18支度

……あったかい。

全身が心地良い温度に包まれている。
シャワーが流れる音が聞こえて。髪にお湯が流れていく心地よさに目を開けると。
わたしはバスタブの中に浸かっていた。

驚くことに、ブラシが勝手に動いて腕を洗ってくれている。石鹸の良い香りと色とりどりのシャボン玉に囲まれて、まるで魔法の世界にいるようだった。

あ、ここ魔法の世界だ。

シャワーが流れる方に目をやると、全身を流しているヴォルデモートの姿を見つける。背がスラリと高く青白い皮膚に覆われた体は異様に神秘的だった。
彼は視線に気づいて、顔をこちらに向ける。

「……!」

部屋よりも明るく照らされた浴室に居ることに気付き、わたしは慌てて腕で体を隠した。

「? 何を今更……」
「こ、ここ、明るくて」

ヴォルデモートがキュッと蛇口を捻るとシャワーが止まり、それと同時にわたしを洗っていたブラシたちも元あった場所に帰っていく。
魔法で体が固定されていたようで、いきなり沈んで顔が全部浸かりそうになるのを、慌てて体に巻いた腕を離し、阻止した。

突然訪れた静寂。

ヴォルデモートはこちらに近付き、バスタブに脚を踏み入れる。彼と湯が混じり合う音が妙に耳に響いた。そして、2人で入ってもスペースが余るほど広いバスタブで、彼はわたしの隣に腰を沈めた。

お湯は乳白色で、優しいミルクの香りがする。
体を隠すように鎖骨まで沈めて、ちらりとヴォルデモートの方を見ると、彼は真っ直ぐにこちらを見ていた。思わず目を逸らす。

「恥じらっているのか? ついさっき、俺様の上に跨ってきたというのに……」

その台詞に顔がカーッと熱くなるのを感じた。
「ごめんなさい」と小声で謝っても、ヴォルデモートは口を閉じてはくれない。

「あの様に目の前で善がられては、ひとたまりもないな」

先程の情事の光景がありありと浮かんでくる。確かにわたしは、ヴォルデモートの上に跨って、求めて、何度も達した。
自分の大胆さへの恥じらいと、彼のますますの言葉責めに、バスタブで火照った体はのぼせてしまいそうだ。

更に。するりと腕が伸びてきて、引き寄せられる。水の中で重力から解放されたわたしの体は簡単に浮いて、ヴォルデモートの両脚の間に収まった。
そのまま後ろから抱き締められて、体が密着する。勿論お互い生まれたままの姿なので、肌と肌がくっついて、心音が早まるのを感じた。

ヴォルデモートといるといつも心臓がおかしくなる。早死にしてしまいそうだ、と考えながら、わたしはお腹に巻かれた彼の腕にそっと自分の腕を重ねた。

ちゅ、と音を立てて首筋にキスを落とされて。わたしの肩が強張ると、彼は息を漏らすように笑った。

しばらくそのまま、2人で身を寄せ合う。

お湯の中で乳白色に溶け合い揺れる体を見ていると、1つになれたような気がして、幸福感でいっぱいになった。
こんな時間が一生続けばいいのに――。

と願うのも虚しく、本当にのぼせてきてしまったわたしに気づいて、ヴォルデモートはわたしをバスタブから引き上げた。

あらゆる魔法で髪や体を乾かされ、バスローブに身を包まれる。ソファに座らせられ、ふわりと手元に水の入ったグラスが飛んでくる。至れり尽くせりだった。

「ありがとうございます……」
「思えば、ずっとバスタブに浸からせていたからな」

よくよく考えれば、わたしはいつの間にかバスルームに居た。また情事の途中で気を失ってしまったところを、ヴォルデモートが運んだのだろう。
いつもは放っていくのに。
今までと違う扱われ方に、嬉しさが込み上げてしまう。ますますわたしの体温は上がるばかりだった。

ヴォルデモートはあっという間に身支度を済ませ、いつもの黒い衣服に身を包む。

そこで気づいた。
わたしのワンピースはどこに行ったんだろう。昨晩、彼が消してしまった。

「ああ、あれはもう着るな」

きょろきょろと探していると声を掛けられ、わたしは二重の意味で目を丸くした。見透かされたことと、もう1つ。

これから先、裸で生活しろってこと……?

