短編 | ナノ

アウトループ




 少し、肌寒くなった。

こう言う季節は、人肌が恋しい。
肌に馴染む体温、ほのかに伝わる鼓動。人と体を寄せ合うことは嫌いじゃない。人の吐く呼吸も、また嫌いじゃない。



「ハル。もう行くの?」


 薄暗い朝の気配に、布団の中の塊が動いた。中から顔がひょっこり現れて、身支度をする俺を驚いた顔で見ている。


「…、うん。5時からだから」


「あ、そっか。ハルって朝早いとこだったっけ。頑張ってね」


爽やかな顔をした男に穏やかに手を振られて、俺も手を振り返す。荷物を詰めて部屋を出ると、しんしんとした冷気が剥き出しの肌を突き刺した。
もう一度だけ、閉まったドアを見る。音もなく静まり返ったそこは、長年俺が住み着いて来た場所。そしてつい先程まで、誰かと温もりを確かめ合っていた場所だ。


会社名の入った作業着を着込み、身を縮こまらせて駅へと急ぐ。社会人になってもいまだに電車通勤なのは、電車の中で眠るのが好きだからだ。

駅のホームへ行き、いつも通り3号車付近まで行く。3は誕生日のつく日だから、なんとなく好きだ。それ以外、ほとんど何もないが、そういう日常のなんでもないことを非日常的にするのは、毎日の億劫を和らげるためでもある。


(ああ、今日も憂鬱)


夜遅くまで性行為をしたからか、身体も気怠い。

街で知り合った男性は、人肌が恋しい時になると見計らったかのように必ずやって来る。彼のことは名前と年齢くらいしか知らないが、嫌いではなかった。きっと彼も自分のことなんてほとんど知らないだろうし、それくらいの関係でちょうどいいとさえ思っていた。


電車がやって来る。毎日毎日、同じ位置、同じ行為。


今日も明日もきっと、同じような日々がやって来るに違いない。


なんとなく、窓の外の青空を見つめながら、そう思った。


















「佐藤さんって若いっすよね。結婚とかしないんすか?」



 整備をしながら、休憩をとろうと事務室に戻ると、最近入社したばかりの後輩がそう言った。

よく聞いてなかったのだが、確か彼女の話をしていたような気がする。後輩の話は無駄に長いから聞き流していたのだが、不意に尋ねられると少し困る。


「…まだ考えてないな」


「ええ、まじっすか。あ、じゃあ彼女はいるんすか? いそうっすけど」


ふと、考える。あれは恋人の枠なのだろうか、否か。行為だけして、愛は囁かない。それは果たして何に部類するのか。


「…セフレ?」


「えっ」


思わず口に出すと、後輩があからさまに狼狽えた。次の瞬間には面白そうに身を乗り出して、目を輝かせているもんだから、若いって怖い。


「佐藤さん、清純そうな顔してセフレとかいるんすか!? てか、佐藤さんって女遊び激しいんっすね、意外〜」


「誤解招くようなこと言うなよ。何なんだよ、お前」


「いやあ、俺最近、女子高生に言い寄られてるんすけど、告白の仕方が『結婚してください』なんすよね。ませてないすか? 先輩の佐藤さんだって結婚とかしてないのにって、朝思っちゃって」


「いいじゃん女子高生とか。最近の若い子って考えが突拍子だっつーけど、本当なんだな。若いって怖いわ」


「佐藤さんだってまだ22じゃないすか」


そう言う後輩は二十歳だ。お前もな、と言うと、「まあそうっすけど」と返ってきた。


「佐藤さん、モテるでしょ。女子高生とか告られたことは?」


「ねーよ、バカ。犯罪になっちまうだろ」


ですよね、と頭を掻く後輩は、「断るべきっすかね」と困り顔を浮かべていた。
















 自分の性癖がおかしいことは、すでに理解していた。だからと言って女がだめなわけじゃなかったが、男に言い寄られても悪い気はしなかった。部屋に来る彼のことも、自分が満たされればそれでいいと思っていた。


