悪魔抱えた形代を/L

その深淵に見つめられるとき、私は息をするのも忘れて見入ってしまう。共に本部に残った捜査員の立てる音も、お喋りな松田さんの無駄口も、それを叱る声も、何も、聞こえなくなって。そうして、私の世界は彼一人となる。みょうじさん、彼の唇が私の名を紡ぐ。そこで初めて、空中に漂う意識が体内に戻ってくるのだ。
もしかして恋しちゃってるんじゃないですか、そんなことを言い出した松田さんをきっと睨み付ける。馬鹿なこと言ってないで手を動かして。冷たく返せばしょげかえった彼は止まっていた手を動かし始めた。こんなことをしても行き詰まった捜査がどうにもならないことは分かっていたが、しかし他にすることもないので書類整理を進める。私には、これくらいしか出来ることもない。
恋。私は竜崎ーーLに恋をしている。実の所彼の発言は、私の中ですとんと嵌っていた。この感情がそう呼ばれるものであるならば、私は相当一途らしい。前世も含めて数十年という時間、私は彼を好きでいるのだから。私が警察に入ったのも、キラ捜査に残ったのも、ただLに会いたかったからだ。あまりに不純な動機。もちろん、捜査は真面目にやっているが。
ふと顔を上げると、目の前のソファに竜崎が座っていた。じっとこちらを見つめている。その、何を考えているのか分からない黒曜石で。ふっと音が遠ざかる。珍しく黙々と書類を纏めている松田さんの紙を捲る音も、ほんの小さな機械の音も、何も、聞こえない。目を奪われる、意識を奪われる。私の世界にはもう、彼しかいない。

「みょうじさん」

静かに音が帰ってくる。彼の紡ぎ出す声に導かれるように、私の耳に周囲の雑音が入ってくるようになる。それら一切を隠して、なんでもないような仕草で小さく首を傾げてみせた。

「今夜、お暇ですか」
「……え、」

ぱちくり。今の私の反応を表すなら、正しくこれだろう。突拍子もない誘い。私の思考は、先程とはまた別の意味で停止する。今夜、お暇ですか。彼の言葉が脳内でリピートされる。次いで邪な考えが浮かぶ。男と女、夜は暇かという問い、私の恋心。彼に限ってそれはない、なんて理性が叫んだのと、松田さんが叫んだのは同時だった。

「何言ってるんですか竜崎!いくらみょうじさんが竜崎に気があるからって、」
「余計なこと言わないで松田さん」

余計なことを口走った彼をぴしゃりと叱れば、再びしょんぼりとして謝罪を口にした。けれど一度吐かれた言葉はなかったことにはできない。第三者の口から好意を伝えられたせいで居た堪れない気持ちになって、私はそろりと目を伏せた。松田さんの馬鹿、心中で罵ることも忘れずに。
違うんです、私、捜査に私情を持ち込んだりなんて、松田さんのただの勘違いで、だから、私は。なんて、ぼそぼそと言い訳を話していれば、知ってますと彼の声。思わず顔を上げれば、予想より近くにある彼の顔に心臓が跳ねた。

「貴女の好意には気付いていました。あんなに熱心に見つめられていたので」
「それは、……すみません」
「謝らないで下さい。それが嬉しかったので、こうして誘っているんです」

それは、つまり。期待で高鳴る胸を落ち着かせようと、胸元に持っていった手を、彼に取られる。潔癖であるはずの彼が、私の手を握る。たったそれだけで天にも昇る心地だった。

「応えて下さるのであれば、今夜、残っていて下さい」

そう告げると、頷く暇もなく彼は定位置に戻ってしまった。消沈していた松田さんが再び元気を取り戻し、竜崎ってば案外大胆、などと喋る声が遠くで聞こえた。
それが、昼間の出来事だった。応えて下さるのであれば、なんて、好意を抱いていることを知っているのだから、当然残るものと確信しての言葉だろう。
捜査員がそれぞれ帰宅した中、私はソファに座ってコーヒーを飲んでいた。ワタリさんの入れてくれたものだ。そわそわとしてしまう心を落ち着かせようとして、だったのだが、あまり効果はなかった。表面上は数ヶ月の、実際には数十年もの片想いが叶うかもしれない。そう思えば浮き足立ってしまうのも無理からぬことだろう。同時に、私は恐れてもいた。恋人という関係を結んでしまえばーー否、たとえ体だけの関係であっても、親密になってしまえば、今以上に彼の死によって受けるショックは大きいものになるだろう。紙面で眺めていた時でさえ幼児の如く泣きじゃくってしまった私が、目の前で起こった時、冷静でいられるはずがない。
不意に開かれた扉の隙間から、いつもの格好をした彼が入ってくる。咄嗟に立ち上がってしまった私は、身の置き場をなくして立ち尽くしてしまった。そんな私に一瞬目をまあるくさせた彼は、くすりと笑った。かあっと熱くなる頬。座って下さい、笑いを含んだ声で促されれば、再びソファに逆戻り。恥ずかしいやら緊張やらで頭の中はぐちゃぐちゃだ。なぜ立ち上がってしまったのだろう。私に全く余裕がないように思われてしまうではないか。いや実際そうなのだけれど、見栄を張りたい私の子供染みた心が、余裕を見せたいと訴えている。