今までの下着無しのスリット入りワンピースも辛くて、やっっっと慣れてきたところだったのに……。

わたしが絶望している間にヴォルデモートはアンティーク調のクローゼットの前に立ち、ダイヤルを回している。
先程そこから彼が衣服を取り出すところを見た。スーツが見えたので、着てるところを見てみたい、なんてワクワクしていた少し前の自分が恨めしい。

眉根を下げて様子を眺めていると、クローゼットの扉が開かれて。
わたしはハッと息を呑んだ。

クローゼットの中には、色とりどりの女性服が並んでいた。

あっけにとられていると、長い指に手招きをされる。
おそるおそる近寄ってみれば、先程収められていたヴォルデモートの衣服は影も形もなく、パーティドレスのような華やかな洋服がぎっしりと並んでいた。どれもこれも高級そうで日本離れしたデザインだ。

左端は引き出しになっており、開けてみれば下着が収納されていた。歓喜して、ついつい1番手前のものを取り出す。しかし拡げてみれば大変セクシーなデザインで。固まってしまったわたしを見てヴォルデモートはくつくつと笑った。

「そうだな……黒を着ろ。闇に溶ける」
「……え」

たくさんの疑問が頭を覆っていたけれど、早く着ろと言わんばかりに黒のワンピースを手渡され、わたしはそれに合うような黒い下着を選んでソファの隅で着替え始めた。

ああ……なんという安心感……。
パンツのありがたみが身に染みる。

喜びに震えながらも、やっぱりわたしは困惑していた。
何故、突然衣服を与えられたんだろう。
”闇に溶ける”って?
屋敷の外に出るってことだろうか。

「……ほう。ルシウスめ、女心の分かる奴だ。それともナルシッサの助言かな?」

久しぶりのブラジャー(サイズはぴったり)の感覚に窮屈さを感じていると、ヴォルデモートが右側に置いてあったケースを開いて声を上げる。
その中を軽く覗き込むと、ズラリと化粧品一式が並んでいた。アイカラーやマニキュアが色鮮やかに連なっていているのが見えて、心が躍る。

化粧品に目を奪われていると、くるりとヴォルデモートが振り返ってこちらを見た。下着姿だったので持っていたワンピースで咄嗟に身を隠しても、構わずに近寄ってくる。

「目を閉じろ」

冷たい手が頭を固定するように頬に添えられて。彼の言葉に従い目を閉じれば、瞼をそっと何度も撫でられる。アイカラーを付けているのだろう。次に眉毛、最後に睫毛を撫でられ、少しこそばゆかった。
指が離れたのを感じ、瞬きしながら目を開ける。すると目の前にヴォルデモートの顔があるものだから、わたしはどこを見ていいかわからなくなり咄嗟に視線を下へ向けた。

頬に添えられた手が、今度は顎を持ち上げる。そして親指が唇に触れる。
キスされるのかと心臓が高鳴ったものの、つうっと何かが唇をなぞり始めて、ああ口紅かと少しがっかりしてしまった。

ヴォルデモートは暫くわたしの顔を眺めた後、杖を取り出しワンピースへ振った。するとワンピースはするりとわたしの腕から抜け出し、上から覆い被さってくる。

「〜〜ぷはっ」

頭が通ると、腰からうなじまでファスナーが上がってくるのを感じる。ハイネックのワンピースだ。ところどころに上品なレースが施され、今までのものと打って変わって露出の少ないデザイン。ふわりとAラインのスカートが揺れると、どこかのお嬢様にでもなった気分だった。

ヴォルデモートはわたしの乱れた髪を整えて、上から下まで確かめるように目を通す。ワンピースを着たときに口紅がずれてしまったのか、親指で口の端を拭ってくれた。
そして満足げに口角を上げる。

誘導されて、クローゼットの扉の裏に備え付けられた姿見の前に立つと。
黒という色のお陰か体が引き締まって見えて、思ったよりもワンピースは似合っていた。更に、チャコールグレーのアイカラーとボルドーの口紅により彩られ、顔がくっきりして上品なワンピースに劣っていなかった。眉毛はきりりと整い、睫毛はくるんと上を向いていた。

おめかしなんて久しぶりで、つい顔が綻んでしまう。

「どうして……」

何と言っていいかわからなくて、全ての疑問をひっくるめて彼に尋ねる。鏡越しに目を合わせて、ヴォルデモートは口を開いた。

「俺様は今、すこぶる機嫌が良い」

わたしの肩にそっと手を乗せて、振り返らせる。
赤い瞳がぎらぎらと光っていて。目が離せない。

「お前が愛を口にしたお陰で……思い出した。奴のことを――かつて愛について議論したものだが――。そして繋がったのだ。奴のところにある筈だ……目的の物が……」

ヴォルデモートが私の方へ紳士的に片腕を差し出した。

「ナナシ。お前も連れて行く。未来の城を見せてやろうではないか」

頭が追い付かないながらも、わたしはそっと彼の腕に自分の腕を絡ませる。

視界がぐらりと揺れた――。

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