09独占+

次の日、ハンスはベッドの掃除に骨が折れているようだった。
そりゃそうだ、チョコレートまみれだもんね……。

昨夜の熱は、あのジュースが原因だった。
あの土産はヴォルデモートが部下に用意させたもので、使いを頼まれた誰かさんが気を利かせてあんなものを混ぜたらしい。
こういうのを余計なお世話というんだろう。

大変だろうに弱音も文句も垂れないで、忙しく動き回りながら、ハンスは恒例のおしゃべりを披露してくれた。

ハンスによれば、ヴォルデモートには可愛がっているヘビがいるらしい。
それを聞いて、ヴォルデモートのわたしへの接し方は、ペットへの扱いのようなものなのではないかと思った。

無垢だったから懐かせて、利口だったから気に入って、餌を与えてご機嫌とって。

そう考えると、しもべにしては甘やかされているのも納得がいく。
愛されてるとは程遠いが、それで十分だ。

最中に名前を呼ばれたあのとき、もうこれ以上求めないと決めた。
3日間の憂鬱は、”彼に愛されたい”という自分勝手な思いからくるものだと気づいたのだ。
何より、想ってる人に抱かれて、名前を呼んでもらえるだけで大変な幸せだ。

ふっきれたわたしは、もう放っとかれても平気!と意気込んでいたのだが、意外にもヴォルデモートはあれから毎日姿を現している。

それも、行為をせずに、ただ読書をするだけのときもあった。
お互い机に向かって本に向かっているときは不思議な気持ちになる。

ハンスの掃除が終わって食事を摂っていると、今日もヴォルデモートが現れた。
彼は少し疲れているのかベッドの枕元に腰かけ、楽な姿勢で読書を始めた。

邪魔しないように、音を立てないように。
やや緊張しながら食事を続ける。

いつもより時間がかかって、やっと最後にとっておいたスープにありつける、とスプーンを取ろうとしたら、逃げられた。

スプーンはそのままヴォルデモートの手に収まる。
思った以上に食べるのが遅かったんだろう。
「後にしろ」と言いながらスプーンを揺らした。
こっちに来い、ってことだろうか。

ベッドに近づくと、腕を掴まれ動きを促され、彼の右横にすっぽりと収められた。
腕枕されながら腰掛けているような状態だ。
この状態のまま読書を再開する。
スープが冷めるのに反比例して、わたしの頬の熱は上がっていた。

「暫く戻らん」

1章読み終えると、ヴォルデモートは口を開いた。
言葉を返すように、彼の服をきゅっと掴む。
寂しい、行かないで、という感情が反射的に出てしまったのだ。
放っとかれても平気と意気込んでいた筈なのに、自分でも呆れる。

「……お気をつけて」

気丈に振る舞ってみたけれど、我慢しているのが丸見えの声色になってしまう。

正面を向いたままだった彼が、本を枕の横に置いて、右にいるわたしの方へ体を向けた。
お互いの顔が至近距離で向かい合う。

彼の左手がわたしの頬を伝い、親指が唇をなぞり始めた。
ゆっくりと近づく距離に、心音が耳に響くほど五月蠅くなる。

わたしはまだ、ヴォルデモートにキスされたことがなかったのだ。

ぎゅっと両手を握りしめ、目を瞑ろうとしたそのとき。

コンコン、と乾いたノック音が部屋に響いた。

ヴォルデモートの動きが止まる。
不機嫌そうに溜め息をつくと、ドアの向こう側へ問いかけた。

「……どうした」
「見立てよりも少々早まったようです」

報告を聞いて眉間に力を入れ、少し考える。
そして「すぐ発つ。整えておけ」と指示すると、彼はわたしから離れ、立ち上がった。
密着していたから空気がやけに涼しく感じて、寂しさが募る。

ヴォルデモートは髪に触れるような柔らかいタッチでわたしの頭を撫でると、部屋から出て行った。

パタンとドアが閉まって2秒後、枕に顔からダイブ。

「……はー……!」

心臓、破裂するかと思った。

ベッドでごろごろ転がりながら悶えていると、キィンと鳴った物音に驚いて動きが止まる。
見れば、先程奪われたスプーンが下に落ちていた。

更に、枕の横に本が置いてあることに気づく。

さっきまでヴォルデモートが読んでいたものだ。
彼がこの部屋に私物を置いていくのは初めて。
手に取ってパラパラとめくってみるが、内容が高度すぎて顔をしかめる。

もしかして忘れ物?