駅のホームへ電車が来る。

風が舞い込んで、赤い電車が横切った。そして、いつもの場所に停まる。


電車に乗り込むと、見慣れた学生服の集団がいる。
可愛らしい女子高生たちを見て、困った顔の後輩を思い出した。


(アイツの方が、よっぽどいい恋愛してんじゃん)


男との情事に没頭する自分よりも。



普段は見ない学生服の集団を、まじまじと見つめた。女子も男子も爽やかなブレザー。
眩しい思いをしながら見つめていると、ふとその中の集団と目が合った。


(あ)


切れ長の瞳。美しい曲線を描いた輪郭。よく整った顔面。おしゃれな髪型。

雰囲気のある男子高校生だ。悪くない、と物色する邪な自分がいる。いけない、あまりに下品だと頭を振った。

もう一度、改めて彼を見た。驚いた顔をする彼は、恥ずかしそうに顔を臥せた。
今時風の見た目なのに純情そうだな、と胸が高まった。


(売春通いの親父かよ、キメーな俺)


頭を抱えて窓を向き直す。おかしな性癖は、彼だけでいい。彼のみに与えていれば、正常に生きていけるのだから。



『まもなく○○――――』



男子高校生から気が逸れて、まもなく自分の駅に着こうとする。

電車から降りて、いつものようにコンビニへ向かおうと歩き出した、その時。



「あ、あの」



感じたのは、人肌の温もりだった。



「…え、」



振り返ると、そこには先程の男子高校生がいて。

がっしりと、俺の腕を掴んだまま、離そうとはしなかった。



「…その、ラ、ライン! 交換してください」



赤らんだ顔でそう言う彼は、必ずやモテるであろう顔を恥ずかしそうに臥せ、そう言った。


俺と言えば、うまく状況が掴めなくて、しばらく固まっていた。
人通りのある駅。外見の整った男子高校生に迫られる、作業着姿の社会人。なんとなく絵面が最悪だ。と言うよりも、よくもこんな恥ずかしいことが出来たもんだ…と男子高校生を見ると、彼は目が合った瞬間に慌てて顔を逸らせた。純情そうな様子に、廃れた胸の鼓動が色を取り戻す。


「…だ、だめですか…?」


切れ長の美しい瞳を子犬のように濡らしながら、男子高校生が悲痛に呟く。

…だめだ、こいつ、あざとい。飲み込まれそうだ。


「…俺のラインのIDなんか聞いて、どうするんだよ」


冷静に伝えると、拒否と受け取ったのか男子高校生がしゅん、と項垂れた。まさしく仔犬…いや、大きさで言えば大型犬か。


「そ、その、ずっと俺と電車同じなの、知ってますか?」


「は?」


男子高校生は俺の顔を見ると、頬を赤らめて言った。


「ずっと、綺麗な人だなって…思ってたんです。最初は髪の短い女の人かと思ってたんですけど、駅で電話してるとこ見て、男の人だって分かって…」


「…」


ぽつりぽつりと話し始める男子高校生を見て、ぼうっと後輩の件を思い出す。女子高生に告白されたらどうしますか、なんてアイツは確かに言ってが、そんなことあったら大変だと笑い飛ばしていたのはつい数時間前のこと。


(女子高生じゃねーけど…まじで最近のガキってませてる)


うっすらと遠くの景色を眺めていると、男子高校生が掴んでいた腕を離し、今度は手を握った。ひんやりとした手だった。


「あなたから見て、俺は眼中にもないかもしれませんけど、俺はあなたのこと、ずっと見てたんです…! 俺、努力しますから、これからもよろしくお願いします!」


「は、ちょ、待っ」


じゃ、これ俺の電話番号なんで!と手渡してきた紙を手のひらに置いて、男子高校生は足早に去っていく。それは逃げるに近かったが、手のひらに残された小さなメモの切れ端と冷たい体温の名残は、同じような毎日をカラフルに染めていく気がした。



「なんだよ、あいつ…」




明日から、少し毎日が楽しみだ。




END


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