「そんなに緊張されてしまうと、私まで緊張してしまいます」
「す、すみません……」

生娘でもあるまいしとは思えど、しかし。ずっと好きだったのだ。向こう側で見ていた時から、ずっと、ずっと。
向かいにいつもの体勢で座った彼は、緊張を解すためにか所謂世間話を始めた。キラ事件に関すること以外で世の中についての話をするのは初めてで。夢中でページを捲っていたあの頃だって、描かれていたのはキラとの心理戦がほとんど。だから、世間で起きている様々な事象を彼がどう思っているのか知ることの出来る、非常に貴重な時間だった。
そうしているうちに、話題は何故か正義感やら倫理観やらへ。今ここに残っている皆さんは、私の手法に反感を覚えずにはいられないでしょうね。道徳心に溢れた良い人ばかりですから。自嘲気味に告げられた言葉に、それこそ反感を覚えずにはいられなかった。だって、私は。

「貴方が、」

貴方が死んでしまう未来なんて、見たくない。貴方に、生きていてほしい。そう言えたら何か変わるのか、否変わらないだろう。カラクリも結末も全て知っている私だけれど、凡庸な私にはとても手出しできない。話したことで未来が変わり、あの瞬間が永遠に訪れなくなったとしても。もしかしたら他のタイミングで彼は死んでしまうかもしれない。第二のキラとして弥海砂を捕らえた瞬間、レムがノートに名を書かないとも限らないのだから。予期せぬ時に訪れる離別は、知っている今より辛いと思うのだ。心の準備が整わないうちに、なんて。Lやキラほどの頭脳を持っていたなら、ある程度の予測も防ぐ方法も考え出せたかもしれない。しかし、残念ながら私の持つ脳みそは凡人のものだ。
ここがデスノートの世界だと知ったのは、幼馴染みに夜神月がいたからというなんとも皮肉なもので。本当にLを救いたいのなら、まず月がキラになる未来を変えようと努力するべきだった。その努力を怠ったのは、私如きが変えられるはずはないという諦めーーを建前とした、Lに会いたいという欲望。キラ事件が起こらなければ、どう頑張っても彼には会えない。分かっていた。だから、私は。

「貴方が、思うほど……私は"良い人間"ではありません」

このまま行けば彼は死ぬ。およそ原作通りに進んでいる現状、何かとんでもないイレギュラーさえ起きなければ、レムに殺される。そのイレギュラーを起こせるのは恐らく、私以外にいない。分かっていながら動こうとしない私は、イレギュラーによって併発するイレギュラーを怖がって一歩を踏み出せない私は、善人とは言えないだろう。
俯く私の頬に、いつの間にかすぐ目の前まで来ていた彼の白い指が添えられる。不健康なほど色白で細く、しかし節くれだっていて確かに男を感じさせた。

「私も、貴女が思っているほど善人ではありませんよ。探偵をしているのも、正義感よりは趣味の延長というのが大きい」

そうじゃない、違うの。咄嗟に出かかった反論は、一切の光を宿さない闇色に呑み込まれる。黒々とした瞳はもう間近に迫っていて、触れる寸前の唇を拒む理由などどこにもなかった。



どうやら意識を飛ばしていたらしい。緩慢な動きで上体を起こす。衣服は、身に纏っていた。気持ち悪さもない。事後処理はきちんとなされているようだった。隣の彼も、いつもの服装だ。眠る時まで?とは思ったが、彼らしいと言えば彼らしい。
鈍痛を訴える腰に手を遣り、静かに息を吐き出した。どこかで期待していた。もしも彼の子を宿すことが出来たなら、彼の死も今ほど怖くなくなるのではないか、と。その子が深淵を湛えていたのなら、尚更。余りに酷な話だ。自身の悲しみ切なさ虚しさ、それらを和らげるための形代として子を欲している。一人で育てる自信もないのに。
彼の眠る姿をじっと見つめる。普段からどこか仕草の幼い彼は、眠る姿も幼かった。物語の中では一度たりともーー死の瞬間を除いて一度たりとも瞼を閉じたことのない彼。だからだろうか、寝顔が死に顔と重なって、彼がゆっくりと瞳を閉じていく様がフラッシュバックのように脳内に蘇って。
私の頬を、涙が伝った。


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