暫く戻らないと言っていた。
今ならまだ間に合うかも、とドアの前まで来て、はっとする。
部屋から出られるわけないよね……。

諦めモードで、でも一応ドアノブに手をかけると。

あれ?回る。
出れた。

ちょっとセキュリティが緩すぎではないかと拍子抜けしつつも、とにかくヴォルデモートの姿を探す。
勘で左に進み、角を曲がってまっすぐ進むと、下り階段があった。
さすがに降りるのに戸惑っていると。

突然、肩を掴まれる。

「へぇ。今度は東洋人か」

少し長めの黒い髪をオールバックにした、目の下の濃いクマが特徴的な男だった。
もちろん初めましてだ。

「あのジュースはどうだった?」

にやにやと厭らしい笑みに不快感が募る。
十中八九、土産を買ってきたヴォルデモートの手下だろう。

男は舐め回すように上から下までわたしの体に視線を送る。
慣れてしまって気づくのに遅れたが、下着も纏わず薄手のワンピース。
咄嗟に胸元を隠そうとするが、その腕を掴まれ、より近くで観察された。
肌に息がかかり、気持ち悪い。

「や、め、ちょっと!」

抗おうとすると、問答無用で引っ張られ、近くの部屋へ連れ込まれる。
小さな会議室のようだ。
1番手前の長い机へ組み敷かれる。

「いや!!! 何すっ……、?!!」

突然、声が出なくなった。

「もう少し肉付きが欲しいが、まあいいか」

いきなりワンピースを捲られ、胸を揉みしだかれて、状況を理解した。

――犯される?

混乱でされるがままになっていたが、ふと男の顔が近づいてきて我に返る。
キスされるのだけは絶対にいや!!!

拘束された腕に力を籠め、頭を振り、脚をばたつかせて、必死に抵抗する。
すると偶然、男の鼻に頭突きが決まり、苦痛の呻き声が聞こえた。

「この女!!!」

喉元を思い切り掴まれる。
呼吸がうまくできず目に涙が溜まると、男は口角を歪めた。
更にそのまま爪を立てられ、肌に食い込む痛みに恐怖を感じる。

殺されるかもしれない。
ヴォルデモートじゃなくて、こんな、汚い男に。

爪はゆっくりと肌をえぐり、つうっと喉を血が伝う。
意識が遠のいた、そのときだった。

男の叫び声が耳をつんざく。
わたしの首を掴んでいたその腕は宙を舞っていた。

拘束を解かれ、激しく咳き込む。
酸素を求めて乱れた呼吸を整えながら、涙を拭って状況を確認すれば、床に這いつくばる男を見下ろすヴォルデモートの姿があった。

「うぐぅぅっ、わ、我が君……!」

男は右腕を失っていて、酷い出血だった。
あまりの光景に叫びそうになるが、男の魔法によりいまだ声は出ない。

「何をしている?」
「この女がッ!!! 体を条件に、逃亡を手助けしろと……!!!」

違う。

首をブンブンと振るわたしを一瞥するが、ヴォルデモートはすぐに視線を戻す。
そして男へ真っすぐに杖を向けた。

「我が君? マグルを生かすのですか?!!」

パニックに陥りながら、男は必死に声を荒げる。

「今まではッ、しもべの命など!!! 我が君!!!」

絶望を浮かべる男の顔をそれ以上見ることができなかった。
目を瞑って両手で顔を覆う。
ヴォルデモートが呪文を唱えると共に耳に響いた断末魔の叫び声は、心臓を抉られるような衝撃だった。

「う、ぅ、」

男が倒れたからか、声が出る。
わたしは壊れたように止まらない涙、震える体を制御できずにいた。

「見せろ」

ヴォルデモートは顔を覆う手を引き剥がし、首の傷を確認する。
そのまま彼が杖でなぞれば、傷はどんどん薄くなり、痛みは引いていった。

男はおそらく死んだのだろう。
人が殺されるところを見るのは、初めてだった。
そして、ヴォルデモートが怒っているところを見るのも。

「何故部屋を出た」

冷たい声色に、口が動かない。
恐ろしかった。
暫くわたしの瞳を見据えると、ヴォルデモートは何かを読み取ったかのように机に投げ出された本を見る。

「余計な真似を……」

深く長い溜息を吐くと、彼はわたしを抱き上げた。
そしていつもの部屋へと運び、ベッドへ横たわらせる。
いつもの部屋の香りは、少し安心させてくれた。

「ナナシ」

名前を呼ばれてヴォルデモートを見れば、怒っているのか悲しんでいるのかわからない複雑な表情。
ごめんなさい、と声を絞り出す。

それには応えず、ヴォルデモートはわたしの首元へ口を近付けた。
うっすらと乾き始めた血を舐めとり始める。
舌を這う感覚に、皮膚が粟立つ。

「ナナシ。俺様のものであるということを、自覚しろ」

首元で囁かれて、ゾクゾクと体が疼いた。
束の間、ゆっくりと肩に歯を立てられる。

「い゛っ……」

痛みに驚きヴォルデモートの体を押してもびくともせず、むしろ噛む力は増す。
しかし肌を裂くような痛みでは無かった。

きっと、痣になる。

これは所有の証なんだろう。
ヴォルデモートが、わたしに、独占欲を燃やしている。

あんなに怖い思いをして先程まで震えていたというのに、彼の行為が嬉しくてたまらないと感じている自分がいた。
もう末期だ。

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