の同い年くらいの青白い顔の男の子達がいて、俺のことを見てニヤニヤ笑いながら、所々ぶちぶちに切れた腕や足を伸ばして俺の体をベタベタ触った。
「な、にすんだよ!やめろよ!」
「はは、やめろだって」
「へんなやつー」
階段の下へ引っ張ってくるその力はすごく強くて、俺はそいつらの笑った白い顔にぞっとした。必死で抵抗するけれど、数人相手に勝てるはずがない。心臓が痛いほど激しく鳴った。
「ねえ、止めなよ」
落ちる、と思って目を閉じた瞬間、木々の間を通り抜けていく風のような声がそこに響いた。
男の子達は俺を引っ張るのをやめ、声がした方向に一斉に振り向くと、ごにょごにょと言い訳めいた言葉を濁しながら話す。男の子達が見る先を、俺も目を追って見てみれば、そこには、顔に白い布をかけた男の子が、墓石の上に座っていた。
「人が嫌がることはしちゃいけないよ」
静かな声でそう言った。
少し幼いトーンだった。
目に見えない威圧感がそこにはあって、俺が思わずたじろぐと、同時に子供達も一斉に逃げ出してしまった。遠くで蝉の鳴く声がする。その子は、木陰の下の墓石の上で木漏れ日を浴びながら、白い布の下で小さく笑った。…ような、気がした。
「大丈夫?」
「あ、ああ…」
「ごめんね。彼ら、いつもああなんだ」
いたずらのつもりなんだよ。
その子はそういって笑った。
けれど、納得がいかなくて俺はムッと口を曲げる。
「いたずらにしては、ずいぶん悪質な気がするけど?」
「うん…そうかも」
その子は困ったように言った。そんな顔をされると困る。俺が被害者なのに、まるで加害者みたいじゃないか。ぬるつく腕をシャツの先で拭き、木陰の下へ近付いた。そこは涼しくて、夏とは思えないほどひんやりとしていた。
「ボクは北国生まれなんだ。だからボクが死んだ時、せめてものの計らいで、ここにお墓をね。なかなか気に入ってるんだよ」
ふふっと笑う少年の言葉に、どきりと心臓を強く鳴らす。少年の青白く伸びた腕は、やはりそういうことなのだろうか。俺は土の上に座り込み、少し伏せ目がちになって少年を見上げた。
「やっぱり、君達は死んでるんだね…」
少年は、にこりと笑った。
「彼らはね、『悪い子』なんだ」
遠くで黒い靄のようになって蠢く『彼ら』と呼ばれた子供の影を見つめながら、少年は言った。墓石に水をかける少女達のほうを恨めしく見つめ、かと言ってどうすることもなく、夏の熱い陽射しを浴びてどろどろと揺れている。所々ぐちゃぐちゃに崩れた子供もいれば、大きな目玉をぎょろぎょろと動かしている子供もいて、俺は嫌悪の表情を浮かべた。
「しちゃいけないことをした子供のことを『悪い子』と言ってね。ボクも本当は『悪い子』なんだけど、運良くちょっとましな姿なんだ。ほら、あの子達みたいに黒くないでしょ?」
ほら、と広げてみせた彼の両手は、青白く透き通ってはいるものの、あんなふうにどす黒く汚れてはいなかった。むしろ儚くて綺麗な硝子のかけらみたいだった。
「だからねえ、君も、あんまりここに来ないほうがいいよ。僕らが見えるならなおのこと、ね」
悪いことしちゃ、いけないよ?
そう言って、少年は俺にバイバイと手を振った。遠くで姉ちゃんが俺の名前を呼んでいる。それを聞いて、ドロドロの悪い子供達はニヤニヤと汚らしく笑った。
俺はその子にお礼を言うと、姉ちゃんがいるところまで階段を走り降りた。途中、少年の「知らない黒いお兄さんには、気をつけてね!」という声が聞こえた。強く頷いて駆け降りる階段は、果てしなく長く胸が痛かった。
そのあと振り返りもしなかった俺が、あの雪のように白い少年の最後の労りの言葉など聞こえていたはずもない。木陰の下で、真っ白布から悲しげな瞳を覗かせていたなんて、知るよしもない。
「それでももう、君は手遅れかもしれない」
閉じた瞳の奥に光るのは、まばゆい黄色の黒い悪魔だった。
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