28痛心

部屋は月明りのみに照らされていた。暗闇に浮き上がるナナシの白い肌はとても脆いもののように見える。
ナナシは読みものをしていたようで、膝に本を乗せソファに座ったまま眠っていた。

ああ、ドラコにナナシの暇を潰すものを任せたのだったな。何もすることがないと何を考えつくか分からない。
しかし、少し前の自分の気遣いが何の意味もないものに思える。せいぜいナナシが最期の1日を飽きることなく過ごせたくらいだろう。

その前に立ち、じっくりとその姿を見下ろす。

愚かにも闇の帝王を愛した女。

母と一緒だ。
この女も愛によって身を滅ぼすことになる……。

由緒正しき高潔な魔法族であったのに、マグルの父に捨てられ死に屈することとなった母。なんと愚かで可哀想な女だろう。

やはり愛など、破滅をもたらすだけではないか。

愛が死に打ち克つなどと、どこかの狸がほざいていた……。
しかし奴も死んだ。愛が奴を護ることは、無かった……。

真っ直ぐにナナシの心臓に杖先を向ける。

これで俺様はこの病から、不可解な痛みから解放されるだろう。
自分を煩わせるものが1つ消える。

アバダ ケダブラ。
この一言で……ナナシは終わる。

死の呪文を唱えようと口を薄く開く。

そこで、ナナシの唇もうっすらと開いていることに気付いた。

何度も口付けを交わした、柔らかな唇。
俺様へ愛の告白をした、愚かな唇。

無性に。
それに触れたくなった。

此の期に及んでこの病は自分を蝕み続ける様だ。

急くこともあるまいと杖を下げる。そしてナナシの隣に腰掛け、杖を持たない方の手を伸ばす。

指に微かに寝息がかかり、何かが騒めいた気がした。
しかし気づかないふりをして。

そのまま手を近づけ、人差し指がその唇に触れた。

途端。

その温もりに、心臓が胸を突き破りそうな程に暴れ出した。

「……っ…………」

ナナシを殺せば――。

この肌から温もりが消えて無くなる。
この顔に表情を宿すことが無くなる。
この唇が言葉を紡ぐことが無くなる。
この瞳に俺様を映すことが無くなる。

魂が消えたナナシが想像され、ざわざわと全身から血の気が失せていく。

「…………?」

また、これだ。
何なのだ、この感覚は。

胸が張り裂けそうな程に痛い。
本能が『やめろ』と叫んでいる。

――――止めてなるものか!
これこそが愛の惑わしだ。その筈なのだ。

このまま、締め殺してやる……!

唇に触れていた手をそのまま、ナナシの首に這わせる。
柔らかな肌に自分の指が食い込む感触。

しかし、情けない力しか込めることができない。

殺人など自分には造作のないこと。
他人の命など、取るに足らぬ、筈だ。

何故だ?

何故、こんなにも、自分は怖がっているのだ……?

ナナシが死ぬことが、何故、こうも恐ろしい……?

何故、こんなにも自分を苦しめる……?!

「!」

そのとき。
ピクリとナナシの睫毛が揺れた。

呼吸を忘れてその様子を見張っていると、ナナシは何度かまばたきをしてから、ゆっくりと目を開いた。
その瞳は最初に体の方向のまま前を見たが、暗闇に慣れるとすぐに俺様に気づき、俺様の瞳を覗き込む。

どくん、と一際大きく心臓が跳ねる。

胸の中を掻き回される。

「……ヴォルデモート様……?」

ナナシは少し寝惚けているようで、俺様が傍に居ることが夢か現かの判断に時間がかかっているようだった。

しかし、首に手を回されていることに気付くと。

声を上げることもせず、少し考えるような様子を見せたのち。

静かに、こちらへ微笑んだ。

ああ……今度はこれか。
先程とは違う、胸の奥にもどかしい痛みが走る。

熱く、強く、この心を締め付ける。

「何故……笑う……? 分からないのか?」
「あなたなら、いいです」

ナナシの瞳に自分が映っている。
真っ直ぐに俺様を見て、語り掛けている。

俺様になら、いいと。そう言った。

何故こんなにも簡単に、自分の命を預けることができる?

「あなたはわたしに生きる意味をくれた人だから」

頭の中に浮かんだ疑問は聞こえていなかった筈なのに、ナナシは目を細めながら答えを紡いだ。

生きる意味……。

名前を聞き、何故死を恐れないのか問うたとき。ナナシが、何の為に生きてるかわからない、と漏らしたことを思い出す。

それを俺様が与えたというのか。

お前を性奴隷として拉致し、思うままに犯し、絶望した死に様を見ようと懐かせたというのに?

ああ、こいつは知らないのだ。
俺様がどの様な人間で、どれだけの命を奪い、どれ程この魂を闇に染めたのかを。

ならば教えてやろう。

「虚しい奴め……。俺様はお前を辱める為にここへ連れてきたのだ」
「……はい。でも……」
「優しくしてやったのも、最期に屈辱と絶望を与える為だ。全てはこのときの為に、お前の心を奪った」

自分に言い聞かせるように、ナナシに無情な言葉を浴びせる。

ナナシは微かに目を見張った。
そして目を伏せ、唇を締め、黙る。俺様の言葉の意味を噛み締めているように見えた。

そうだ……傷つくといい。
俺様を恨み、呪うといい。
泣いて責めてみろ。

愛など簡単に消え失せる、虚しいものであると証明して見せろ。

そして死を醜く抗い、絶望した顔を見せるのだ。その様な人間の瞳から光が失われる瞬間こそが、殺人の醍醐味だ。

ナナシの首から手を離し、杖先をその心臓に押し付ける。力強くニワトコの杖を握り直す。

あと一言唱えれば、終わる。

ナナシは自分の命がこの手に握られているのを感じ取っているだろう。

恐れている筈だ。
自分を騙した酷い男に命まで取られるのを、嫌がる筈だ。

「……騙されちゃいましたね」

――――しかし。

ナナシは、また、笑顔を見せた。

今度は少し寂しそうに。
一欠片の怒りも、恨みも見せず。
ただ哀しみだけを浮かべて。

やめろ。

そんな風に、笑うな……。

「でもわたし、幸せでした。お傍に居れて」

伏せていた目を上げ、また俺様の瞳を覗き込む。
心臓の鼓動が耳にまで響いてくる。

許すのか……?
自分を辱しめた男に、命まで捧げると?

疑ってみても、ナナシの瞳は一点の曇りも見えない。
嘘では無い。死を受け容れている。

この女は……本当に……俺様の為に生きていた……。
ナナシは本当に、俺様を…………。

「今までありがとうございました。……あの、えっと……」

ナナシはその先をどう伝えようか思案している。
しかし視線を逸らすことは、もうしない。まるで俺様の顔を最期に見納めようとしているかの様だった。

ああ、駄目だ。言うな。

その先を聞いたら、自分は――――。

「……大好きです。ずっと」

時が止まったようだった。

小さな声。
しかし確かに俺様の耳に届き、脳を揺らす。

胸の奥に染み渡っていく。

恐ろしく、心地良い。

表面では拒んでいながらも、奥底ではナナシのその言葉を求めていたのだと気付かされる。

恥ずかしそうにはにかんでから、ナナシは目を瞑った。
俺様から与えられる死を、待つかのように。

まるで聖母のようだ。

そう思ったときには、体が動いていた。

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